思考の方法の2つのベクトル

20代前半に愛読していたのは、澁澤龍彦、高橋源一郎、金井美恵子、そして、ニーチェやドゥルーズ/ガタリでした。
後半になると、そこにスラヴォイ・ジジェク、中上健次、多和田葉子あたりが愛読書として加わりました。また、その当時、全体を通じて、夏目漱石が僕の文学的ヒーローでした。
最近、なんとなく、そんな20代の頃、読んでいた人たちの本をあらためて読み返したいなと思って、頭がぐるんぐるんしてます。



それはさておき、40代も半ばとなったいま、僕の愛読書の1つに加わっているのは、グスタフ・ルネ・ホッケの作品です。
いま読んでいる『文学におけるマニエリスム』にとても刺戟を受けていて、先日もこんな記述を見つけて夜な夜なひとり興奮したりしていました。

存在は、〈古典的〉な存在了解にとっては、一目瞭然たるもの、自然的なもののうちにあってはおのれを明るませる自然的ーならざるものが適用されれば秘匿される。マニエリスムにとってはこれがまさしく逆転する。マニエリスム的存在了解にとっては、存在はもっぱら—自然的なるもののうちにあっては秘匿されると考えられているので、直接的に眼に見えるのではないもの、反—自然的なるもののうちにあってこそみずからを明るませるのである。

本文が450ページくらいの本の300ページ目くらいに上の引用部があるのですが、ここに至るまでもホッケは、ヨーロッパの思考や表現の歴史の表舞台に立ち続けた古典主義=アッチカ風の修辞学や弁証法的なものと対比する形で、本書のテーマであるマニエリスム=アジア風の異—修辞学、異—弁証法的な思考や表現について語っています
ヨーロッパの表舞台を彩った古典主義的思考法とは別に、もう1つの地下水脈的だが、おなじくらい延々と受け継がれている思考法としてのマニエリスム的思考の存在に脚光を浴びせるのが、本書のホッケの立場なのですが、上記引用における"存在"をめぐる両者の対比はとてもこの2つの思考の違いの本質的なものを捉えているように思えて僕はちょっと興奮したわけです。

古典主義的な思考のベクトルにおける存在/秘匿と、マニエリスム的な思考のベクトルにおける存在/秘匿の真逆な関係
一方は目の前にあるものを明らかなものと捉えることで目に見えないものに向ける目を隠す。もう一方は逆に目に見えるもの自体には何もないと捉え、秘匿された存在そのものを見出そうとする。前者がミメーシス(模倣)を、後者がファンタジア(綺想)を思考・表現の手法として重視する理由があらためて了解できるような気がします。
そして、僕自身はこの1文を読んで、表題のような「思考の方法の2つのベクトル」という考えをはっきりと自分のなかに見出すことができたわけです。

思考方法の2つのベクトル

思考の方法の2つのベクトルとして、僕自身が考えていることを図式化して表現してみると、こんな対比になるでしょうか。

  • 古典主義的思考法
    課題と解決策がセットになった状態で思考する。
    いわゆるフレーム思考とか、演繹/帰納法とか、ミメーシス(模倣)とか
    あるいは、演説をより魅力的に見せるための聴衆の心理操作(いまでいえば伝わりやすさとかわかりやすさとか、釣りだとかネタだとか)が大きな位置を占める古典的修辞学的な方法はこれ。
  • マニエリスム的思考法
    課題と解決策のセットが成り立たない状態(多くは課題さえ明確でないし、それゆえ既存の解決策が役に立たない)で思考する。
    こっちでは、演繹/帰納法に対するアブダクションだとか、ファンタジアや組み合わせ術(アルス・コンビナトリア)だとか
    本来接点をもたないもの同士を対置してキメラ=怪物的解を創造するような隠喩法だとか(ここに関しては前々回の記事に詳しい)
    先の秘匿にも通じる、一部のわかる人にしかわからないことを多いに容認するエンブレム的表現だとか、すこしあやしげな方法が用いられる。

もっと乱暴に今風に対比させてしまえば、前者は、前例や法則などを素材として有から延長線上にある別の有を生むようなアプローチであるのに対して、後者は、基本的には無から有を生み出すようなアプローチだし、組み合わせ術のような異界的演繹法といえる手法を用いる場合のように既存にあるものを利用するときでさえなお、これまであったのとはまるで別物のまさしく怪物のような人を驚嘆させるような結果を生むようなアプローチなわけです。

裏の思考方法としてのマニエリスム

察しのいい人ならなぜ後者が地下水脈的に裏街道を歩かざるを得なかったかにもう気づいているでしょう。
生まれでてくるものは怪物的で驚異的なものであるし、多くの場合、一般には理解できないような難解かつ謎に満ちた表現で提出されるものが表街道に顔を出し、そのまま、そこに居続けられるはずはないのですから。

