使い勝手というのは、そういう意味で重要で、特に代替品がすぐに見つかる場合のシステムの使い勝手は、そのシステムが使ってもらえるかどうかに関わるシステムの存在価値を左右する問題です。
例えば、このブログにもいちおブログ内検索機能はついてますが、あまり精度がよくないので僕自身、ブログ内を検索する際には、Googleのサイト内検索機能を使いますから。
使い勝手が悪いと、外部の代替品を使用するっていうのはそういうことです。
組織というシステムの使い勝手
その問題は、実はITシステムのような目に見える形で物理的に設計されたものにだけあてはまるわけではありません。組織におけるさまざまなシステム(例えば、業務フローやプロセス、ルールなど)も同じように使い勝手が悪く、かつ代替品があれば、そのシステム自体が利用されないということになりかねません。
特に代替品は問題です。
いまどきアウトソーシングは当たり前ですし、簡単なことならエンドユーザーは自分でやってしまいます。別の手段で代替可能であれば、人はわざわざ使い勝手が悪く、面倒で、イライラさせられるようなシステムを利用したりせず、より使い勝手がよく効率の良い代替手段に流れます。それが決して正規のルートではないとわかっていても。
しかし、そもそも組織において、あるシステムを導入するということは、そのシステムが行う業務の一貫した品質の保障だったり、管理を容易にするという目的をもっていると思います。しかし、システムの使い勝手が悪く、結果として使われなければシステムは本来の目的を達することはないでしょう。
システムを導入する人と実際にシステムを使う人は違うということです。
システム導入側のシステム中心のデザインではうまくいかないのです。そうではなく、システムを使う側の使い勝手、それから、使う側のインセンティブを考慮した人間中心のデザインが必要なのだと思います。
それが結果としてシステムを利用してもらい、本来、システム導入を行う目的も満たされるのですから、システム導入側こそ、本来は使う側の使い勝手やインセンティブを考慮する必要があるのです。
使う人のインセンティブ
システムには使い勝手の問題と、もうひとつインセンティブの問題があります。自分でやれば面倒くさくないことを、わざわざ人に説明する時間を要してまで頼むというコストを払おうなんて人はいません。人に頼むのは、頼むことで頼む時間を割くというコストに見合うインセンティブがあるからにほかなりません。
自分でできることでも人に頼むインセンティブは、単純に作業時間の削減ということもあれば、自分でやるより高い品質のアウトプットが得られるということもそうでしょう。
同じようにシステムを利用し、例えば、システムに何かを入力するという手間を積極的にかけようとするのは、入力することでそのための作業時間というコスト以上のインセンティブが得られるだろうと期待するからです。
自分が作業をするというコストを払って、何のインセンティブが得られなかったり、ましてや、何かしらの作業をシステムに対して払うことでデメリットが生まれるのであれば、人は決してそのシステムを利用しようとはしません。
それはいくらシステム管理者が利用してくれといったとしても、使う側は単に抜け道を探して他の手段を利用するだけです。
アダム・スミスの経済学
ようするに、そういう人の気持ちの経済学がわからない人はユーザブルなシステムを設計できないし、導入もできないんだと思います。スティーヴン・レヴィットは『ヤバい経済学 ─悪ガキ教授が世の裏側を探検する』の中で、こんな風に言っています。
古典派経済学の始祖、アダム・スミスが、もともと何よりも哲学者であったことは覚えておくに値する。彼は道徳主義者になろうとして、やっているうちに経済学者になってしまった。彼が1759年に『道徳感情論』を出版した頃、現代資本主義がちょうど始まろうとしていた。スミスはこの新しい力がもたらす劇的な変化に夢中になったが、彼は数字にだけ惹きつけられていたのではなかった。彼が興味を持ったのは人への影響であり、与えられた状況の下で人がとる考えや行動を経済的な力が大きく変えてしまうという事実のほうだった。
「彼が興味を持ったのは人への影響であり、与えられた状況の下で人がとる考えや行動を経済的な力が大きく変えてしまう」という引用に表現されている意味で、アダム・スミスが興した経済学というのは、紛れもなくお金というアーティファクト、経済というシステムと人とのインタラクションを研究する学問だったんだと思います。
かつてユーザビリティは経済学が扱っていた?
