方法が、問題に正面から立ち向かおうとする人間にとって最大の障壁となる。
テクノロジーと方法は、そんな風に人を世界から疎外された存在としてきた。
科学においても、芸術においても…。
ワイリー・サイファーの『文学とテクノロジー』

前回の「マニエラ(技法)の核心 ~僕らは結局、自分たちのこれからをスケッチしながら作っている、この「世界史的な危機のさなか」において~」という記事では、まさにサイファーが『文学とテクノロジー』のなかで扱っているのと同様の「技法」というもののもつ意味をあらためて考えてみました。
組み合わせ術にせよ、隠喩の技法にせよ、それは新しいものを創造を可能にする根本的技法であるにせよ、それは膨大なリサーチを行ったり、膨大なデータに向き合い、整理分類をしながら思考したりといった、ごくごく当然の創造のための苦悩を抜きにしては、何も生み出せないはずです。
技法というものがそういう苦悩に没頭することができる環境こそを用意してくれる発想の技であり、決して、苦悩から人を解放してラクに結果が生み出せるようにするものではないことを、僕らはしっかり受け止めて創造の技をふたたび手にする必要があるのではないでしょうか。
僕らは技法というものをすっかり捉え間違えていて、それが何らかの自動機械のように材料を入れてガラガラと回せば希望する成果が出てくる魔法の箱のように感じたりしてしまいがちです。
あるいは、成果などには最初から興味がなくて箱に材料を入れてガラガラ回すこと自体を楽しむ人たちもいます。
そのことによって、自分たちが求める目的=成果自体から疎外されているということにも気づかずに。
まさに、いまの僕らの状況と同じようなことが19世紀の芸術家たちのあいだにも起こっていたことを指摘したのがサイファーのこの一冊です。
サイファーは19世紀を「科学と芸術いずれの世界にあっても、絶対的なものと、一定の法則の上に基礎づけられた理論を帯びたすべての方法に没頭した時代」であったといいます。
すでに40年以上も前に書かれた本ですが、現代においても重要なキーワードであるはずの"参加"や、"自分ごととしての問題へのチャレンジ"といった課題について、テクノロジーや方法というものの使用について深く反省を促すことで、どうすれば参加できるのか?、どうすれば自分ごととして問題に向き合うことができるのか?ということを非常に本質的なレベルから考え直すきっかけを与えてくれています。
最小限の努力こそを善とする「吝嗇の法則」
サイファーは、この本で、19世紀の芸術家の動向、言動を詳細に考察しながら、まさに"参加の敵"として19世紀を1つの頂点としながらも、その後も世界のリアルな現場から人間を疎外し続ける要因である「テクノロジー」と「方法」についての断罪を試みています。バルザックはキュヴィエ、ビュフォン、その他の生物学者や植物学者によって整えられた種の分類を適用することによって、自らの描く世界を扱うことができると考えた。ゾラは医学におけるクロード・ベルナールの方法を呼び出した。フローベルは自らの小説に「科学の正確さ」を与えたいと望み、ド・モーパッサンは、小説家は常に正確な言葉を見いださねばならないと考えていたのである。リアリストたちはロマン主義的「屑鉄」(過去の神話)を捨て去ろうと決意していたが、彼らが共通してもっていた最たるものは、科学の世界で用いられるような方法の意識であった。ワイリー・サイファー『文学とテクノロジー』
19世紀の芸術家たちは、方法の使用という点で科学に学ぼうとしていました。
しかし、
まことに奇妙な事態ではあるが、唯美主義者たちは科学を拒否しながら、実は19世紀の「お耽美な」芸術の多くは、ある種の技術主義的な前提ないし動機を敏感に受け入れていたのである。ワイリー・サイファー『文学とテクノロジー』
とあるように、正反対に、科学を拒否しようとした唯美主義者たちのような人たちでも、結局のところ技術主義的方法を受け入れていたということが、サイファーが19世紀を「科学と芸術いずれの世界にあっても、絶対的なものと、一定の法則の上に基礎づけられた理論を帯びたすべての方法に没頭した時代」と呼ぶ理由です。
なぜ、テクノロジーや方法に没頭してしまうことがいけないのか?
