文学におけるマニエリスム/グスタフ・ルネ・ホッケ

ともすれば「何もかも飽和状態で、全部ある」ように見えて、それでいて、型(=既存の領域、枠組み)にはまった思考がそう感じさせるだけで、実は手つかずの隙間領域がそれを隙間と呼ぶのもはばかられるほど広大にある。

つまりは、現実は何も行き詰まっていないのに、凝り固まった思想がそう感じさせているという似非袋小路の状況。

それがいまの状況だろうということは、1つ前の記事で紹介した高山宏さんと中沢新一さんの対談集『インヴェンション』でも語られていました。


▲今回読んだ、ホッケの『文学におけるマニエリスム』。分厚い。

そんな状況下で、似非袋小路を打破して面白いものをつくり出す(イメージできるようにする)ためには、2つあるものの間を来るインヴェンション、そして、まさに本来異質である2つのものを対置するためのアルス・コンビナトリア=組み合わせ術が必要なはず。

そんな似非袋小路の迷宮からの脱出を考えるための十分なヒントが、このマニエリスムを研究したホッケの書にはたくさん詰まっています。

「経験的には獲得できない世界」を想像/創造する方法

1950年代の末頃に書かれた本書『文学におけるマニエリスム 言語錬金術ならびに秘教的組み合わせ術』のなかで、ホッケは組み合わせ術の何たるかを示す1つの例として、こんなことを書いています。

注目すべきことに、近年にいたって組み合わせ術は、宇宙—小説、〈空想科学小説〉を組み立てるのに推奨されている。演繹法を通じて、組み合わせ的架構物によってあらゆる惑星に生気をあたえることが可能である。私たちはここでも、一見新奇と見えて実は蒼古たる組み合わせ的—宇宙進化論的判じ謎—遊戯に遭遇する。最初の宇宙空間—旅行、火星と土星への着陸を記述したのは、ジュール・ヴェルヌではなくて、アタナシウス・キルヒャーである。構成の現象学は際限を知らぬかもしれない。

宇宙空間旅行の記述は、20世紀のヴェルヌではなく、17世紀のキルヒャーによって、すでに可能になっている。もちろん、キルヒャーの時代に宇宙旅行を現実化する技術などはありませんでした。それでも、キルヒャーは宇宙旅行を想像/創造することができた。その手品の種が、この書でも繰り返し話題に上がる組み合わせ術=アルス・コンビナトリアというわけです。

アルス・コンビナトリア、つまり、創造的な組み合わせの術があれば、経験的に獲得できていないものであろうと、経験からさまざまな断片を取り上げ、それを通常とは異なる論理、異なる修辞学によって組み合わを行うことで、未経験な新奇なイメージを創造することができる。いまの言葉でいえば、リフレーミングともいえるでしょうか。とにかく、マニエリスムというのはそういう方向を向いている。

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▲ホッケのマニエリスム3部作。本書が2作目。前に『迷宮としての世界』、後ろに『絶望と確信』

『文学におけるマニエリスム』はホッケにとって、前著『迷宮としての世界』に続くマニエリスム論です。

その前著のタイトルどおり、そして、本書でも再び論じられるとおり、ホッケは、世界が迷宮にみえた状況とマニエリスム的思考との関係に着目します。マニエリストたちが「経験的には獲得できない世界」を想像/創造しようとしたのは、まさに迷宮的に思える世界から脱出するためだったことをホッケは示しています。

迷宮としての世界からの脱出の策

まさにはじめに書いたことに通じますよね。

人が抱く迷宮という似非袋小路のイメージは実は世界そのものの姿でもなんでもなく、単に人間のほうの勝手な思い込みであって、世界そのもののほうは、人が脱出の糸口さえ見つければ、いま見えているよりはるかに広く開かれた領域を有しているのだということです。
マニエリストたちは、まさにニセの迷宮からの糸口の発見のために「経験的には獲得できない世界」の想像/創造の方法を探した訳です。

そして、迷宮からの脱出という観点から、マニエリストたちがロールモデルとしたのが、ギリシャ神話に登場する有名な発明家ダイダロスであったとホッケは指摘します。

ダイダロスは〈呪われた人〉として、不定、変化好き、冒険狂でもあった。ミノスは彼を迷宮に監禁こそしたが、この王はおのが王国を絢爛として謎めいた驚異世界と化してくれたこの〈魔術師〉にたいして不可思議な愛着を感じていた。ミノスはそれゆえおそらくまもなく迷宮の壁をめぐらした一角からダイダロスを解放してやったはずである。

