2015年11月07日

肉体と死と悪魔―ロマンティック・アゴニー/マリオ・プラーツ

すこし前に19世紀への興味について書きました。



19世紀というと、20世紀生まれの僕からすると、そんなに遠く感じない時代かなと思う一方で、デザインの文脈でいえば、アール・デコやバウハウス的なモダンデザインが登場する前、せいぜいアール・ヌーヴォーが19世紀の末に登場したくらいの時期であり、社会の見た目はいまとは大きく違ってもいた時代だったはずです。

特に、ヨーロッパの都市は衛生状態が劣悪で、貧困層を中心に多くの死者や病人を出すことが18世紀以来続いていました。ようやくパリで、1853年から1870年まで17年にわたって知事を務めたジョルジュ・オスマンによる大改造が行われ、都市環境が改善されはじめたのが19世紀の半ば。実際、このあと紹介していくように、18世紀から19世紀の前半にかけては、パリなどの都市部ではペストや天然痘、ハンセン病などの感染症が流行し、それがロマン主義文学や恐怖小説などの登場にすくなからず影響しています。

いま僕自身の関心は時代をすこし遡って18世紀に移っているのですが、この感染症の流行などもそのひとつであるように18世紀について知ることで、あらためて19世紀が見えてきた部分もあるので、そのあたりもふまえてすこし自分の整理のためにひさしぶりにブログを書いてみたいなと思います。

ということで、19世紀について何のとっかかりもなく書くのもむずかしいので、19世紀について知るために読んだ本のなかから1冊、マリオ・プラーツの『肉体と死と悪魔―ロマンティック・アゴニー』を紹介しつつ、話を進めていこうと思います。

エリザベス朝演劇と19世紀文学

マリオ・プラーツの本を読んだのは、これで3冊目です。
ただし、過去に読んだ2冊、『官能の庭―マニエリスム・エンブレム・バロック』書評記事)と『ムネモシュネ―文学と視覚芸術との間の平行現象』はいずれもマニエリスムからバロックの時代にあたる16-17世紀を対象にしていたので、今回読んだ本とは対象とする時代やテーマが異なります。

けれど、その16-17世紀のマニエリスム〜バロックは、この本で描かれる19世紀のロマン主義や19世紀末のデカダンスや象徴主義につながっていく。例えば、シェイクスピアを中心としたエリザベス朝演劇は、恐怖の要素を取り入れたという観点で、フランケンシュタインや吸血鬼ドラキュラなどを次々と誕生させた19世紀文学の先駆者ともいえるとされます。

タッソーのような作家にあっては、苦悩の悦楽は明白な特徴をなしている。エリザベス朝劇作家のいく人かにおいても、それほど特殊ではないが、それはおなじように明白な特徴をなしている。ことにマーローとウェブスターの場合がそうである。それはスウィンバーンのような有能な目ききが認めているところである。事実エリザベス朝の演劇は、ふんだんに恐怖の要素を取り入れており、手本としたセネカを残酷さにおいて上回っている。

タッソーのような16世紀の詩人の「恐怖」の要素を取り入れるという影響が、19世紀のスウィンバーンのような作家に受け継がれていく。

けれど、それはかつてのまま受け継がれるのではなく、より文学と現実の垣根がなくなる形をみせるのが19世紀だったようです。

病んだ都市におけるロマン主義

プラーツは「17世紀の作家にあっては、往々にして知的ポーズにすぎなかったものが、ロマン派においては感性のひとつの在り方となった」と書いています。

17世紀の「コンチェッティ(奇想)」にロマン派の感性が取って代わるのである。アディマーリなどは、美しいせむし女、美しい黒人女、美しい狂女、美しい埋葬された女について機知の戯れにふけることはあったかもしれぬが、このようなグロテスクな幻想、奇抜な思い付きに、リアルな実体を与えようとはしなかったろう。それに対して、ロマン派は、こうした想像力の錯乱を生きようとした。あるいは実体験にもとづくものであるという印象を与えようとした。加えて17世紀にこれらの主題があらわれるのは、まだまれで付随的であった。この時代の作家たちが感覚の新しさよりも機智を誇示するためにこころみたとすれば(いくらか網羅的な畸形のリストを掲げているアディマーリは、そのよい例である)、ロマン派においては、同じ主題が、放逸な、不気味な、恐ろしい、数奇なものに向かう同時代の全般的な趣向と本質的に融合していたのである。

冒頭にも書いた通り、18世紀から19世紀前半にかけては、都市には貧困層が集まる地域を中心にさまざまな病に冒された人々が数多くいました。そして、当時の病は見た目にもあきらかにそれとわかる変化を伴う、ハンセン病、梅毒、天然痘なども多かったし、奇形児として生まれてくる子供も多かったのです。それはごくごく身近にある恐怖の対象でもあったし、避けるべき対象でもありました。
実際、奇形や病んだ皮膚など、標準とは異なるものを避けようとする思いは18世紀には啓蒙主義や美しく整った英雄たちの美を追求する新古典主義、理想の顔の形を考察した観相術などの形であらわれていたわけですが、そうした綺麗事の追求に異を唱えたのがロマン主義の作家たちでした。

ロマン主義の作家ではありませんが、同時代の画家であるゴヤが描いた、下のような絵も19世紀の同じ時代の空気を反映したものと考えてよいでしょう。


▲フランシスコ・デ・ゴヤ 「我が子を食らうサトゥルヌス」(1819-1823)

