いやしくも生について正確に伝えようとするなら病的になる他ない

本を読んでいて興奮することの1つは、いままさに読んでいる本の言葉の1つによって、いろんな別の本に書かれた内容がつながり、なるほど!と思える1つのストーリーが自分のなかで編集的につくられることだったりします。



昨日もバーバラ・M. スタフォードの『ボディ・クリティシズム―啓蒙時代のアートと医学における見えざるもののイメージ化』を読んでいて、以下の一文に差し掛かったとき、別の本に書かれたさまざまなことが僕のなかでつながりました。

苦悶する肉体の許されぬものと官能ばかりを描く20世紀アイルランドの画家、フランシス・ベーコン(1909-1992)が、自らのおぞましい画像の数々を説明して、こう言っている。「いやしくも生について正確に伝えようとするなら病的になる他ない」、と。
バーバラ・M. スタフォード『ボディ・クリティシズム』

スタフォードのこの本は、そのサブタイトルどおり、18世紀の医学とアートの深い共犯関係を明らかにしながら、その過程での「イメージ化」に際しての新古典主義的なものとロマン主義的なものの対立に幾度となく言及しています。

その1つの言及が先の引用であり、時代的には2世紀ほど下った時代のベーコンの言葉を引きつつ、ロマン主義的なるものが何故、病的なるものや汚れたもの、そして、暴力や死などに美を認めるのかという点について言及しはじめるのですが、この文のすぐ先には「生とは気味悪いしるし付け、まず性交、そして暴力的死であるに他ならない」といったことも書かれていて、このあたりから僕はまさに1つ前の記事で紹介したマリオ・プラーツがまさに19世紀のロマン主義から象徴主義げと連なる芸術の病的傾向を論じた『肉体と死と悪魔―ロマンティック・アゴニー』のことを思い出したり、こちらもしばらく前に紹介しているサイモン・シャーマの『レンブラントの目』も同時に思い出したりしたわけですが、前者はともかく、後者の17世紀の画家レンブラントを論じた本がなぜ、先の引用とつながるのかはこの時点ではよくわからないと思うのでそれについてもこのあと説明しつつ、僕が感じたことを今回の記事では記していきたいと思います。

新古典主義 V.S. ロマン主義

なぜ、18世紀を論じるスタフォードの本と、19世紀を論じたプラーツの本、そして、レンブラントの生涯を中心に17世紀を描いたサイモン・シャーマの本がつながったかを説明する前に、スタフォードがどのように新古典主義とロマン主義との対立を見ているのか?ということから説明したほうがよいかもしれません。

スタフォードは、先の引用のすこし先で、新古典主義とロマン主義のちがいをその美的経験のなかにある二極化した感覚のちがいとして、こう説明しています。

ある人間は衛生化された連続体を眺めて幸福を感じるが、一方、汚染された個体ばかり憑かれたように見る族がいるのである。気紛れで、そのように個人化されている外被への、破れ、また苦しむ表装への固定観念は、虚飾嫌いのロマン派感覚のものである。
バーバラ・M. スタフォード『ボディ・クリティシズム』

1つ前のブログ記事でも紹介した、ロマン主義のドラクロワ、そして、第2のロマン主義ともいえる19世紀後半の象徴主義の画家ギュスターブ・モローはまさに「汚染された個体ばかり憑かれたように見る族」の代表といえます。

なので、こういう絵を描きます。


▲ウジェーヌ・ドラクロワ「キオス島の虐殺」(1823-24)


▲ギュスターブ・モロー「オルフェウス(オルフェウスの首を抱くトラキアの娘)」(1865)

一方で、新古典主義の「衛生化された連続体を眺めて幸福を感じる」様を理解するには、画家の描いた絵を見るより、例えば、観相学者のヨハン・カスパー・ラヴァーターが作成させた図版をみたほうがイメージがつきやすいはずです。

例えば、それはこういうものだったり、


▲ヨハン・カスパー・ラヴァーター"Essays on physiognomy"(1793)より

こういうものだったり。

J.C.Lavater,_Essays_on_Physiognomy_design_to_Wellcome_L0031526.jpg
▲ヨハン・カスパー・ラヴァーター"Essays on physiognomy"(1793)より

観相学というのは18世紀の啓蒙の時代に流行した、人の顔を図像化・記号化することで、その意味を読み取れるようにした学問で、ラヴァーター(スタフォードの本では「ラファーター」と記述)でした。
顔からその顔をもつ人間を読み取るために、顔のパターンを記号として整理していく。その過程で用いたのが、上で示したような横顔・シルエットによるイメージ化の作業でした。

