書いてもまだ何がわかっていないかわからないことがある

GW真っ只中のこんな時間ですが仕事中です。
正直、気もめいってきますが、気分転換にブログでも。

さて、先日「書かなきゃ自分が何がわかっていないかさえわからない」というエントリーを書きました。書いてみることで、自分が普段ぼんやりと考えていることの中で、どの細部がわかっていないかがわかるようになります、という内容でした。

知人の顔をスケッチする

ようするに書こうとすることで、普段見えていないことに気づき、そこではじめてこれまで見てこなかった何かにフォーカスを当てて見るという行為を行うことで新たな発見ができるというわけです。

いまいちピンとこない方は誰か知り合いの人の顔をスケッチしてみてください。
いつも見ていて見慣れてるはずの顔でもほとんどディテールは目に入っておらず、ほとんど知らないことばかりだということに気づくはずですので。

というわけで、書いてみる(描いてみる)ことで、普段は気づかない自分の無知に気づくことは可能です。

でもね、実は、書いてもまだ何がわかっていないかわからないことがあるんです
っていうのが、今日の話題。

コンテキストというフレーム

書いてもまだ何がわかっていないかわからないことがあるのは、人は自分で考えられること以外、考えることができないからです。

思ってもみないことを思うことはできません。
自分で思ってもみなかったことを思えるようにするにはすくなくとも外部の助けがいります。
誰かにまったく違う意見をもらうとか、ふとした拍子にいままで知らなかった世界に出会うとか。
とにかく外部刺激がないと、人は自分の思いからは抜け出せません。

何かモノを見る際、何かモノを考える際には、必ずその人なりの視点やフレームがつきまといます。
書くことで普段見えていなかったこと、わかっていなかったことに気づくのだとしても、それはあくまでフォーカスをあてる視点の範囲内、目に入るフレームの中においてです。フレームの外にあることはどんなに目を凝らしても見えません。そのことについて考えようとしても、見えてなければ外部があることにさえ気づかない。それに気づくためには、自分自身の努力だけではどうにもなりません。

別の角度からみる仲間

そんなとき、頼りになるのはやっぱり仲間だなと僕は思います。

自分で何かについて深く考えようと集中すればするほど、人は自分のフレームに入り込みやすくなります。そうすると、フレーム内のことはだんだんと詳細まで理解できてきたりしますが、その一方でフレームの外のことは見えなくなりがちです。
がんばって努力して何かを理解しようとしているのですから、フレームの外が見えなくなってしまうことを責めるのは酷です。

しかし、もし、そういう風に努力している人が複数人いて、その人たちが同じものについて考えているのだとしたらどうでしょう。

おそらく、彼らは同じものを別の角度から、別のフレームにおいて見ているはずです。
その場合、誰かに見えている風景は、実は別の誰かには見えていない風景を含んでいるはずです。同じものでも別の角度からみれば見え方は異なっているはずだから。

そうした仲間がおたがい話をする時間がもてれば、そこでそれぞれは自分のフレームの外にでる機会が得られるわけです。自分にはわかっていなかった、見えていなかった風景を、仲間の言葉を通じて発見することができる。
まわりの人間が同じものを、別の角度から同じように理解しようとした結果として、自分は自分のフレームの外に出るチャンスを得る。相手も同じように努力していたのなら、たぶん、相手もあなたの話で新しい発見を得られるでしょう。

協働作業の意味

協働作業の意味はここにある。

同じものを別の角度から複数の人間が考えることで、1つのものに対する理解がまさに複眼的に見ることができるようになる。
1つの方向から見ていたのでは気づかなかった裏側も、いろんな人がいろんな角度から考察することで見える確率は高まるのだと思う。

それには、協働作業を行う人間がそれぞれ自分自身の目でみて、深く理解しようと努力することが必要になります。

いくら複数人が協働で作業を進めようとしても、作業に参加する人が誰かひとりの視点、意見に従うだけでは、協働作業を行う意味は物理的な作業の分担くらいの意味しかなさなくなるでしょう。
いや、場合によっては、ひとりの人間が別の人間に自分の考えていることを伝えなくてはいけない分だけ、作業効率が著しく下がり、だったら、はじめから自分ひとりでやったほうが早かったなんてことにもなりかねません。

協働作業が意味を成すのは、あくまで協働作業に参加する人がそれぞれ自分の意思を持ち、かつ、他人の意思を尊重でき、他人の意見に真摯に耳を傾けられる場合だけなのではないかと思います。

と、そんなことを思うのは、きっと僕がこうしてる最中にも、僕がさっきまでやっていた仕事を同じように進めてくれている仲間がいると思うから。
そう思うと、がんばれますよね。

さて、もうちょっと仕事して、寝よ。

 

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