ダイダロスは、クレタの王・ミノス王から怒りをかったことで、かつて自らが作った迷宮に息子のイカロスとともに幽閉されていたのです。この迷宮はミノスの娘が生んだ雄牛の首をした怪物ミノタウロスを押し込めるためにダイダロス自らが作ったものでした。ただし、このミノタウロスを生んだ要因をつくったのもダイダロスの発明であり、それゆえ、自業自得といえばそうともいえるのです。

迷宮に監禁されたダイダロスはミノスによる解放を待ってはいられませんでした。

この奇妙な理性的夢想家にして幻想的知性人であった男はクレタに飽き飽きしていたのである。蜜蝋と鳥の羽を細工して彼は自分と息子のイカロスのために翼を組立てた。

そして、この結末がよく知られる神話のなかで、ダイダロスとその息子イカロスは蜜蝋の羽で空を飛び、迷宮を脱出します。そして、あの有名な結末が訪れます。
そう。父ダイダロスの警告を忘れ高く飛びすぎたイカロスが太陽の熱で蝋を溶かされ、墜落死するのです。

このダイダロスの物語こそが、迷宮からの脱出をめぐるマニエリストたちの悲喜劇に先行するのだとホッケはいいます。

巧妙にして悲劇的な迷行、秩序の中心への瞞着的な立ち戻り、この束の間の自己欺瞞の道化師のグロテスクなものによる即座の反語化の組み合わせは、その行き着くところ悲喜劇的なものの基本構造に逢着する。歴史的にジャンルとしては、はるかのちになって登場してくる悲喜劇は、ダイダロスの迷宮—舞踏のうちに簡潔に前駆形成されていたかのごとくだ。


反-自然的なるもののうちにあってこそみずからを明るませる

ホッケはこの本で、古典主義(あるいは擬古主義)的なものとマニエリスム的なものとを対比します。
すでに「思考の方法の2つのベクトル」という記事でも紹介しましたが、「存在」というものの捉え方も、古典主義的なものとマニエリスム的なものでは大きく異なるようです。

存在は、〈古典的〉な存在了解にとっては、一目瞭然たるもの、自然的なもののうちにあってはおのれを明るませる自然的ーならざるものが適用されれば秘匿される。マニエリスムにとってはこれがまさしく逆転する。マニエリスム的存在了解にとっては、存在はもっぱら-自然的なるもののうちにあっては秘匿されると考えられているので、直接的に眼に見えるのではないもの、反-自然的なるもののうちにあってこそみずからを明るませるのである。

表に現れていると考えるのが古典主義で、逆に、正しいものは隠されていると考えるのがマニエリスムです。
だから、マニエリスムは世界を迷宮と考え、そこからの脱出のために創造をするのであって、一方で古典古代の復興をかかげたルネサンスが自然の観察による模倣(ミメーシス)を創造の基礎においたのも当然です。

「直接的に眼に見えるのではないもの、反-自然的なるもののうちにあってこそみずからを明るませる」。
それゆえ、マニエリスムの画家が描く世界は、人工的にねじまがり、マニエリスムの詩人が歌う世界は、非現実的な隠喩による組み合わせに満ち満ちているのです。

世界の表面(うわべ)のイメージはージョン・ダンにとってもまた他の多くの人たちにとっても—〈まやかし〉にすぎない。ハムレットは認める、〈善いこともなければ悪いこともない。ただ思想がそう見せるのだ〉。マリエニスト、メメンニは「すべては嘘のやりたい放題」というソネットを書き、〈世界は無数の欺瞞の反映にすぎない〉と断言する。〈人生とは何か? 気違い沙汰!/人生とは何か? 見せかけと泡沫!/かのように、もしも、おそらく……ない、/所有につましく、努力に寛大、/この人生がそっくり一場の夢、/そして夢もまた夢〉。これはカルデロンの高名な名文句である。

引用中に登場するジョン・ダンはシェイクスピアよりすこしだけ若く、ほぼ同時代を生きたマニエリスム詩人。僕は前にM.H. ニコルソン『円環の破壊―17世紀英詩と「新科学」』書評記事)を読んだ際に、ジョン・ダンをことを知り、それ以来、気になる詩人のひとりです。
そんなジョン・ダンも詩に「新しい哲学はすべてを疑わせる」と世界を疑いの目でみることがその時代の傾向となっていたことを教えてくれるのです。


▲グレコの「ラオコーン」。蛇状にくねった構図が視覚的にも迷宮を想起。(ホッケ『迷宮としての世界 マニエリスム美術』より)

