ファウンド・オブジェクト(found object)

深澤直人さんのデザイン・コンセプトの1つに、ファウンド・オブジェクト(found object)という考え方があります。

「ファウンド・オブジェクト」とはアフォーダンスで言う、環境の中にある価値を人が無意識に見出したものそのもののことです。
後藤武、 佐々木正人、深澤直人『デザインの生態学―新しいデザインの教科書』

もともとはイタリアのプロダクト・デザイナーであった(2002年逝去)アッキレ・カスティリオーニという人が先駆けとなった取り組みで、日常で使われているすでにアイコン化したものに付着する人間の共通の行為やさまざまな事象を、まったく別のもののデザインに使うことで、その新たなものの機能や意味を使い手に暗示するデザインの方法論です。

ジェームズ・ギブソンの生態学的認識論

日用品や日常生活におけるディテールの観察からそのディテールに付着したアフォーダンスを発見し、そのアフォーダンスを用いて新たなものをデザインするという考え方には、まさにジェームズ・ギブソンが生態学的認識論のなかで捉えた環境と情報の関係に非常に近いと思います。

生態学的認識論は、情報は人間の内部にではなく、人間の周囲にあると考える。知覚は情報を直接手に入れる活動であり、脳の中で情報を間接的につくり出すことではない。
佐々木正人『アフォーダンス-新しい認知の理論』

私たちが認識のためにしていることは、自身を包囲している環境に情報を「探索する」ことなのである。環境は、加工されなければ意味をもたない「刺激」のあるところではなく、それ自体が意味をもつ「持続と変化」という「情報」の存在するところとして書き換えることができる。
佐々木正人『アフォーダンス-新しい認知の理論』

深澤直人さんにとっての環境

この情報が存在するところとしての環境を、深澤さん自身の環境の捉え方と比較すると、深澤さんがデザインのコンセプトとしてファウンド・オブジェクト(found object)を根幹に捉えている理由もみえてきます。

自分は、昔は自分の身体の外側、自分をさておいた何かを「環境」と定義していましたが(図A)、のちに自分も他人もすべて入った入れ子状態のものを「環境」と定義し直しました(図B)。
後藤武、 佐々木正人、深澤直人『デザインの生態学―新しいデザインの教科書』

environment


環境を内側から見るのではなく、自分を含めた環境を客観的に外から見る。そこに、無意識の記憶、人の行動の痕跡という「見えない形」を発見する。主観ではどうしても見落とされがちな無意識の運動を客観的な環境におけるレイアウトの変更として捉えることで、そこにデザインの種子を見出すわけです。

痕跡:モノとヒトと環境への統合的視点

僕が深澤さんのこの考え方に惹かれるのは、それがすごく温かみのある、人間本来の視点や認知を捉えたものだと感じるからです。

そのものが収まった空間における、そのものを取り去った残りの背景がそのものの存在を示すという考え方、あるいは見方をデザイナーはあまりしない。また、受け手がそのものを背景と混ぜ合わせて知覚するという理解に欠けている。かたちを見ているのではなく姿を見ているという理解が乏しい。
後藤武、 佐々木正人、深澤直人『デザインの生態学―新しいデザインの教科書』

ひとりで歩くよく晴れた午後は、大切な人と歩いた別の晴れた午後とは同じモノではありません。そこには何かが欠けていて、その欠如感が欠けているものの存在をより強く意識させることがあります。
それは背景である街並みにその人の存在が溶け込んで認識、記憶されているからで、マーケティング・コミュニケーションで描かれるようなぼんやりとした背景の中心に商品だけが前面に際立って映し出されるようなイメージとは根本的に異なります。

デザインが終わると必ずそのものを記録として写真に納めるのだが、デザインしたものを背景から遊離させて写真を撮る場合が多かった。(中略)しかしそういった写真の脚色や演出が嫌いになってきた。もののかたちを主張したいという作る側の意図を露骨に出してしまうのが嫌になった。そのかたちは故意に作り出されたもので、風景の中に埋没した、あるいは溶け込んだものとしての記憶とは合致しないのだ。
後藤武、 佐々木正人、深澤直人『デザインの生態学―新しいデザインの教科書』

人は普段の生活をまわりの風景とともに生きています。
あるモノが広告に掲載された写真のようにそこだけ際立ってみえることなんてありません。そんな一部のみが主張した記憶を人はもっていません。人は風景のなかにすべてが溶け込んだ統合的な形で、大切なものの記憶をしまいこんでいるのです。

人の経験

人が本来もつ経験とはそうしたものです。かつてそこにあったものが目の前の景色の中に見出せなければさみしさを感じることもあるし、逆にそのものが不在でも景色のなかに楽しい想い出を思い出したりもします。

環境のなかには情報があるのです。経験がそうした情報を環境の中に埋め込んでいく。それは単に外側にあるのではなく、自分を含めた環境の中にあるのだと思います。

僕がいま定義しようとしているエクスペリエンス・デザインは、そうした環境における人々の経験を対象にしたものです。
それは0からデザインされるものではなく、すでに環境のなかにある動きの痕跡、無意識の記憶を発見し、デザインの種子とする意味では、深澤さんのファウンド・オブジェクトというコンセプトが非常に参考になりそうだと感じています。

そのような姿勢で取り組むことで、人のぬくもりが感じられ、人の痛みや苦しみなどの気持ちにも配慮したデザインが可能になるのではと考えるからです。

 

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