サイファーは、テクノロジーと方法が、どれほど人々を問題にどっぷりと入り込んで本質を究明しようとする努力することから遠ざけ、差し当たりの問題解決への最小限の努力で済ませようとするよう促したかということをいろんな側面から僕らに提示します。
まさに、僕らが技法というものを誤解して、創造の「苦悩から人を解放してラクに結果が生み出せるようにするもの」と捉えてしまうのと同じです。
この19世紀の「最小努力の原理」や「能率への極度な執着」に人を駆り立てたものをサイファーは「吝嗇の法則」と呼びます。
それがテクノロジーと方法への過度な執着を通じ、芸術と科学の双方の分野で人を問題の本質から隔離することになったと指摘するのです。
科学と芸術の関係に関する大いなる誤解
ところで、なぜサイファーは、テクノロジーと方法を、科学と芸術を並べて論じているのか。サイファーは「われわれの2つの文化をめぐるうんざりする論争は、科学と文学の関係を誤解していた」といいます。
いわゆる理系と文系の対立や、科学と芸術の垣根をなくして融合させようといった議論の背景にある根本的な誤解を、サイファーはこの本の冒頭で指摘しています。
科学と芸術を2つの異なる対立した文化と考える誤解を指摘したうえで「そしてかりに対立が存在するとしても」と続けつつ、
それは科学と文学(あるいは他の芸術)の間にあるのではなく、テクノロジーと科学の間に、およびテクノロジーと芸術の間にあるという事実をおおいかくしてしまったのであった。ワイリー・サイファー『文学とテクノロジー』
と書いています。
つまり、サイファーは科学と芸術の違いよりも、19世紀にその双方を蝕んだ(そして、いまもその後遺症はしっかりと残っている)テクノロジーや方法というものへの盲目的な信仰に目を向けさせようとするのです。
19世紀がすすむにつれて、事情はやや異なってくる。なぜなら、それは科学と芸術いずれの世界にあっても、絶対的なものと、一定の法則の上に基礎づけられた理論を帯びたすべての方法に没頭した時代だったからである。19世紀方法論に内在した限定された自発性は、かなり単純なものの見方の決定であって、この単純なものの見方というのは、一般に、それ自体理論的な機械的説明を伴った当時の素朴な科学によって助長されたものであった。19世紀的世界観によって、方法は計画的たることを得、その限りで技術主義的たることも得たのである。ワイリー・サイファー『文学とテクノロジー』
「最小努力の原理」や「能率への極度な執着」に人を駆り立てる吝嗇の法則、そして、その法則を具体的に可能にするものとして、科学も芸術ももろとも飲み込んだ極度に計画主義的で技術主義的すぎる19世紀的方法論。
はじめにも書いたとおり、サイファーが計画主義的で技術主義的すぎる19世紀的方法論を問題視するのは、それが人間を問題に直面させ、問題解決の現場に参加することを妨げるからなのです。

▲宗教を介して社会・世界とのつながりを強固にもっていた中世の美術品。息をのむほどの力強さをどの作品からも感じる(パリ・クリュニー美術館の展示)
浪費の一様式としての芸術
サイファーは、そのことを明らかにする上でも、中世の工人たちの制作動機や、それら中世の工人たちの仕事を19世紀においても真に美的なものと考えたジョン・ラスキンやウイリアム・モリスの考え方を例にあげ、19世紀的方法と対置してみせます。中世の工人は自分の作品が本当にひとから必要とされたものであり、自分に定められた技術が1つの社会的な認証を得たものであることを知っていたにちがいない。しかし、いわゆる応用芸術とはいちじるしい対照をなして、いわゆる美術(ファイン・アート)の疎外は芸術家を孤立させ、彼は孤立のなかで内にとぐろを巻いて、自分の仕事をそれ自体のためにだけ行う以外に術もなくなったのである。かくして、手段媒体の自律的使用とは異なったものとしての技芸(クラフト)の問題が、19世紀の後期において起こることになる。ワイリー・サイファー『文学とテクノロジー』
社会とつながった中世工人の仕事に対して、応用芸術とファインアートに切り離された19世紀の芸術はまさに社会から切り離されることになる。しかもファインアートの芸術家だけが切り離されたのではなく、応用芸術の作家も同様だったということがポイントです。