変形されたイデア論とツッカーリの「内的構図」

マニエリスムを代表する理論家ツッカーリが「内的構図」を大事にするのもそういうわけです。

前著『迷宮としての世界』で、ホッケはツッカーリの「内的構図」について、こんな風に記述しています。

最初に〈わたしたちの精神にある綺想体〉が生まれる、とツッカーリはいう。これを要するに、ある〈イデア的概念〉、ある〈内的構図〉Disengo Interno である。かくしてつぎにわたしたちはこれを現実化し、〈外的構図〉Disegno Esterno へともちこむことに成功する。〈内的構図〉は、さながら同時に視るという観念でも対象でもあるような一個の鏡にもくらべられる。というのもプラトンのさまざまなイデアは、神が〈神自身の鏡〉であるのにひきかえ、〈神の内的構図〉であるのだから。神は〈自然の〉事物を創造し、芸術家は〈人工の〉事物を創造する。
グスタフ・ルネ・ホッケ『迷宮としての世界』

ルネサンスの観察による自然の模写(止まれ!汝は美しい)が外から内へのベクトルをもつとすれば、マニエリスムはまさにその反対に、内にある美の〈綺想体〉を〈外的構図〉として外化するというベクトルをもっています。

エルヴィン・パノフスキーが『イデア―美と芸術の理論のために』書評記事)が明らかにしたように、ルネサンス期からマニエリスム期に時代がうつるにつれ、「芸術家が自らの内的表象に、正確さという点でも美しさという点でも、主観を越えた妥当性を要求したとき、そうした要求を正当化してくれるはずのものとして、芸術理論はいわば形而上学に助けを求める」傾向がありました。
その流れのなかで、ツッカーリもまた自身の「内的構図」という理論の正当性を変形されたイデア論へと求めたとみることができます。

プラトンのイデアは、ネオ・プラトニズムのルネサンス〜マニエリスム期において、神の側にあった隠された本質というようなものから、人間の側にある理想の世界や像を創造するための力、発明の才のようなものに変形されたのです。

ペレグリーニは、〈発明の才〉の源泉を探究する。すなわち〈イデア〉である。だがいまやイデアはその天上的な場所を最終的に立ち去った。事物の〈イデア〉は〈私たちの胸のうちに〉ある。そこにさながら巨大な〈見本展示室〉や植字室の鉛の活字のように仕舞い込まれている。それは〈心象〉(形象)とか〈幻想〉とか呼ばれている。まぎれもなく私たちはここでクインティリアヌスの〈ファンタジア〉に遭遇している。

〈私たちの胸のうちに〉ある〈心象〉、〈幻想〉、〈ファンタジア〉といったものを外に実現することで、かつて神がもたらしてくれ、いまや崩壊してしまっている世界を、正常に戻すことが可能であると考えられたのです。

外の世界が危機的状況で、人を迷わす迷宮にしかみえず、正しいものはすべて人の目から隠されているように見える状況にいれば、内から外への正しさを打ち立てようとするベクトルが生じるのは、自然なことだと思えます

綺想という美の魔術的公式

大きな危機の時代にヨーロッパが見舞われていた時期だからこそ、外に期待するのではなく、自分たちの中から希望をつくりだそうという心理が働いたとみればよいのだろうと思います。まさに迷宮からの脱出です。

もちろん、外に危機があれば、必ず人は自分たちの内面から希望を見出そうとし、それを実現するよう動くというわけではありません。

それまでの世界が自分たちのまわりで崩壊していき、地面が太陽のまわりを回りはじめたり、新しい大陸から謎の品々がどんどん持ち込まれたり、サッコ・ディ・ローマによってローマが破壊され尽くされ、芸術家たち自身も死の危険にさらされたり、といった、もはや何も信じられない状況で、いままでの常識に頼ることもできず、とにかくバラバラの断片と化した世界を人工的に組立てなおす必要があったとき、いかなる方法でそれを実現できるのか?

そう考えたとき、マニエリスム的な人工的世界創造術が生まれてきたのでしょう。

世界史的な危機のさなかにおけるあらゆる種類の存在喪失の体験は、まさしく問題的な人間、憂鬱家のうち、そのきわめて特殊な感受性のうちにあって、あらゆる事物が変幻しうる変幻の能力があるのだという感情を強める。

それにしても、そうした状況下で顔を見せたマニエリスム的思考というのは、知れば知るほど、実にあやしいものです。
常軌を逸しているというよりも、いかにうまく常軌から外れて新奇な軌道をとれるかというところが肝になっているようです。

綺想は、非合理なこじつけによってまた変則的な修辞形容を使用することによって〈作られ〉る美の魔術的公式であるか、またはあるべきはずのものである。

そう。魔術的で、人工的、そして、怪物(キメラ)的な迷宮。


▲リアル迷宮としてのボマルツォの怪物公園。(ホッケ『迷宮としての世界 マニエリスム美術』より)

ただ、この「魔術」という言葉をいまの僕らの観念にある魔術の見方でみると確実に捉え間違えます

魔術は、いまの僕らが思っているようには、当時においては、あやしすぎず、ましてや間違った考えでもなかったのです。
それはいまの僕らにとっての科学となんら変わりないものだったということを認識しておくべきです。