たとえば、ホッケは「マニエリスム文学のもっとも凝縮された、もっとも完成した、もっとも切望された形式は〈綺想体〉である」とし、「文学的マニエリスムは綺想主義文学のうちにその至高の達成を見る」と言っていますが、この「綺想」とは何かというと、こんな風に説明しているのです。

綺想は、非合理なこじつけによってまた変則的な修辞形容を使用することによって〈作られ〉る美の魔術的公式であるか、またはあるべきはずのものである。

「非合理なこじつけ」「変則的な修辞形容」「美の魔術的公式」です。
こんな馬鹿げたものが堂々と表街道を歩み続けられるわけがないので、何度か歴史のなかに登場はするものの、気がつけば地下に追い返されているという自体に陥ってしまうのは致し方ないでしょう。

でも、そんな裏街道的マニエリスムも本当に無意味だったら裏街道に追い返されるだけでなく、二度と登場することがないくらいに消滅しているはずでしょう。にもかかわらず、裏の地下水脈ではあっても、ずっとそれがそこにあり続ける理由=存在価値があるということなのでしょう。

世界史的な危機のさなかにおけるあらゆる種類の存在喪失の体験は、まさしく問題的な人間、憂鬱家のうち、そのきわめて特殊な感受性のうちにあって、あらゆる事物が変幻しうる変幻の能力があるのだという感情を強める。

マニエリスム的思考・表現が歴史の表舞台に登場するのは、上の引用にある時代です。
既存の世界システムが壊れ、危機的な状態にあるとき、既存のものの延長線上に思考を展開するアッチカ的思考では危機を乗り越える発想を生み出すのはむずかしいはずです。

「イノベーション」なる語がこれだけ頻繁に口にされ、文字にされる現在、たとえ、それによって生み出されるものが常識では受け入れづらい怪物的な発想であっても、それが現状打破のきっかけになるのであれば、マニエリスム的思考を求める風潮がふたたび表舞台に上がってくるのではないか。そんな予感を、僕はこのホッケの一冊を読みながら感じています。

マリオ・プラーツ『官能の庭』、再び

とはいえ、僕がこうした発想をしているのは、純粋に今回ホッケの本を読んだからということから来ているかというと、まったくそうではありません。

高山宏さんの『表象の芸術工学』書評記事)を読んでいなかったら、ホッケにたどり着くことはなかったと思いますし、高山宏さんの本の内容がすっと入ってきたのは間違いなく、20代の頃に澁澤龍彦さんの本をたくさん読んでいたからだったはずですし、それ以外にも僕自身の読書遍歴のなかの数多くの本が「思考の方法には2つのベクトル」という夢想を抱かせたのだと思います。

そして、そのなかの1冊には間違いなくマリオ・プラーツの『官能の庭―マニエリスム・エンブレム・バロック』も含まれます。



前に書評記事も書いたプラーツの『官能の庭』は、そのサブタイトルにもあるとおり、ホッケの本と同様にマニエリスムを1つのテーマとして扱っています。
ホッケだけではなく、プラーツのマニエリスムの見方を紹介することで、僕がマニエリスムという「思考法」に対して抱いているものがもうすこしだけ共有できるような気がするので、ここからはプラーツを参照します。

プラーツはこの本のなかで、古典古代の復興というベクトルをもったルネサンスから、16世紀後半以降のマニエリスムへの動きのなかでの変化を次のように捉えています。

ミメーシスの概念、つまりルネサンスに支配的な自然の模倣としての芸術の概念は、実際には「止まれ、汝は美しい」なるポーズとして固定された静止的な世界を前提としていたが、いまや16世紀になると、心の内面でとらえられた世界のイメージは静止的どころか絶え間ない変転にほかならないとする理念が生み出される。

自然の模倣に重きをおいたルネサンス=古典主義に対して、内面で世界のイメージをとらえるマニエリスム。
プラーツはこの対比的な芸術の流れの前者から後者への流れを際立たせるために、次のような表現も行っています。

造形芸術は、機械的な手作業、つまり「自然の猿真似」から哲学に依拠した学芸へ、制作技術からいちじるしく思索的な操作へ、現実の自由で緻密な制作へと移行する。

内面で世界のイメージをとらえることは、「哲学に依拠した学芸」、「いちじるしく思索的な操作」と評されます。

〈わたしたちの精神にある綺想体〉が生まれる

これはまさにホッケも『文学におけるマニエリスム』の姉妹書と位置づけられている『迷宮としての世界—マニエリスム美術』で紹介している、マニエリストのフェデリコ・ツッカーリ(1542-1609)のいう「ディゼーニョ・インテルノ disegno interno (内的構図)」そのものです。

