今朝書いた「教えてもらいたければまず学べ!」の続きじゃないですけど、学ぼうとする意欲があるかないか、そして、その意欲を行動に結び付けられてるかどうかで、結構、差ができちゃうわけですよ。
勉強とかスキルとかいう話だけじゃなくて、もうちょっと日常的なレベルのノウハウだったり、人とのコミュニケーションにしても、わかろうとする意欲や努力がベースにあるかどうかで、生まれる結果は違ってくる。仕事をしていく上ではそうした小さな差の積み重ねが気がつくと他人と自分の大きな差になってるなんてこともあるので、日々の意識の持ち方って結構大切だと思うんですよね。
書くと自分が何をわかってないかが明確になる
努力ということでいうと、業務日報でも、提案書や企画書でも、個人ブログでもいいんですけど、書く努力をしない人はダメだと思います。書くことでもっとも勉強になるのは、書けばその時点で自分が何をわかってないかがわかる点です。
当たり前ですけど、わかってないことは書けない。
書こうとすれば、そのわからなさをどうにかしようと、Webで調べたり、本を読んだり、人に聞いたりなどと知るための行動を起こさなくちゃいけない。
努力しない人は結局、そういう行動ができないから書くのが億劫になるのでしょう。
書くことで自分がわからない点が嫌でも明らかになるので、それに目をつぶろうとするんじゃないでしょうか。
書かなきゃ自分が何がわかっていないかさえわからない
僕がいまターゲットユーザー像を明確にするための手法としてペルソナ/シナリオ法に注目してるのもそれと同じ理由。ユーザーのことをちゃんとわかってなければペルソナ基本文書もペルソナを使った魔法のシナリオもストーリーボードも書けません。
書けないことを知ることで、自分がユーザーのどの部分の理解が足りていないかが明確になる。で、わからないからユーザーのことをもっと知ろうとする。ユーザー調査をする。街へ出てフィールドワークをする。そして、新たな発見をする。
ペルソナ/シナリオ法の一番の利点はそこにあるんだと思っています。
それと同じように、普段、わかってるつもりのことでも、それをいざ書き出してみると書いてる途中に何度もつまってしまうってこともあると思います。
わかっていたつもりが実はわかっていなかったってことが書いてみるとわかったりする。
いや、書かなきゃ自分が何がわかっていないかさえわからないんだと思います。
そして、今朝のエントリーとつなげるなら、自分が何がわかってないかさえわからなければ学ぶ意欲も起きないだろうし、そうやって学ぶ意欲をもたない人にはまわりも時間を割いて何かを教えてあげようなんて気にはならないわけです。
そして、そういう方は残念ながら進歩しない。
書くことが苦手な人は・・・
書くことに億劫な人は結局、そういう自分がわかったつもりでいるだけで実際はわかっていないということに気づくのが嫌なのではないでしょうか。自分は書くのが苦手だと思ってる人は、実は書くことが苦手なのではなく、書くことで自分が何かをわかっていないことに気づいたとき、どう対処していいかわからないから書けないのではないかと思うんです。
でも、当たり前ですけど、その苦手なことを苦手なままにしてたら進歩はありません。
学ぶことの努力ってそういう苦手なことを克服しようという努力がベースとなるんだと思うんですよね。
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