実際、マニエリスムがもっとも力をもっていた時期というのは、まだ魔術と科学が明確に分離していなかった時代です。あのニュートンだって、錬金術にはまっていたのは有名な話で、マニエリスムの盛期はまさに前回の記事で問題になった1660年という区切りの前までで、それはシェイクスピア演劇がまだ生きていた時代です。
ニュートンの時代はマニエリスムの晩期にあたります。

そして、この本でも数多く紹介されるように、この魔術的な芸術的かつ思想的活動を展開したなかには、アタナシウス・キルヒャーを代表とした数多くのジェズイット会士(つまりはイエズス会士)が関わっていたわけですから、魔術といってもカトリック教会から異端の烙印をおされる黒魔術的なものではなかったわけです。

それは僕らが「魔術」という言葉から受ける印象に反して、きわめて健全で建設的なベクトルをもった思索のあり方だったのです。

逆にいえば、いわゆる白魔術といってよいマニエリスム的なものまで、黒魔術といっしょくたにして、社会から排除してしまった現代の薄っぺらさのほうが問題でしょう。
なにしろ、健全な白魔術まであやしいと排除する一方で、よくよく考えればマニエリスム的な白魔術以上にあやしい「デザイン思考」だの、「リーンほにゃらら」だの、ワークショップだの、フューチャーセッションだのを何の批評的視点ももたずに信仰しているのだから、果たして、どちらが迷信的か

ジャン・パウルにしたがえば、想像力の魔術が存在するとすれば、それはかならずや〈白い〉魔術か〈黒い〉魔術かにかかわっているのだが、おそらくまたつぎのようにいうこともできよう。白い神秘思想と黒い神秘思想にかかわっている、と。

マニエリスムの思想と、「リーンほにゃらら」だのいっている現代の思想の、いったいどちらが黒く、どちらが白いのか。

完璧な世界機械を夢想して

世界の危機という迷宮から脱出するためのマニエラ(方法)を探し続けたマニエリストたちは、一方で、そのマニエラを正しく用いさえすれば、機械的に理想的な世界が立ち上がってくると信じていたふしが大いにあります。このあたりもギリシャ神話の発明家ダイダロスの血をひいた悲喜劇性がマニエリストにこびりついているように感じられる理由でしょう。

ただ1枚の表、キルヒャーがその表に名づけた命名によれば、〈われらが人工アルファベット表〉は、かくしてアルファベットの原—存在論、原—超—書物の存在論的構造を包括しうるのである。この表よりして〈すべての可能的なもの〉が単純な〈交換〉(〈可逆性!〉)によって演繹されうる。この思惟できない世界機械は完璧である。決定的なことは、要するにこのような組み合わせ術をもってすればすべてが演繹可能になりさえするということである。これがキルヒャーの問題点である。それは文学的マニエリスムの根本問題である。

この機械論的演繹可能性への信仰は、フランセス・A・イエイツが『記憶術』書評記事)で、ヘルメス=カバラの影響を強く受けたルネサンス期以降のネオ・プラトニズムにおいては「宇宙が魔術によって動かされているという、ルネサンス期の有霊観的宇宙論は、宇宙が数学によって動かされているという、機械観的宇宙論に至る道を準備した」と書いていることにつながっています。


▲組み合わせ術的に生み出された謎の生物。ローマのサンタンジェロ城に描かれた図。(ホッケ『迷宮としての世界 マニエリスム美術』より)

世界の表面から隠された秘術としての組み合わせ術さえ体得すれば、完璧な世界が演繹できるという思想が上のキルヒャーの例にとどまらず、その後はライプニッツにまで引き継がれていることを想い起こせば、いかにこの時代の思想の基本的な背景となっていたかがわかります。

この機械論的世界観が間違いであるのは当然としても、だからといって、組み合わせ術によって、いま目の前にある危機的な状況の迷宮から抜け出せると考えたマニエリストたちの基本的な考え方自体は笑うことはできないはずです。

なにしろ、最初にも書いたとおり、当の僕たちは、みずからが積み上げていた世界に関する知の組み合わせに罠に完全にはまってしまっていて、それ以外の組み合わせを夢想するから、その迷宮から抜け出すということさえできずにいるのですから。

それを考えれば、正常とは異なる論理による組み合わせ、正常とは異なる修辞学による組み合わせを試すことで、オルタナティブな世界像が立ち上がってくることに賭けたマニエリストたちの姿勢ほど、クリエイティブさに満ち、さらに覚悟の決まったものってなかなかないのではないでしょうか?

そういう意味で、新たなものの創造について考えるとき、僕はこのマニエリスムというものをとても無視することはできないし、このあともさらに深く探求していく必要性を感じています。



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