ラヴァーターら、観相学者がこのとき、目指したのは記号化するという意味で、顔を類型化しようという試みでした。それはパターンに分類されると同時に、理想型のようなものが夢想されたのです。そして、隠されたパターンを見出すためにロマン主義者たちが美を見出した「汚染された個体」の個々の特徴は切り捨て、隠れたパターンをあばき立てるために外科的思考で切り捨てを行ったのです。

あばき立てに役立ったテクニックは2つ。ページの幾何学的レイアウトがひとつ。長方形、円、そして楕円に分割されていく。そして個々人を余計なもののない輪郭線だけの横顔に図式的に還元することで、個々の人間をもの言わぬ虚の空間中にひとりひとり分離させる。2つの方法は顔に対する語源的なとでも言うべきアプローチをうんだ。
バーバラ・M. スタフォード『ボディ・クリティシズム』

余計なものをとりのぞき、そして、何かの標本のように決められたレイアウトではりだされる。そうした作業を通じて、観相学者たちは隠れたパターンを見出そうとしたのです。

理想の形、標準パターンのようなものを追い求める新古典主義と、むしろ、そうした標準化されたものからはみ出すものにこそ、生命の素晴らしさを見てとるロマン主義。

それは1つ前の記事でも指摘したように、きわめて劣悪な衛生状態のために、数多く生まれてくる奇形児が生まれたり、天然痘や梅毒、ハンセン病などの皮膚の表面を蝕む病気の流行したり、それが要因となって死がきわめて身近であったりするなど、18世紀の都市のもった病に対するまったく正反対の2つの態度を示したものだったともいえます。

腐敗する現実に美を見出すロマン派

さて、マリオ・プラーツは『肉体と死と悪魔―ロマンティック・アゴニー』のなかで「ロマン派にとって美は、まさに美を否定するとおもわれる特質、つまり恐ろしい事物によっていっそう美しいとされるのであった」と書いています。さらに、続けて「悲しげであればあるほど、苦しげであればあるほど、美は深い味わいをもつのである」とも言っている。この言葉に最初に紹介したベーコンの「いやしくも生について正確に伝えようとするなら病的になる他ない」、という言葉を重ね合わせると、20世紀のベーコンもロマン派の美的感覚を受け継いでいるように思われます。

病的であるがゆえに生は美しいし、美しく見せようとする人工的な試みがはがれたところにこそ、美しい生はある。ベーコンも、ロマン派の芸術家たちもそう考えていたのでしょう。

しかし、この美しさと悲しみとの切り離すことのできない結びつき、呪われた美という至高の美について語ったロマン派、デカダン派作家の証言は、枚挙にいとまがないのである。ヴィクトル・ユゴーでさえも、その血管にシェリーやキーツ、ボードレール、フローベルの苦悩の血が流れていなかったにもかかわらず、ボードレールの驥尾(きび)に付して、《美》と《死》との血縁を荘重に歌ったのである。

『悪の華』が反道徳的であるとして有罪・罰金処分を受けたボードレールや、同じく『ボヴァリー夫人』で公衆道徳違反の裁判を起こされたフローベル(こちらは無罪)と比べれば、17歳でアカデミー・フランセーズの詩のコンクールで1位をとるとったのを皮切りに、その後も順風満帆なユゴーは、苦悩とは無縁とも思えますが、そのユゴーも、1871年にこんなソネットを作っています。

〈死〉と〈美〉とは深遠なる二物、
内にかくも豊かな闇と蒼穹とをはらむ、
同じ謎と同じ秘密を隠しもつ、
恐ろしくもまた豊饒な姉妹のよう。
ヴィクトル・ユゴー作
マリオ・プラーツ『肉体と死と悪魔―ロマンティック・アゴニー』より

「ロマン派にとってこの2つは、実にこれほどまで緊密に姉妹のように結びつけられていたので、一体の双面神のうちに融合してしまった」とプラーツは書いています。そして、この双面神は「腐敗と憂愁に侵された宿命的な美、その味わいに愁苦が加われば加わるほど快楽が潤沢に湧き出る美の神である」だと言っています。

新古典主義が観相学の輪郭のみを描いた横顔のように、人間を標本のようにまるでホルマリン漬けにでもするかのように腐敗を防ごうとしたのとは反対に、ロマン派は病がはびこる都市の現実のなかに実際に存在する、その腐敗にこそ宿命的な美しさを見出したのです。
新古典主義、そして、啓蒙主義の汚れた現実に目をつむり、「臭いものに蓋をする」ような態度に、真っ向から反対し、そこに美、そして生命そのものを見ていたのがロマン派だったのでしょう。

ありのままの普通を描くレンブラント

さて、そうした18世紀の新古典主義や啓蒙主義、それに対抗すべく18世紀末に登場したロマン主義。そうしたものとなぜ17世紀のレンブラントが関係するのでしょうか?

