上司に必要な姿勢(みんなの不幸を減らすために)

よくいますよね。すべてを自分で管理したがる人。
でも、それって部下がきちんと成果をあげるのを支援するのが役目である上司としては失格なんじゃないかって僕は思います。

formal/informal

どこの組織にも、formalなコミュニケーションと、informalなコミュニケーションがあります。

前者は組織的に決められた会議体を指し、後者は組織のなかで個々人が自分の仕事を進めていく上で同僚と日常的に行うコミュニケーションを指しています。
なので、ここで仕事とは明らかに関係のない井戸端会議的なものはどちらにも含んでいません。

どこででも言われていることですけど、formalな会議をうまく効果的に利用することが結構至難な業です。そうなる理由は考えてみればごくごく当たり前だと僕は思っています。

なぜなら、formalな会議はコンテキストを共有しない複数人が集まって会話をしようとすることが多いから、その会議の場自体においてコンテキストを生み出し共有することからはじめなくてはいけないのですが、それがかなり困難だからです。
まず、それが必要ということを人間に対する認知科学的な理解からそれをわかっている人がまずいないし、わかっていてもコンテキストを生み出し共有するというのはむずかしく、だから、formalな会議ってのは、なかなかうまくいきにくい。

文脈は巨大な違いをもたらす。人間は、1つ1つの出来事を心の中のシナリオとしてまとめ上げ、そのシナリオへ当てはまるように、行動や説明、反応をもっともらしく選んでいるのである。
ドナルド・A・ノーマン『人を賢くする道具―ソフト・テクノロジーの心理学』

一方で、informalなコミュニケーションはそういう困難に遭遇しにくい。
基本的にinformalなコミュニケーションというのは、仕事の現場の作業のなかだったり、仕事が終わったあとでいっしょに仕事をしてる仲間同士の飲みの場などで行われるから、そもそもコンテキストが共有されています。

コンテキストの共有により、コミュニケーションのスキームが自然とできあがっていれば、特に会議の目的など明確にせずとも、そもそものコンテキストやコミュニケーション・スキームがもつ目的性により、よほど後ろ向きな人ばかりが集まりでもしない限りは、会話はスムーズに前向きに問題解決を行う方向に進みやすかったりします

informalをformalに変換するコスト

そして、多くの組織では、formal/informalの割合は圧倒的に後者のほうが多いのではないかと思います。
もし、あなたの組織がformalの割合が高いのだとすれば、formalな会議を運営する熟練した高いスキルをもっている組織でもない限り、その組織は著しく創造性に欠けるのではないかと思います。

もちろん、informalなコミュニケーションの割合が高ければ、創造性が高いということにはなりませんが、無駄なformalな会議に多くの時間をつぶされずに済むというだけでも少なくても生産性は高いのではないかと思います。

さて、ちょっと遠回りしましたが、部下の振る舞いを逐一管理しようとする上司がダメだと思うのは、このinformalなコミュニケーションの重要性、そして、仕事をする上でその時間的割合、心理的割合が非常に高いという点を見逃しているためです。

もし、自分が上司でinformalなコミュニケーションまで自分の管理下、つまり、自分のあずかり知る範囲におさめようとしたら、普段当たり前に機能していたinformalなコミュニケーションを廃止することにしかつながりません。
それは仕事を行う上でのコミュニケーションにおけるユーザビリティを低下させることにしかなりません。コミュニケーションは何かをうまく行うための道具なのですから、それをわざわざユーザビリティの悪い道具に変えさせるのは、頭がおかしいとしか思えません。

informalなコミュニケーションを無理やりformalなコミュニケーションに押し込めようとすれば、日常のコンテキスト、つまり、普段の仕事の現場の流れやそれが行われる物理的な環境や道具などをすべてformalな場にわざわざ変換した上でコミュニケーションをはじめるというロスが生じます。

自然で、滑らかで、効率的なインタラクションこそ、仕事のしべての場面においてゴールとなるべきである。だが、多くの場合、自然なインタラクションというのは目に見えないさりげないものである。取り去られるまでは、そこにあるとはわからないし、わかったときでは遅すぎるのかもしれない。
ドナルド・A・ノーマン『人を賢くする道具―ソフト・テクノロジーの心理学』

問題はこのロスを誰が支払い、その支払いによるインセンティブは誰が受け取るのかということです。
この場合、支払うのは部下や部下がいっしょに仕事を進めていた同僚たちであり、インセンティブを受けるのは単に自分の管理を楽にしたい上司だけです。
そんな馬鹿げた無駄を部下ないしは、その仕事の関係者に強いるというのは、「部下がきちんと成果をあげるのを支援するのが役目」である上司としては失格としか思えません。

管理/信頼

うちの会社の役員のひとりがいつも言ってることで僕がいつもそのとおりだなと思って関心する言葉があります。
それは「人を管理するのではなく、仕事を管理しろ」という言葉です。

