ヒトとモノの1対1の関係であれば、そこにユーザビリティという概念は芽生えないはずです。目の前の木々や街を行きかう人々に対してユーザブルかどうかを問う人はあまりいないと思います。
ヒトとモノの関係に、何かしらのコトが起こることが想起/期待された際に、ユーザビリティという概念は生まれるのでしょう。
ヒトがモノの先にコトを想定した時にそれはコトを生み出すための道具となり、コトは用途、目的と呼ばれるようになります。
モノが道具となり、コトが用途となり、そして、ヒトがユーザー(利用者)となった時、ユーザビリティという概念の出番です。
人工的な道具を操るヒトという生き物
ヒトは道具を使う生き物です。そして、同時に道具をつくる生き物です。自然にあるものを道具として用いることもありますが、多くの道具が何かしらの用途を想定してデザインされ、制作された人工物(アーティファクト)です。
ヒトは、ハサミやホッチキス、コンピュータなどの物理的な人工物を道具として利用するだけではありません。言葉や数学、論理やルールなどのメンタル的な人工物も思考および行動のための道具として用います。
それらの道具は人を賢くもすれば、逆に人を愚かにすることもあります。
人工的に作られた道具は、ヒトの本来もつ機能を拡張し、ヒトのみでは実現できなかったことも可能にしています。
そして、普通、人は道具をデザインして制作する際に、それが今まで以上の成果を生み出してくれるよう願って、その用途とともに道具を作ろうとするのだと思います。
認知と道具、そして、コンテキスト
しかし、人工的に作られたものすべてが道具であるわけではありません。あなたのまわりにも多くの人工物があふれかえっていると思いますが、そのうち、あなたが道具として認識しているものはごくわずかではないでしょうか。
道具でなければユーザビリティが問題になることもありません。
そして、問題は道具として作られたものでさえ、道具でない場合があるということです。逆にそれは道具として作られたのではないものでさえ道具になりうるということでもあります。
つまり、道具が道具であるためにはヒトがそれを道具として認知しているかどうかが関わっているということです。
同じモノでもそれが道具として認識される場合とそう思われないこともあります。
それはヒトがどのようなコンテキストでモノと接するかによります。
それまで死んでいた道具が突如として甦るということはよくあることです。
例えば、Ajaxの登場により道具として再生したJavaScriptの例もそうでしょう。
既存のコンテキストでは役立たなかったただのモノが、新しいコンテキストの内で想起されることにより道具性=用途が見出されたりします。
ユーザビリティの評価は限りなく相対的である
つまり、ユーザビリティとは単にモノそのものに張り付いた評価として捉えてはいけないということです。そうではなく、ユーザビリティとは、ヒト、モノ、用途や目的、そして、それらが存在する環境や文化、時代性などのコンテキストの組み合わせにより相対的に変化する評価の度合いだと捉えるべきなのでしょう。
まさに色即是空です。
それゆえ、ユーザビリティの評価の高いデザインを行う、製品をつくるという発想は厳密に言うと正しくはないのだと思います。
もちろん、特定の時代、環境において、ある特定のターゲットユーザー層の特定の用途での利用を考えた場合であれば、ユーザビリティの評価の高いデザインや製品の開発を行おうと努力することは正しい発想です。
しかし、それはマスプロダクトに慣れている現代に生きる僕たちだからこそ、想定しえる限定的な状況なのではないでしょうか。
コンテキストや自分が必要とする目的そのものを多くの人と共有できる状況というのは、歴史的にはむしろ特殊な状況なのではないかと思うからです。
そうした時代に生きる僕たちは、ユーザビリティというと、ついつい利用対象となるモノ=道具に固有の絶対的な評価であるかのように勘違いしてしまいがちですが、実はユーザビリティとはあくまでヒト、モノ、コト、コンテキストの複雑な絡み合いの関係の中で生まれる相対的な評価なのだと考えます。
ユーザビリティの二面性
とはいうものの、人が使う道具をデザインするデザイナーは、ユーザビリティは相対的なものだから、そんなことは考えなくてもいいというわけにはいきません。むしろ、ユーザビリティがモノそのものの絶対的な評価でないからこそ、利用するユーザー、利用用途、利用シーンのことをよく考えてデザインする必要があるのでしょう。
モノをデザインすると捉えるのではなく、人々が道具を利用する用途そのものを、そして、それが利用されるコンテキストそのものを、新しくデザインするんだという意気込みこそがデザイナーに必要な姿勢なのでしょう。
デザイン時にユーザビリティを考慮するという際には、次の二面性をともに考慮する必要があると考えます。
- 利用時のマイナス要因を削減する
- 利用の際に感じるプラス要素を付加する
単に、道具として「使えるか」「使いにくくないか」というマイナス側面からのみ考えるだけでなく、道具に対してこだわりや愛着を感じられるか、利用した際に深い満足感が得られるかなどといったプラス要素をいかに付加していくかということもユーザビリティの範囲なのだと考えます。
機能性、情緒性
道具ということを考えると、もう1つ別の二面性もあります。- 機能性
- 情緒性
ヒトはモノを機能が優れているからという理由だけで使うわけではありません。多少、使いにくくてもそのモノに愛着があればヒトはそのモノを積極的に使ったりもします。
機能面だけでなくエモーショナルな部分でモノを評価する人間だからこそ、ユーザビリティにおいてプラスとマイナスの双方を考慮する必要があるのだし、コンテキストの違いによって同じモノでも違ったユーザビリティの評価となって現れることがあるのでしょう。
それはヒトの認知のもつ二面性-ドナルド・A・ノーマンが『人を賢くする道具 ソフト・テクノロジーの心理学』の中で用いている体験的認知と内省的認知の区分-とも関わりが深いものだと思います。
ユーザビリティという概念そのものが、ドナルド・A・ノーマンのような認知科学者らから生み出されているのは偶然ではありません。
それは単にモノの絶対的な評価なのではなく、モノ、コト、コンテキストに大きく影響を受けるヒトの認知がもたらす相対的な評価なのだから。
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