賛否両論的な反応でしたけど、まぁ、こんな風に盛り上がって、それぞれがデザインについて考えるきっかけにでもなったとしたらよしかなと思って、最後のほうはちょっと傍観気味でした。
デザインとは何か?
まぁ、こんな風にいろんな意見がでるのも人によってデザインというものの捉え方が異なるっていうのが1つの理由なんでしょう。デザインを定義しないと、といった意見もありましたが、「デザインは"デザイン"の下流工程ではない」というエントリーで僕が考えるデザインの定義みたいなものについては書いたので、ここではあえて繰り返さないことにします。
で、その代わりといっては何ですが、ここで取り上げたいのはドナルド・ショーンというプロのデザイナー(都市計画者、建築家、ソーシャル・ワーカー、ジャズ・ミュージシャン)などを長年にわたり研究してきた人が、前にも紹介した『ソフトウェアの達人たち―認知科学からのアプローチ』の中でのインタビューに答えていることです。
「デザインとは何か?」という疑問を推し進めていって突き当たる問題のひとつは、複雑さへの感覚です。人工物、システムあるいは状況を全体として見ると、そこにはさまざまな要素が含まれます。素材、デザイナーが見た目的意識や制限、デザインのプロセスの結果生まれる人工物を最終的に使う人々など。ドナルド・ショーン「第9章 素材との自省的対話
テリー・ウィノグラード編『ソフトウェアの達人たち―認知科学からのアプローチ』
昨日「記憶、物語、分析、そして、創造性」というエントリーでも書きましたが、デザイナーや映画や小説などといった形で物語を紡ぐ人が分析的スキルによるコンセプトの抽出とともにもっているはずの、より包括的に調和的に全体を捉える能力こそが人々の共感や感動を生み出す作品やモノを生み出す原動力だと僕は最近思っています。
ドナルド・ショーンが上の引用の中で答えている「人工物、システムあるいは状況を全体として見る」という感覚、そして、その全体の中に含まれた要素の複雑性に全体的な視点で対応していく作業こそがデザインなんだろうなと思っています。
デザイナーの意図と結果をつなぐまっすぐな道はない
デザイナーはこの複雑な要素が絡み合うことで「意図した通りの結果だけをまねくように動かない」状況において、常に不測の事態にさらされているとショーンは言います。そして、
この予測不可能さが、デザインの核心的な性質です。デザインを定義づけるものではないにしても、重要なものです。つまり、デザイナーの意図と結果をつなぐまっすぐな道はないのです。ドナルド・ショーン「第9章 素材との自省的対話
テリー・ウィノグラード編『ソフトウェアの達人たち―認知科学からのアプローチ』
と続けます。
なぜデザインがいま注目されているか?
最近、デザインという行為に注目が集まっている背景として、『ハイ・コンセプト』や『フラット化する世界』などの書籍でもテーマとして扱われている、インドなど人件費の安い国々への知的作業のアウトソーシング、ルーティンワーク的な事務作業のコンピュータ処理といった問題があります。アウトソーシングやコンピュータ処理で代行可能な作業はどんどん低賃金化していきます。それは「技術で戦うということの脆弱性」というエントリーで扱ったのと同様、エンジニアリング的な「あるレベルの確実性をもったルールの集合により、問題を分析的に解決していく手法」を扱う上では、技術の転移、外部での代行という問題は避けようがありません。
念のため断っておけば、それは手法が抱える問題であり、エンジニアという職についた人の問題ではありません。だからこそ、いま、エンジニアという職種の方に求められるのもエンジニアリング的な分析的手法と同時に、全体的、包括的にものをみるデザイン的な手法をあわせもつことなんだろうと思います。
そういう背景において、コンピュータでは代行不可能な人間ならではの創造性が関与し、かつ共感や調和といった感覚も重視され、異文化間の移行にも障壁をもちやすいデザインといった分野が注目されています。
そして、デザインが外部やコンピュータ代行などを逃れることができるのはまさにショーンが言うような「デザイナーの意図と結果をつなぐまっすぐな道はない」という理由からなのだろうと考えます。
デザイナーはまさにその道を切り開き続けている
これは「デザインにより人びとの生活を豊かにすることを真剣に考える」で書いたことだけど、「すでにわかっている問題をいままでにない形で解くのもクリエイティブだけど、そもそも問題そのものをクリエイティブに生み出すってのは、さらにクリエイティブ」だと思うんです。その意味で下の引用で、デザイナーが切り開く道というのは、まさに問題そのものを生み出しつつ解消していく過程なんだと思います。
問題に向かう時、デザイナーはまさにその道を切り開き続けているのであり、新しい動きを取るにしたがって、新しい見方と理解を築いていくのです。デザイナーは「結果はいいものになるか?」とか「現在のデザインの状態は、先にやったこととうまく合うか?」、「新しく出てきた問題や可能性は?」といったようなさまざまな問いを通して、それぞれの作業を評価します。ドナルド・ショーン「第9章 素材との自省的対話
テリー・ウィノグラード編『ソフトウェアの達人たち―認知科学からのアプローチ』
デザインという作業は、部分を分析する作業と全体を俯瞰しながら調和を生み出す作業を交互に繰り返しながら行う対話なんだろうと思います。
そこに問題が多く見つけられるほど、デザイナーは対話のなかで自分の置かれた複雑な状況をより深く理解していくことになる。そして、その深い理解こそがよいデザインを生み出すのだろうなと思っています。
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