それは新古典主義が排斥しようとした「汚れ」や「余計なもの」をロマン派以前に表現していたのがレンブラントだったからです。

多くの新古典主義批評家から見て、胸が悪くなるほどむさくるしく「汚い」小さなまだらも版画の制作を一人で凝縮した存在がレンブラント・ファン・レイン(1606-1669)に他ならなかった。描くのはすすだらけの料理場、あかじみ味も素っ気もないあばら屋ばかり。クロード・ロラン(1600-1682)、マルコ・リッチ(1676-1729)ともども、絵が下手、まだら模様が邪魔といってずっと批判され通しというのもむべなるかな。
バーバラ・M. スタフォード『ボディ・クリティシズム』

ここで指摘されているのは、主に版画についてであり、描いたものが「すすだらけの料理場」「素っ気もないあばら屋」だったりしたこともあるが、その画面が必要とは思われない線でいっぱいだったりしたこともあってなのですが、それは版画についてのことではなく、レンブラントは絵画においても晩年はその画風が時代とあわない荒いタッチに移っていったこともあり批判の的になっていました。

さらに、描く題材に関しては、成功していた当時であっても、批判されることがありました。
例えば、レンブラントがはじめて描いたとされるヌード画の『ダナエ』について、サイモン・シャーマは『レンブラントの目』のなかで、こんな批判は当時もあったことを紹介してくれています。

彼のダナエは処女でもないし、金狂いの女でもないし、さらに言えば(コレッジョ風の)玲瓏な古典主義的モデルでもなければ、同じ相手を詩と官能の限りをこめてティツィアーノが描いた裸身でもない。もっとずっと驚くべき何かである。即ち断然、理想像からかけ離れた同時代社会の肉身の女性。後代最も苛烈なレンブラント批判者の一人となったヤン・デ・ビショップが1671年、画家が古典的理想よりも自然を重んじ、「レダやダナエを……腹が出、垂れた乳房をし、脚にガーター痕を残した」姿に描いたと言って非難したとき、事実、こういった絵が念頭にあったのだろう。10年後、劇作家のアンドリース・ペルスが、レンブラントには「どこぞの納屋から洗濯女や泥炭売り」を引っ張り出し、「自分の気紛れを自然の模倣、その他の全てはこれただの飾りと抜かす」癖ありともっとずっと激しく怒っている。
サイモン・シャーマ『レンブラントの目』

処女でも、金狂いの女でも、モデルでもない普通の女性として描いたダナエ。


▲レンブラント「ダナエ」(1636-37)

それを「腹が出、垂れた乳房をし、脚にガーター痕を残した」と批判する批評家。
だが、レンブラントが描いたのはまさに批判どおりに普通の女性。それは当時普通に生活していたであろう洗濯女や泥炭売りであったのでしょう。
そう。人間をホルマリン漬けの標本にしたがる後の新古典主義者たちが、レンブラントを嫌う理由もここにあります。レンブラントは、ロマン主義者たちの祖先であり、同じように人間を美しくしてから描くのではなく、ありのままの人間の美しさを描こうとした画家なのでしょう。

異常や汚れを排除すれば、似てくるのは当たり前

さて、理想化されない、ありのままの姿にこそ、美を見出そうとしたレンブレント、ロマン派の芸術家たち、そして、20世紀のフランシス・ベーコンたち。
彼らが抵抗したのは、美しいものを人工的に作り出すために、人から必要以上に汚れや異常を取り除いて衛生的にし、標本化し、そこからはみ出るものを排除しようとする態度だったのでしょう。

そして、この新古典主義の人たちに僕らの時代は限りなく似ています。
異常や汚れをとことんまで排除して、美しい状態、自分自身が心地よい状態をとにかく必死に手に入れようとする。その結果が、新古典主義者たちが目指した標準的で理想的な形に、そして、そうであるがゆえに、観相学者が描く表情のない輪郭だけの横顔という代わり映えのしないパターンに陥っていていくのは当然だと思います。

何かのデザインがその他のデザインに類似してしまうのも、イケてる格好をしようとすればするほど学校中、職場中が同じコーディネートになってしまいがちなのも、整形が当たり前に行われる国の女性たちの顔がどこまでも似てしまうのも、実は新古典主義的なベクトルが働くこの高度に緊密につながった情報社会であれば、当然の結果なのかもしれません。そう。つながっていることだけが重要なのではなく、理想の美を追い求める新古典主義的態度がそこになければ、"似る"という結果にはならない。そこを認識しておくことが大事なように思います。

「いやしくも生について正確に伝えようとするなら病的になる他ない」と言ったベーコンの言葉を、僕らはもう一度しっかり考えてみる必要があるかもしれません。そして、なぜロマン主義者たちが「腐敗と憂愁に侵された宿命的な美」を追いかけ続けたのか?ということを。

  

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