最初に〈わたしたちの精神にある綺想体〉が生まれる、とツッカーリはいう。これを要するに、ある〈イデア的概念〉、ある〈内的構図〉Disengo Interno である。かくしてつぎにわたしたちはこれを現実化し、〈外的構図〉Disegno Esterno へともちこむことに成功する。〈内的構図〉は、さながら同時に視るという観念でも対象でもあるような一個の鏡にもくらべられる。というのもプラトンのさまざまなイデアは、神が〈神自身の鏡〉であるのにひきかえ、〈神の内的構図〉であるのだから。神は〈自然の〉事物を創造し、芸術家は〈人工の〉事物を創造する。

〈わたしたちの精神にある綺想体〉。
先にホッケが「非合理なこじつけ」「変則的な修辞形容」「美の魔術的公式」と読んだアレです。それをツッカールは後生大事なものであるかのように、内面から外へと表現することこそ、芸術家の役割だと言っているのです。

無理やり、そして、強引に言い換えてみましょう。
つまり、「自分で新しい考えを出せ!」ということにもなるのではないでしょうか。

その自分で出した新しい考えというのは決して常識的で、すでに外界にあるものの模倣(ミメーシス)から生まれてきたものでなくて良くて、むしろ、それとは別の発想で人々が驚くような新奇性をもった考えを魔術的に生み出すことが大事だと言っていると読むこともできるでしょう。

そして、そうやって生まれてくるものが既存にあるものをこじつけ的にむちゃくちゃに組み合わせたようなキメラ=怪物的なものであっても、そこに驚異があればよいとするのがマニエリスム的思考のベクトルなのだと考えることができます。

人を驚かせる"怪物"を生む思考

マニエリスムの怪物ということでは、プラーツはまさにそれそのものという例を紹介してくれています。

イタリア中部の町ボマルツォにある「怪物公園」として知られる彫刻群です。
これこそ典型的なマニエリスム的組み合わせ術の発想によって生まれたものといえそうです。


▲ボマルツォの彫刻群(マリオ・プラーツ『官能の庭』より)

プラーツは、著書に上のような怪物彫刻群の写真を掲載しながら、次のように書いています。

ボマルツォの灌木の林の中では、オルシーニ家の熊たちが胸に薔薇の紋章を抱き、ドラゴンがライオンと犬の攻撃から身を守っている。また塔を背に載せた象が鼻で戦士をつかみ、ヘラクレスが鎧を踏みすえて巨人カクスらしき人物を引き裂き、真逆さまに突き落としている。獰猛で、いささか子供っぽく田舎くさいこれらの彫像群は、オリエントの神官の洗練されたエンブレムとはまったく別種のものだ。

「獰猛で、いささか子供っぽく田舎くさい」。それは表舞台の洗練されたエンブレムとは別物の裏街道のエンブレムです。

「16世紀の庭園に共通する人目を楽しませようという意図が、ここでは人を驚かせ脅えさせるという意図に転じている」とプラーツは追記していますが、まさにこの怪物性による驚異を生み出すベクトルなどはまさにマニエリスム画家のアルチンボルドの作品などに通じるところです。


アルチンボルド【ウェルトゥムヌスに扮するルドルフ2世】

表現であり、思考である以上、人の心や行動を動かすことが大きな目的となることは変わらないはずです。
考えるということは、そういうことだと思うから。
(自分も含め)人のためではない考えは、そもそも考えになっていないわけで、つまり、誰のためでもない単なる妄想はマニエリスム的思考ではないし、ましてや古典主義的思考でもありません
ここがマニエリスム的幻想が、単なるポエムな妄想とは明らかに異なる点です。

思考であるがゆえ、それが「人の心や行動を動かす」ことをターゲットに行っているということは、マニエリスムであろうと、古典主義であろうと変わりません。
ただ、その動かし方が、平穏で、常識的で納得もいく魅力ある説得によって動かすのか、非常識で異質で驚異を感じる圧倒的なまやかし=魔術によって動かすのかという違いなのだと思います。

マニエリスムは意図的なまやかし=マジック/魔術によって、人を動かす技だといえるでしょう。
そして、その策略や詐術に通じるベクトルこそは、ヴィレム・フルッサーがいうようにデザインという方法の本質に通じるものだということを僕らはちゃんと知っておいたほうがいいと思っています。

秘匿されたものを明るみに出す

ただ、マニエリスムの場合、驚異やまやかしとは別のもう1つ大きな特徴があるようです。
それは秘匿に関することです。

最初のホッケによる対比のとおり、マニエリスムにおいては大事なものは秘匿されていると認識されています。
大事なものは顕現されていて、それゆえ見たままを模倣すればよいと考える古典主義的思考とはまったく反対で、大事なものはいま現実に目に見えるようになってはいないのだから、それを顕現させるためには人工的にその状態を作り出す必要があると考えるのがマニエリスムです。
だから、ツッカーリが内的構図をいうのだし、イノベーションとデザインに通じているわけです。

