きっと、そうしたほうがブランディングに関する考えを具体的にまとめていきやすいと思って、そういう話をしていたんですが、先日、人間中心のデザインについて考えをあらためて以来、形がなく、人が自分の体験した複数の経験の複合からその価値を評価したりしなかったりする対象であるブランドこそ、まさに人間中心のデザインの対象としてぴったりなんだなと思いましたので、そのあたりをすこし。
形のないもののデザイン
はじめに、目に見えるものだけがデザインの対象ではないという点。例えば、サービスというのはデザインの対象です。しかし、サービスというのは必ずしも目に見えるものではありません。もちろん、サービスをする人の個々の動きは目に見えます。しかし、デザインすべきは結果して生じる個々の動きというよりも、そうした動きを個々人に行わせるためのプロセスだったり、各段階での行動の目的やゴールだったりします。そして、それらは個々人の行動という表現されるまでは目に見えません。
先日、書いた「会議をデザインするのに必要な3つのポイント」なんかも目に見えないもののデザインの一例になると思います。
名詞としてのデザイン、動詞としてのデザイン
デザインという言葉のカバーする領域はとても広い。人によって、その言葉から受ける印象はいろいろあるのだなというのが最近実感できました。例えば、デザインという言葉を、デザインされたものと捉える場合とデザインするという行為として捉える場合があります。名詞としてのデザイン、動詞としてのデザインとでもいえばよいでしょうか。
僕はほぼ後者の意味でデザインという言葉を用いますが、それは自分がデザインしている現場に近い位置で仕事をしているからでしょう。広義にデザインを捉えて、計画や企画という意味でデザインを捉えるなら、僕もデザインしていることにもなりますし。
形が行為をアフォードする
そういう意味で僕はデザインという行為を、意図したものを具体的に生み出す作業だと考えています。具体的に生み出すというのは、物質として形にすることもあったり、HTMLやCSSを含むコードという形で表現することもあったり、先の例のようなサービス設計という形で実現することも含みます。
また、意図するというのは、そこでできるものをこういう形にしたいという意図のみならず、それをそういう形にすることであることが達成されるようにしたいという意図も含むのだと思います。サービスのような目に見えないものの形も含めて、形がある決まった行為をアフォードしてくれるようにする作業がデザインだと考えています。
ブランドというアーティファクト
よく言われるように、ブランドとは顧客のこころの中にある評価の総体です。当然、人はそれぞれ違ったブランド経験をするなかで、それぞれのこころの中に対象ブランドの評価、価値を感じていくことになりますので、それぞれの人が感じるブランドというものは異なったものになります。ただし、その個々人間の違いも、「赤」という言葉が実際にはそれぞれの人で違いをもっていたとしても同じような「赤」という言葉で代表することが可能なように、ブランドに対する人々の感じ方の違いもある程度、適切な共通点さえもっていれば、ブランド名やロゴ、シンボルなど、ブランドのもつアイデティティによって代表することで、違いを超えて、同じものとして捉えることが可能になります。
ですので、そもそもブランドというものは、言葉をつかうコミュニケーションを行う人間にとっては、きわめて自然なアーティファクト(人工物)なのだと思います。
言葉が実際にはそれぞれ違った感じ方をしているはずの人々の対象に対する思い、意識を代表するように、なにかしら共通の思いや意識さえあれば、人々が感じるすこしずつ異なるブランド価値をブランドのアイデンティティに代表させることで、ひとつのブランドという価値にまとめあげることが可能になるのでしょう。
言語とブランド
言語というコミュニケーションおよび認知のためのアーティファクトを使える人間だからこそ、ブランドというアーティファクトが価値をもつのだと思います。それはある意味では言語のなかで流行語が生まれることとベースにあるものは共通しているのだろうと思っています。ドナルド・A・ノーマンは『人を賢くする道具―ソフト・テクノロジーの心理学』の中で、言語という人間が長年愛用しているシステムについて、論理と比較した形で次のように述べています。
言語は何万年もかけて現在の形に進化してきた人間中心のシステムであり、世界中にそれぞれの言語として数多く存在している。言語は人間のニーズに仕えなければならない。つまり言語が役に立つには多義性や不正確さを許容しなければならないし、雑音や困難さに直面した場合には頑健でなければならないということである。さらに使い勝手(単語や発話が短い方が良いことになる)と、厳密さや正確さ(発話が長く。もっと詳細な方が良いことになる)という相反するもののバランスをとらなければならない。もっぱら勝利を収めるのは使い勝手なのだ。
多義性や不正確さの許容、雑音や困難さに対する頑健さが必要なのは、ブランドでも同じでしょう。ここでノーマンは言語のこうした性質を、論理のもつ「エラーに対して寛容ではない」性質と比較して論じているのですが、この対比は形あるものとしてデザインされる物理的な製品と、明確になにか物質的なものとしてデザインされるわけではないブランドの対比としても使えるのではないかと思います。
製品とブランド
例えば、ケビン・レーン・ケラーは『戦略的ブランド・マネジメント』のなかで、ブランド、とりわけ強いブランドは、非常に多くのタイプの連想を有しているが、マーケターはマーケティングの意思決定において、それらすべてを把握できなくてはならない。ケビン・レーン・ケラー『戦略的ブランド・マネジメント』
と書いています。
「すべてを把握できなくてはならない」かどうかは別として(もちろん、できるに越したことはありませんが、厳密にはできません)、「非常に多くのタイプの連想を有している」という多義性に関しては、まさに製品とブランドが大きく異なる点ではないかと思っています。
もちろん、製品にも人々はそれぞれいろんな連想をもちます。それでも目に見える製品は連想の種類をある程度、限定しやすい。つまり、それはわかりやすい。
一方のブランドは、目に見えるものではない分だけ、製品のように連想の種類が限定されにくい。ただし、連想が限定されない分だけ、多義性や不正確さを許容しやすいのではないかと思います。
そして、それゆえにブランドをデザインするという行為は、製品をデザインするという行為以上にむずかしく思えてくるのでしょう。
この点に関しては、後編につづきます。
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