デザインにより人びとの生活を豊かにすることを真剣に考える

さっきも「デザインの多様性:usabilityの自由」ですこし紹介しましたが、テリー・ウィノグラード編・著による『ソフトウェアの達人たち―認知科学からのアプローチ』はめちゃめちゃ面白い。

実は個人的にはいまかなり精神的にまいっていたりする状態ではあるのですが、この本を読んでると元気になってきます。やっぱりデザイン、そして、デザインにより人びとの生活を豊かにすることを真剣に考えている人に触れるのが僕は好きなんだと思う。

そして、その反対も然り。デザインのクリエイティビティを奪う活動に対してとにかく怒りを感じてしまう傾向があります(この辺がいまの精神的ネガティブさを反映した発言)。

さて、読んでて「そうそう、これこれ」って思ったところをいくつかピックアップ。

デザインは手を使い、頭を機能させ、こころで感じる対話

デザインは、注意深く計画し、それを実行するプロセスではなく、相手、つまりデザインされているものが、予想外の中断や寄与を生む対話なのである。デザイナーは、そこに起こりつつあるデザインに耳を傾け、それを形作っていくのだ。
テリー・ウィノグラード『ソフトウェアの達人たち―認知科学からのアプローチ』

そうそう。とにかく手を動かさなきゃ。どんどんプロトタイプを作らなきゃ。はじめから完成度の高いものを作ろうなんて思うのが間違いだと思うよ。手を動かし体を動かすことで頭が作用するようになり、そこではじめて完成度に対する感度が起動してくるんじゃないかって思います。
同じデザインの繰り返しなら、こういうことは関係ないかもしれないけど、なにかしら創造性を含んだデザインならやっぱり手による発見、そして、頭へ、こころへその発見をつなげていくことって大事なんじゃないでしょうか。
そういう意味でデザインって手を使い、頭を機能させ、こころで感じる対話なんだと僕も思う。

問題が何かをクリエイティブにとらえる

デザインとは生来ぐちゃぐちゃしたもので、クリエイティブな問題解決を含みつつも、それを超えたところにあるのだ。デザインは、問題が何かをクリエイティブにとらえるところから始まり、人々の必要とするものを彼らが認識する前に描き出すことなのである。
テリー・ウィノグラード『ソフトウェアの達人たち―認知科学からのアプローチ』

問題が何かをクリエイティブにとらえる」。そうそう。これだよね。僕はとにかくデザインってここからはじまるんだと思う。
すでにわかっている問題をいままでにない形で解くのもクリエイティブだけど、そもそも問題そのものをクリエイティブに生み出すってのは、さらにクリエイティブなことだと思う。

インタラクション・デザインは科学である以上に、アートである。自然発生的で予測不可能であり、定義もできないのだ。
テリー・ウィノグラード『ソフトウェアの達人たち―認知科学からのアプローチ』

そう。定義もできないのだ。本来のデザインはクリエイティブすぎて。

脳の来歴とコンテキスト

どのモノも、それに先立つモノや経験、そして周辺にあってそれを物理的、社会的、歴史的なコンテキストでとりまくモノによって引き起こされる期待のコンテキストの中に姿を現す。
テリー・ウィノグラード『ソフトウェアの達人たち―認知科学からのアプローチ』

これはもう当たり前すぎることだ! なぜなら人間の意識や認知がそういう風にできているのだから。コンテキストのない認知などありえない。人の意識の特徴は統合的であることで、それぞれを部分として取り出すことができないところにあるはずだから。
部分的な認知を客観的に取り出して、その要素をデザインする際の利用状況として考えてみても、それは実際にユーザーが利用する際のユーザーの認知とは大きく異なってしまいます。それで使いやすいものができるかというとhatenaでしょう。

すでに「脳の来歴」というエントリーでも紹介していますが、下條さんは意識を脳が身体、環境と相互作用する中で生じてくるものと捉えています。
脳の来歴という言葉は、意識が脳と身体や環境との相互作用の結果を蓄積し、それらに適応していく中で生じてくるものだということを示すものです。しかも、そうした蓄積は個体単位ではなく、種単位、さらには脳をもたない生物だった時代から受け継がれたものまで含まれます。

そして、この図ですよ。結局。

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デザインってこういうレベルで考えられるようにならないと、ますますインタラクションが多様化するモノのデザインを良くすることってできないんじゃないかって思うんですよね。

創造性ですよ、創造性。

そして、それは多様性をいかに肯定的に組織内に生み出していけるかじゃないかと思うんですよね。
ヘンにガチガチに機能分化させたりするんじゃなくて、ビジュアル・デザイナーがマーケティング語ってもいいし、システム・エンジニアがユーザビリティ語ってもいい。ビジネスコンサルタントがスタイルシートを語ろうが、サーバー管理者がブランディングに関するアイデアを述べたっていい。

専門家がすべてを決めるとかってナンセンス。むしろ、そんな境界なんて軽々と乗り越えて、部外者が「うるせー、こういう方法だってありだろ?こっちのほうがこの場合、うまくいく」って言えるような環境でなれば組織の創造力なんて生まれ得ないと思っています。

そして、デザインにより人びとの生活を豊かにすることを真剣に考えるって、結局、そんな些細な専門領域を超えたコラボレーションができるかどうかということなんだと思います。



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