そんなマニエリストたちが生きた時代に流行したものの1つにエンブレムとインプレーザとよく似た2つのものがあります。前者は「愛」だとか「悪」だとかいった一般的な概念を絵として象徴化した寓意画であり、後者は宮廷などの特定の人物の特徴を絵にして象徴的に表した寓意画で、これはいわゆる紋章に通じるものです。


▲チェザーレ・リーパ『イコノロギア』におけるエンブレム(マリオ・プラーツ『官能の庭』より)

このエンブレム、インプレーザとマニエリスム的詩である綺想詩(コンチェット)が同じ時代にあらわれたことは偶然ではないとプラーツは言います。

ペトラルカは、そのコンチェット(詩的綺想)への趣好によって、加えてそのエンブレム的なものによって17世紀に先駆していた。だが、エンブレムもコンチェットももとはと言えば同じ根から実った果実である。またコンチェットを好む時代は常にエンブレムを好む時代でもあった。

綺想詩とエンブレムという2つの異なるマニエリスム的果実をつなぐ「同じ根」とは何なのでしょう。

詩的なイメージはすべて、潜在的にエンブレムになりうるものを含んでいるので、イメージへの傾向が激発することになったあの世紀、すなわち17世紀がなぜとりわけエンブレム全盛期であったのかを理解しうる。17世紀の芸術家は、感覚的な確かさを表現上必要としていたので、イメージの純粋に空想的な形象化に留まることがなかった。すなわち彼らは、そのイメージをひとつのヒエログリフ、ひとつのエンブレムにおいて表現し投影することを欲し、言葉の内容を完璧に伝えようとして造形表現を付け加えるのを好んだのである。

精神のなかで想起された内的構図を外化すること、現実には見えない形で秘匿されたものを発見し明るみに出すことを価値と考えていたマニエリストたちにとって、詩を書くこと、エンブレムによって視覚表現を付け加えることは、どちらも強く希求されたことだったのでしょう。
綺想詩とエンブレムはまさに2つで1つの対をなしていたのです。

そして、そのことは17世紀がオペラの時代であったこととのつながりもあることをプラーツは指摘します。

想い起こしていただきたいのは、17世紀は、ディドロが次のように描いているオペラの世紀であったということである。「諸事物はすべて一緒に語られ、表現される。同時に、知性が諸事物を把捉し、魂はそれらによって揺すぶられ、想像力はそれらを視、耳はそれらを聴く」。

と。

万人にわかることなんて望まない、大事なことはそれじゃない

目と耳の両方から感じられ、心を揺さぶることになる芸術家によって明るみに出された謎。
ただし、それは同時に驚異であり、怪物的であるがゆえに、必ずしも万人にとって謎が解かれたような状態が目指される訳ではなく、むしろ、多くの人にとっては新たな謎が増やされるだけというのもマニエリスムの特徴だということも忘れてはいけません。
誰にでもわかりやすく、なんていうことはいっさいマニエリスムは目指さないという点が僕にはとても好ましいことに思えます。

万人受けを狙っていたら、世界的危機を乗り越える発想など生まれてくる訳がありません。

そして、それはそもそも万人に分かることを望まないだけでなく、特定の人以外には秘匿しておくというベクトルも持っていたようでもあります。

この種の秘匿、隠匿の手段はどのようなものであったろうか? それは(特に)正統と異端の蒼古たる抗争の場であったオリエントーアフリカの古代において用いられたのと同じ手段であった。すなわち、文字や語の置き換え、象徴、アレゴリー、案内知った人間にしか理解しえない綺想体と寓意画などであった。(略)種類の如何を問わず緊張にみちた危機の時代には、このように(可逆的なものである)言葉が、直接の伝達という目的の領域から間接的な信号発信という想像の領域へ移されるのである。

危機的な状況においては、誰にでもわかっちゃいけないので暗号化する、ということです。
ここは参考にすべきかどうかは別としても、とても理にかなっている話ではありますね。

こういう風に考えていくと、既存のものがことごとく役に立たないような危機的な状態において、生き残るための術を発想する思考法としてはマニエリスム的な思考のベクトルって、すごく全うな方向を向いているなと感じます。
ただ、それが平常時の価値観からすると、非常識であやしすぎるがゆえに、危機においても、すぐその思考に切り替えられないケースの方が圧倒的に多いのだろうとも思いますが。

とはいえ、個人的には非常にこのベクトルの思考が好み。
なので、もうちょっとこのテーマは追いかけてみたいな、と。

というわけで、相変わらず「考え方」について考えてみることをしているわけです。

   
   

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