最近、自分のなかで「デザイン」という言葉への捉え方が変わりつつあるのを感じています。
それもあって、もう1回、自分のなかで「デザイン」って何だろう?というのを勉強したり、整理しなおしたりしようとしはじめました。



「デザイン」という言葉への捉え方が変わってきているという点では、まず「デザイン」の起源を今までとは違った形で考え直したいなという風に思っています。その起源をどう捉えるかで、デザインという言葉の占めるものも変わってくると思うからです。

数年前からしばらく僕は「デザインの誕生」をルネサンス期以降と考えていました。

Oxford English Dictionaryに、英語としての'design'が初出したのが1593年。
その後、イタリアのマニエリスト、フェデリコ・ツッカーリが1607年の「絵画、彫刻、建築のイデア」というエッセーの中に「ディゼーニョ・インテルノ disegno interno」という芸術家自身の内面のイメージを外化する方法を提唱することで、それまでの外界をありのまま模倣するミメーシス的な芸術観に対置しました。
"disegno interno"、英語にすれば、"interior design"です。

僕は、この頃を「デザインの誕生」の時期と考えていました。
そこではじまった人間の活動を「デザイン」と捉えようと思っていたからです。

もちろん、これは1つの見方であって、どういう視点で捉えるかで変わるものだと思っています。そして、僕自身、現にその捉え方を変えようとしているのがいま。
すこし前まで、デザインという人間の活動をあえてルネサンス以降のものと捉えようとしていたのは、それまでの創作・制作活動とルネサンス期から現在までつながっているといってよい創作・制作活動を分けて考えようとしていたからです(過去記事「ディゼーニョ・インテルノ(デザインの誕生1)」参照)。そこで区切ってみたいと思うのは、中世までと、ルネサンス以降とで、人間が生きていく上でのパラダイムが大きく変わったと思うからで、そのパラダイムのなかでの価値において行われる創作・制作活動も当然、意味が異なると思うからです。

いま、その考えをすこし変えようと思っています。中世とルネサンスのあいだにパラダイムの変化を見る考えには変わりありません。ただ、そのパラダイムシフトの時期を「デザインの誕生」の時期としてではなく、あらためて「デザインが本来を見失った時期」として捉えなおしてみようと考えているのです。

そう捉えなおすことで、「デザイン」という言葉のもつ意味を従来とは違う形で、自分のなかで再定義してみたいと思っています。