そうした人と経済システムあるいはお金というアーティファクトとのインタラクション(インセンティブや使い勝手)を研究する傾向は、現在の行動経済学の分野にもちゃんと引き継がれています。本書は、「勘定から感情へ」というテーマを通奏低音としつつ、行動経済学という新しい経済学の基礎について広く紹介し、検討することを目的としている。(中略)本書は、行動経済学の入門書であると同時に、経済行動の背後にある心理的・社会的・生物的基盤を探り、行動経済学の基礎を固めることを目指す。
「行動経済学 経済は「感情」で動いている/友野典男」でも書きましたが、行動経済学は認知心理学から多大な影響を受けています。
僕はこの人間の利益や損失に敏感な「インセンティブ」という感覚を扱う経済学という分野は、人間工学やノーマンらの認知科学側からのユーザビリティ研究に先立つ人間行動の研究分野だったんだろうなと思っています。
経済システムというインフラから、人々の興味がより上層の製品だったり、サービスだったりに移行するにつれて、人間行動や認知やモノと人のインタラクション、ユーザビリティを研究する分野が、経済学から人間工学やいわゆるユーザビリティ研究に移行してきたんだろうと考えています。
システムは使ってもらわないと利益を生まない
こういう点も含めて、人の使い勝手やインセンティブというものを考慮せずに、システムをつくってしまうのは、単にユーザビリティ的な感覚がないだけではなく、経済学的な感覚も欠如しているのではないかと思うのです。それは企業のような利益を追求する組織において、なんらかのシステムを導入する場合には結構致命的ではないかと感じます。
よく言われること、本当に、よく言われることですが、システムを導入する人と実際にそれを使う人のニーズや目的は違います。ニーズや目的が違えば、それを使う際の使い勝手も変わりますし、インセンティブも当然変わります。
マーケティングにおいて、買う人と使う人が違う場合も当然、その違いを考慮したコミュニケーションを図ります。
それはITシステムでも、マーケティング・コミュニケーションのシステムでも、組織においてプロセスやルールとして定められたシステムでも同じだと思います。
どんなシステムも使ってもらわなければ、そのシステムを使う人にはもちろん、システム導入を行った人にも利益は生まれません。
相手ではなく自分が変われ
では、使ってもらうにはどうすればいいか?ほとんどの人は真のニーズに気づいてないから、それを見つけるには自然な状況で注意深く観察する必要がある。訓練を積んだ観察者は、しばしばそれを経験している人でさえ意識的に認識していないような問題点や解決方法を見つけることができる。ドナルド・A・ノーマン『エモーショナル・デザイン―微笑を誘うモノたちのために』
観察。そう、観察。
相手のことを知ろうとする気持ちが重要なんだと思います。
相手に教えてもらうのではなく、自分が相手を理解しようとして自分で発見するんです。
相手に変わってもらうのではなく、自分の意識を変えることだと思います。
重要なのは、相手が何に困っているか、相手が何をメリットと感じるか、です。
自分が何に困り、自分のメリットが何かじゃないんです。
自分のメリットのため、組織に何らかのシステムを勝手に導入して、それでうまくいくことを望んでも、そんなの鼻からうまくいくわけがないのです。ご愁傷様。
結局は、汝の隣人を愛せよ、ってことなんじゃないかと思います。
DESIGN IT! w/LOVE ってことです。
とはいえ、どんなに相手のことを知ろうと思ってもすべてを知ることなんて無理ということを知ることこそが大事です。
それでも自分以外の人がしてることが気になるんだとしたら、それは相手を信じたり、相手に任せられることができるほどの自分の心構えができていなかったり、度胸や自信がなかったりというだけなのではないでしょうか?
その意味で、何か相手が自分の思うとおり動いてくれないと感じたら、疑うべきは相手ではなく、自分の行動だったり他人への接し方です。
そこに下手なシステムを導入して相手に変わってもらうのではなく、自分の意識を変えることだと思います。
特に自分といっしょに働こうとする人を信頼しなければ、何事もうまくいくはずなんてないと思います。
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