人にはそれぞれ仕事のやり方があります。いや、むしろ、自分の仕事のやり方が確立できていないとしたら、その人はまだ半人前なのでしょう。
そのそれぞれのやり方をそれぞれの人がうまくまわりと調整しながら、仕事を進めて成果を生み出そうとするのが実際の組織で行われていることなのではないかと思います。
そうした仕事を行っていく上では、informalなコミュニケーションもformalなコミュニケーションもともに大事なものです。

しかし、いったん上司が部下の仕事ではなく、部下そのものを管理しようなどと考えた瞬間、すべての仕事の動きは狂い始めます。

いままでうまくまわっていたことが突然ぎこちなくなり、あけっぴろげに行われていたinformalなコミュニケーションは、管理による禁止により表向きは存在しなくなり、地下に潜ります。
さらにすべてが地下に潜るわけではなく、一部は単に行われなくなり、コミュニケーションの質と量がともに不足する事態を招きます。コミュニケーションが減れば、当然、仕事におけるロスは多くなるでしょう。

部署から部署へと郵便物を配って歩く人たちをコンピュータ制御のロボットで置き換えれば、部署の間をつないでいたコミュニケーション・チャネルを1つ破壊することになる。また、工場の自動制御や伝票などの自動処理も、インフォーマルなコミュニケーションという社員の非公式だが生産的な意思決定ルートを社内に生み出すプロセスを妨害してしまうのである。
ドナルド・A・ノーマン『人を賢くする道具―ソフト・テクノロジーの心理学』

そんな事態を招く管理が僕には必要とは到底思えません。

上司が部下に対して行うべきは管理ではなく、きちんと明確なミッションを伝え理解してもらうことと伝えたあとは部下を信頼することです。

信頼したいなら信頼されろ

何が起こっているのかを知りたければ、目の前でその行為をやらせるのではなく、部下が積極的に報連相をしたくなるように上司自身が自分のスタンスを変えることです。
当たり前なことですけど、部下が報連相をしたくなるのは、上司が自分の報告、連絡、相談に適切な答えをスピーディーにかつタイムリーに返してくれるかどうかです。
それがinformalなコミュニケーションに比べて、適切さ、スピーディーさ、タイムリーさに大きく劣るなら、部下はいやいやながらにしか報連相などしなくなります。

部下を信頼できるかどうかは、部下が信頼できる人物かどうかじゃなく、上司自身が部下に信頼されているかどうかということに関わるものだと思います。
部下を信頼できないでいるなら、それはあなたが部下に信頼されていないからです。

ビクビクしてまわりが何をやってるかを疑う必要なんていったいどこにあるのでしょう?
他人の自由な行動を管理下におくことで、行動の多様性をかき消してしまい、そこに本来生じるかもしれない偶然の発見(セレンディピティ)を無効にしてしまうほど、そんなにあなたはまわりが信頼できないくらい臆病なのでしょうか?

もし、そうなら他人をどうこういう前に自分を変えることが必要です。そして、それはどんな時でも必要なのだと思います。

とにかく自分を変えること

さて、ここまで上司/部下という関係で書いてきました。

でも、実は僕はこれが上司/部下という上下関係に限ったことなどとはすこしも思っていません。それは自分と他人という関係のどの場合でも通じることだと思います。
自分の仕事が他人の仕事の出来に関係しているのなら、ここで書いた上司と部下の関係はまったくそのままあなたの場合にもあてはまると思います。

コミュニケーションを行いたいなら、まず相手とコンテキストを共有するために相手とおなじくらいの価値を自分が生み出せているかを吟味する必要があるでしょうし、単に自分が知りたいというだけの理由でまわりのコンテキストをズタズタに切り裂いてまで会議を招集していないかということを配慮することも必要でしょう。
そして、自分が相手を信頼できない弱さを相手に押し付け、必要以上に相手の動きを逐一知ろうとしていないか、相手がいつもで自分に相談できるよう自分のほうで間口を広げられているか。そういうことを考えていかないといけません。

みんなが幸せになるために本当に必要なこと

みんなが幸せになってほしいと思うなら、ひとりひとりが自分を強くしなくてはいけないんです。何々ができないからと後ろ向きな姿勢を当たり前のように口にしてしまった瞬間、そこから不幸は一気に押し寄せてきます。

できないならできるようになればいいだけです。できないなんてことを必要以上に多く語る必要はありません。
不幸なのは、できないことそれ自体ではなく、できないのだと思い込み、できるようになろうとしないその態度です。

本当にみんなの幸せを願うなら、できるようになろうと自分自身がまず率先して考え、それを実践し、そして、自分ができるようになってみせることでまわりにもできそうだという思いをもってもらうことです。

不幸がいやなら、今いる場所から一歩でも前に進めるよう、他人ではなく自分の力を強化し、他人の役に立てるよう努力することだと思います。

とにかく、それぞれががんばっていきましょうよ。
そして、他人のがんばりを称え、「ありがとう」の気持ちを忘れないようにしましょう。

  

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