サドの末裔

その時代の都市に存在したのは肌の汚れた病人たちや奇形の子供ばかりではなく、彼らの末路としての屍体の山もあったはずです。

そうした光景が、ドラクロワのような画家をして、画面のあちこちに屍体が転がる絵を描かせたともいえるはずです。

605px-Eugène_Delacroix_-_La_Mort_de_Sardanapale.jpg
▲ウジェーヌ・ドラクロワ「サルダナパールの死」(1827)

『キオス島の虐殺』の迫害を受ける病める女たち、馬に裸のまま繋がれた美しい囚われの女。ちょうどサドが描いている饗宴−そこには芸術の香りは露程も感じられないが−のひとつのように、サルダナパロスの婚礼と死出の床で虐殺される美しい寵妃たち。(ドラクロワの最初のスケッチでは、右側の奴隷女は首を斬り落とされており、実際の絵画では、剣の下に倒れんとしている。)『コンスタンチノープルの入城』では、凌辱され、殺害された女が、乱れた体で階段の上に倒れ伏し、汚れにまみれ疲れ切った金髪の貴婦人が、息絶えた母親の蒼白い顔の上に屈み込んでいる。溺れるオフィーリア、そのイメージはドラクロワにつきまとうだろう。



▲ウジェーヌ・ドラクロワ「キオス島の虐殺」(1823-24)

上記の引用中に、「ちょうどサドが描いている饗宴」という表現がなされますが、このドラクロワの作品に限らず、19世紀のロマン主義や恐怖小説、その後の象徴主義の作品には、18世紀後半の作家マルキ・ド・サドの影響が指摘されます。しだいに社会からキリスト教的な祝祭が失われていくなかで、その祝祭を反転させたかのようなサド的世界が文学を中心に芸術のなかを蔓延したのが19世紀でした。

19世紀末、象徴主義へ

けれど、そうした悪や闇をみた19世紀の雰囲気も後半になり、都市の生活環境や衛生状態がすこしずつ改善されていくと様相が変わっていく。

例えば、この象徴主義の画家ギュスターブ・モローの絵。


▲ギュスターブ・モロー「オルフェウス(オルフェウスの首を抱くトラキアの娘)」(1865)

オルフェウスの首を抱える女性を描いた絵で、屍体が相変わらずそこにあるという意味では、ロマン主義の流れを継いでいるとはいえますが、あきらかにその表現はソフトになっています。
それは先のドラクロワの作品と比べてみると、あきらかではないでしょうか。

実際、プラーツも次のように書いています。

しかしドラクロアは、その主題の内深くに分け入って生きるのであるが、モローはその外観をただただ熱愛するばかりである。したがってドラクロアは画家であり、モローは装飾家なのである。モローは、絵画の領域に入り込んだ文学的なものを情熱的な要素とみなし、それに即して、ふたつの原理を掲げている。つまり「美しい無力という原理」と「必要な豊かさという原理」である。

このあたりの変化は、ちょうど海の向こうのイギリスにおけるヴィクトリア朝の絵画が描いた世界観にも通じるものがあるように感じます。「ヴィクトリア朝の宝部屋/ピーター・コンラッド」という記事で紹介した、フォード・マドックス・ブラウンの「イギリスの見納め」という作品も、モローの作品同様に装飾と化しているようにみえます。その『ヴィクトリア朝の宝部屋』という本のなかで、ピーター・コンラッドは19世紀を「個性の追求」の時代であるといい、18世紀の新古典主義が描く理想的な人間像から離れ、現実に生きる各々個性的な人間に目を向け始めた点を指摘していますが、その個性の追求の姿勢ゆえに「19世紀の文学は全体から離れて細部へと向かい、規範的な美の基準から離れて無限に多様な醜悪さへと向かう」としているし、その理由として「醜悪さこそ個性の原理となるからでありーわれわれは美の理想からの隔たりによって、個人となる」からだといっている点も、プラーツが描き出したロマン主義から象徴主義へと連なる19世紀文学の傾向そのものだといえるでしょう。

そして、それは同時代の、アーサー・コナン・ドイルが描いた、シャーロックホームズもののような形での屍体収集ストーリーや、逆に、生き物が存在しない現実から切り離された世界を描くルイス・キャロルのアリスの物語のようなナンセンスにも通じています。キリスト教的祝祭が永久に失われた都市環境で、どこまでも死や醜悪さに向かい合うための新しい方法を模索しなければいけなかった19世紀という時代の事情を文学や絵画などの芸術をまざまざと映し出しているように思います。

そんな19世紀は、僕らの時代からそれほど遠くないようでいて、やはり僕らがもはやそこから隔離されてあるような身近な病や死というものと常に向き合っているという意味では大きく異なっているのだということをあらためて感じたりします。

それにしても、「肉体と死と悪魔」というタイトルどおりの19世紀の雰囲気を膨大な事例をもって伝えてくれている、このマリオ・プラーツの一冊はすごく読み応えがあって、楽しかったのと、ここからさらにユイスマンスの『さかしま』やフローベルの『聖アントワヌの誘惑』などの小説を僕に読ませるきっかけを与えてくれたりと、ある種の知のターミナル的な価値のある1冊でした。



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posted by HIROKI tanahashi at 00:30| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする