レンブラントの目/サイモン・シャーマ

17世紀の中頃、いよいよデザインという思考の形が人々の頭を支配しはじめたのがその時代であったと僕は考えています。

後に18世紀に入れなテーブル(表)にデータを並べる操作により、リンネにはじまる近代分類学という科学的な物の見方が生まれたり、さらにその1世紀後の19世紀には同じく品物をあるルールに基づき陳列することで、万国博覧会や百貨店という物の価値=意味を提示するための方法の創出にもつながっていくデザイン的思考によるさまざまな発明。

そんな風にさまざまなものを収集しレイアウトすることで意味=価値を生みだす視覚的イリュージョンが、17世紀の中頃から、それを行う人の思考さえもそれ以前とは大きく変えはじめます。その新たな思考の技法を駆使して、世界の見方を整え、理解を促そうという思考のあり方、つまり、デザインという思考のあり方が浸透しはじめた大きな変化のはじまりが17世紀中頃だったと僕はみています。



そんな17世紀中頃のまさに時代を変えた場所の1つであったアムステルダムという都市に生きた画家レンブラント。

その彼の生涯を、いや、それどころか、彼に先行するルーベンスの生涯どころか、その父親の生涯からたどることで、いかに17世紀のオランダやフランドル地方においてカトリックとプロテスタントの対立や、それと決して無関係ではないアムステルダムの経済的発展が、どのような形でルーベンスやレンブラントの芸術に影響を与えたのかをしっかりと描き出した700ページ、2段組の大著が今回紹介する歴史学者サイモン・シャーマによる『レンブラントの目』です。

分厚い本が好きな僕ですが、さすがにこの分厚さにはやられました。

この本を読みながらあらためて理解したのは、宗教改革という西洋におけるキリスト教社会の変革が人間にとってとてつもなく大きな変革をもたらす影響力の強いうねりだったのだということでした。そして、その影響が絵画の上にもはっきりとした形であらわれていて、その対比をみるのにルーベンスとレンブラントの関係はとても象徴的な関係であることも知りました。

はじめに書いたとおり、17世紀が人間の思考の大きな変革のポイントであったことは、これまでも折をみていろいろ(これとか、これとかで)書いてきましたが、まさにその変革の足跡がレンブラントの目によって描き出された絵画という形で残っていることを知り、どきどきしながら、700ページ超・2段組の大作を読み進めることができました。だから、このとてつもなく分厚い一冊も途中で投げ出すこともせず最後まで読み切れたのでしょう。

そんな濃い一冊から、1つのポイントとして、ルーベンスとレンブラントの関係をカトリックVSプロテスタントという対立という視点からすこしだけ書き出してみることで、この本の紹介になればと思います。

『キリスト昇架』

では、カトリックの画家ルーベンスとプロテスタントの画家レンブラントの作品を比べてみることにしましょう。
比較しやすいよう、2人がおなじテーマを扱った作品をみてみたいと思います。

最初は『キリスト昇架』。
まずはルーベンスが1610-11年にかけて描いたアントワープ大聖堂の祭壇画としての『キリスト昇架』。

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ピーテル・パウル・ルーベンス『キリスト昇架』(1610-11)

「フランダースの犬」で主人公のネロが見てみたいと願い、死の間際にようやくその願いがかなった2枚の祭壇画の1つがこの絵です。ネロはルーベンスに憧れ、画家になることを夢見た少年でしたが、この本を読むとレンブラントもまたネロと同じくルーベンスに憧れていたことがわかります。それほどルーベンスというのは生前すでに成功し名声をえていた画家だったわけです。

絵そのものに目を向けると、十字架にかかるキリストの身体を、筋骨隆々の男たちが何人も力を出して、なんとか十字架を起こそうとしている様子が劇的に描かれています。文字通り、キリストを十字架にかけるという重さがあらわれた絵です。

一方、同じテーマを描いたレンブラントの絵はどうか?
それがルーベンスから20年すこし経って描かれたこの絵です。

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レンブラント・ファン・レイン『キリスト昇架』(1634年頃)

まったく印象が異なりますよね。
まず十字架を持ち上げる重さは、ルーベンスの絵とは比較にならないほど感じられません。それどころか、十字架の上のキリストも貧相な身体として描かれていて、神々しさは感じませんし、それを持ち上げる人々は光も当たらず、目立ちません。光が当たるのはキリスト自身と、右足の下にいるベレー帽の男、さらにその後ろにたつターバンの男くらい。ルーベンスの絵のような劇的な印象からはほど遠い絵です。サイズ的にも小さなこの絵は大聖堂のような場ではなく、よりプライベートな空間に置かれる前提で描かれています。

そして、先のベレー帽の男。これレンブラント自身なんですね。
本書では、レンブラントは自画像も多いし、自分の作品に登場する頻度も多い画家だと書かれています。

『キリスト降架』

次はキリストが十字架から降ろされる場面を描いた『キリスト降架』に関しても2人の画家の作品を比べてみたいと思います。

またルーベンスの作品から先に。

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ピーテル・パウル・ルーベンス『キリスト降架』(1611-14)

先の「昇架」と同じくアントワープ大聖堂の祭壇画の1つであるルーベンスの『キリスト降架』。
こちらも見るからに劇的な印象の絵ですね。白いキリストの身体とその下でキリストの身体を支える男の真っ赤な服。さらに右上では白髪の男がキリストの身体をつつむ白い布を歯を食いしばって噛んで支えています。絵の中でもっとも目立つキリストの身体がマニエリスム期の特徴である蛇状曲線となって、右上から左下へと視線をいざないます。

著者のサイモン・シャーマもこの絵について、こう記しています。

キリストの体は地上の生命力をすっかり失っているはずなのに、ルーベンスの巧みな肉付けでしっかりした体格をなお保ち、あまつさえ放つ光で、白い屍衣、そしてアリマタヤのヨセフ、聖母その他の嘆くマリアたち、マグダラのマリア、クレオパの顔に遍照する。ゴルゴダの丘の落日の薄暮に進む光景で、夜闇がしだいに罩めてくるのに、イエスその人が光を発する源である。
サイモン・シャーマ『レンブラントの目』

一方のレンブラントの『キリスト降架』はどうでしょう。

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レンブラント・ファン・レイン『キリスト降架』(1634年頃)

こちらもルーベンスの「降架」と比較すると、なんとも地味な印象のレンブラントの『キリスト降架』。
ルーベンスの絵ではみんながキリストの身体に近づいて、その身体に触れていましたが、このレンブラントの絵ではまわりに傍観者が目立ちます。
そして、その分、空間自体の広がりを感じ、キリストの身体が小さくみえます。実際、ルーベンスの祭壇画と比較すると随分小さな絵なのですが、空間の大きさはこちらのほうが大きくみえるのが不思議です。

カトリックとプロテスタント

キリストの十字架への昇架/降架という物語をかたや劇的に描いてみる人に印象づけるカトリックのルーベンスと、キリストの身体もごくごく普通の人の身体と同じように描き、その様子も必要以上に演劇性をもって描こうとはしないプロテスタントのレンブラント。

まだ聖書が印刷されるようになる前から、ゴシックの大聖堂に刻まれた彫刻やステンドグラス、そして、タペスリーや絵画に描かれたイメージを通じて、神の教えを文字が読めない人々に語ってきたカトリック
一方、グーテンンベルクの活版印刷技術の発明以降、印刷されるようになり、比較的一般の市民も手に入れ所有することもできるようになった聖書を何よりも大事にし、それ以外の絵画や彫刻などのイメージを偶像として嫌ったプロテスタント
まさに、その宗教的態度の違いが、ルーベンスとレンブラントの絵の違いとしてはっきりとあらわれていることが同じ画題で比べるとよくわかります。

戦火の時代に反映した都市アムステルダム

ついでにもうすこし時代背景について書いておきましょう。

ルーベンスやレンブラントが生きた時代というのは、カトリックとプロテスタントの宗教的対立に、経済的覇権を争うさまざまな国の思惑が重なり、ヨーロッパ全体が危機に瀕していた時代でした。

危機の具体的なものは、ボヘミアでのプロテスタントの反乱をきっかけに勃発した30年戦争で、神聖ローマ帝国を舞台として、1618年から1648年に戦われた国際戦争です。
さらにレンブラントが生きたオランダに関していえば、スペイン・ハプスブルク家の領土とされていたオランダの独立戦争もありました。勃発したのは1568年です。スペインがネーデルラント連邦共和国の独立を承認したのが30年戦争の終結でもある1648年。1609年から12年間の休戦期間を含むものの、80年間もの長期にわたるオランダ独立戦争は80年戦争とも呼ばれます。

ただし、ネーデルラント17州のうち、アムステルダムのあるホラント州などの北部7州は1600年くらいにはネーデルラント連邦共和国として実質的に独立を果たしていました。
1602年には世界初の株式会社といわれるオランダ東インド会社がアムステルダムに本社を置く形で設立。1602年から33年までのオランダ・ポルトガル戦争で香辛料貿易を奪取したことで、この貿易の富がアムステルダムの流入。17世紀のネーデルラント共和国は黄金期を迎えることになるわけです。

戦時中ではありつつ、戦火からはすこし離れて栄えた都市アムステルダム、レンブラントがその都市で活躍したのはまさにこの時代だったわけです。

光るもの

そんな時代のアムステルダムで絵を描いていたレンブラントの先の2つの作品にもう一度目を向けてみましょう。



ルーベンスの作品に比べると地味な印象のあるレンブラントのこの2つの絵。あらためてみてみて何か気づくことはありますか?
「光と闇の魔術師」たるレンブラントらしく、画面上の明暗のコントラストがはっきりしているのに気づくでしょうか。では、その光はどこから来ているでしょうか? そう。キリストの身体自体が光っているように見えるんですね。



ルーベンスの先の2点の絵画でも同様です。
レンブラントほど、はっきりしたコントラストは見られませんが、キリスト自ら発光し、周囲を照らしだしています。辺りが暗くなった状態を「降架」のほうが、より顕著にわかりますね。

レンブラントのほかの作品もみてみましょう。
下は『30枚の銀貨を返すユダ』という作品です。


レンブラント・ファン・レイン『30枚の銀貨を返すユダ』(1629)

この絵で、床に落ちた銀貨以上に光が当たっているのは、左に座った男の机の上に広げられた書物です。いや、この書物に関しては光が当たっているというより、自ら発光しているようにみえます。つまり、それはこの書物が聖書だということを示しているということになります。

聖なるものが光るのは、ある意味、中世からの西洋絵画の伝統です。
例えば、有名なフラ・アンジェリコの『受胎告知』。


フラ・アンジェリコ『受胎告知』(1438-1445年頃)

1438年-1445年頃の中世が終わりかけ、ルネサンスがはじまりかけている時期に描かれた絵画ですが、聖母マリアとその元にあらわれた大天使の頭上には後光のさしたような円が描かれています。これは中世以来、キリスト教絵画におけるルールでした。聖なるものには光の輪が描かれ、一般の人とは区別して描かれていました。

ルーベンスやレンブラントの作品で聖なるものは光るのも、このルールの延長にあるとみるとわかりやすいです。

光の魔術師

ところが、「光の魔術師」と称されたレンブラントの作品では、聖なるもの以外も光ります。

例えば、比較的初期の成功作である『テュルプ博士の解剖学講義』。


レンブラント・ファン・レイン『テュルプ博士の解剖学講義』(1632)

アムステルダムに移って間もないレンブラントが描いた作品であり、レンブラントの名を一躍有名にしたこの作品で光り輝き、周囲の医学者たちの姿を照らし出しているのはほかならぬ解剖の対象である屍体です。

「解剖」というモティーフは当時の最先端のテクノロジーを描いていたということでもあります。
まだ科学と魔術が完全に分離していない、この時代において、マクロコスモスとミクロコスモスは重なっていて、それゆえに人体の中を知ることは世界を、宇宙を知ることにつながると考えられていました。

先にも述べたとおり、アムステルダムが栄えたのは1602年にオランダ東インド会社の本社が設立され、インドの香辛料をはじめとした貿易で巨大な富を生みだしていたからでした。当然、富を生みだす貿易港には、世界中から見たこともない様々なものが集まります。それを集めた部屋が驚異の部屋であり、レンブラントも自分の家に驚異の部屋をもっていました。世界中から珍品が集まるということは、それだけ理解の外にあるもので周囲が満たされるということでもあります。
つまり、アムステルダムは一番栄えた街であると同時に、一番、未知=驚異に晒された都市でもあったわけです。とうぜん、未知が増えれば、知りたくなる。だから、解剖です。

この絵では、死体の左手が解剖されています。
解剖を描いた絵は当時他にもありましたが、このようにリアルに解剖された腕を描いた絵画はなかったのです。だから、成功した作品なのですが、それは同時に、聖なるものに変わる大いなる知としての解剖を光り輝く形で描いたからでもあったといえるのでしょう。

そして、そのことは絵画が宗教のためのものであることを離れ、世俗的なものになったことを示しているのだといえます。もはや光り輝くものは聖なるものに限らず、人間的な偉大な知や権力などへと移っていったのです。
神から人への権限移譲が起こり、そして、権限を得た人間は自分たち自身の知・思考によって、世界をつくりかえていきました。そう。それがデザイン的思考が社会に浸透を可能にしたのです。

イベント「ウロボロスの洞窟と光の魔術師」のスライド

さて、ここで今回書いたことは、実は今年の1月に開催したイベント「デザインの深い森 Vol.3 ウロボロスの洞窟と光の魔術師」で詳しく話しています。

以下に、そのときのプレゼン用スライドを共有しておきますので、もっと詳しく知りたい方はぜひ見てみてください。



このプレゼンをしたのも、まさにこの大著を読んだおかげでした。分厚い一冊ですが、それだけ僕の知的好奇心を刺激してくれた素敵な一冊でした。



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