われわれの経済生活が今日、疎外の一手段であるということが本当ならば、ウイリアム・モリスはこの問題に関して言いうるほとんどすべてのことを一言でこう語ったのである、「私が理解している真実の芸術とは、人間による自分の仕事への喜びの表現」であり、この喜びは作る者にも使う者にも幸福を与えるものである、と。ワイリー・サイファー『文学とテクノロジー』
このモリスの言葉にこそ、なぜ「吝嗇の法則」を根っこにおく19世紀的方法が芸術家たちを自分たちが生きる世界から疎外された存在にさせたかがわかります。
そう。「吝嗇の法則」は何よりもまず「人間による自分の仕事への喜び」を奪ったのです。
「人間による自分の仕事への喜び」。
それなくして、なぜ人は世界とつながることができるのでしょうか。
そして、モリスが師と仰ぐラスキンの思想には、まさに「吝嗇」とは正反対の「浪費」こそが芸術の1つの様式であることがはっきりと明示されています。
芸術とは浪費の一様式であり、なにものかをその功利的価値のためのみでなく、それを作る喜びそのもののために作ろうとする欲望である。動物のなかでも最も模倣的なものとして、人間は余計なものを作ることに自らを費やし、その余計な努力は浪費よりも創造のなかに費やされるべきものである。ラスキンはこの原理を彼のゴシック解釈の基礎としているが、たしかにゴシックは機能的であるばかりでなく装飾的でもある。事実、ラスキンはいわゆる機能的建築というものが、功利性のみをめざして、われわれの喜びの記念碑として存在するはずのもののために「贅沢に費やそう」とする無計画な本能に根ざしていないとき、その背後にひそむ迷妄を嗅ぎとっていたのであった。ゴシック様式の装飾は建築における吝嗇の法則を修正する。ワイリー・サイファー『文学とテクノロジー』
余計なものを作ることに自分の労力を費やすこと、そんな余計な努力が創造のなかに費やされること。
ラスキンはその実践的な例を中世ゴシック建築のなかにみました(「ジョン・ラスキンの思想から「デザインの本来」を考え直してみる」参照)。


▲ラスキンが美を見出したゴシック建築(左がランスのノートルダム、右がストラスブールのノートルダム。右のほうが後期ゴシックで装飾がレース状になる)
吝嗇の法則に従う19世紀の文学者たち
そうした中世工人たちの芸術に対する姿勢、その姿勢を愛したラスキンやモリスの思想や活動とはまるで正反対の形で、19世紀の芸術家たち(文学者を中心に)がいかに「吝嗇の法則」に基づき、方法主義的に作品を生み出そうとしたかを、サイファーは本書のなかでさまざまな例で紹介しています。ゴーティエの小説は「いわゆる画室の光のなかで書かれた」ものだ、と言ったのはヘンリー・ジェイムズである。たしかに、『モーパン嬢』の最も写実的な箇所は、アトリエで用意された構図であり、それを完成するには実験室における統制された方法が必要であるといった風のものだ。というのも、当時、画室や実験室というのは自然を観察する装置だったからである。ワイリー・サイファー『文学とテクノロジー』
「いわゆる画室の光のなかで書かれた」と称されたフランスの詩人・小説家・劇作家であったゴーティエの小説はまさに実験室の「統制された方法」を希求したものでした。
また、同じくフランスの小説家で、自然主義文学を定義した人物とされるエミール・ゾラに関しては、このように書かれています。
かくて、芸術作品とは、ゾラが理解していたような科学的実験の「証人としての観察」にも比べられる「仕上げ工程」によって、意識的に構築された構造物なのである。事実、小説は作家が実験的方法を用いれば、必然的に書き上げられるというゾラの考え方は、まさに文学は作者がその言語媒体の法則(この媒体の純粋性、その屈折の法則ないし秘訣)に従えば、ほとんどおのずからに成るというペイターの考えに大変近いものなのだ。ワイリー・サイファー『文学とテクノロジー』
この引用中にある「小説は作家が実験的方法を用いれば、必然的に書き上げられる」という発想ほど、中世工人たちの作る喜びからはほど遠く、各種メソッドによって誰でもラクに成果を手に入れようとする現代の僕らの発想につながるものもないでしょう。

▲フランス・トゥルーヴィルのカジノの前に立つフローベルの像。
そして、これまたフランスの小説家で、『ボヴァリー夫人』などの作品で知られるギュスターブ・フローベル。
最後の作品となる『ブヴァールとペキュシェ』が百科全書的な小説であることも含めて、フローベルもまたいかに紋切り型のパターンのデータベースを組み合わせることで、どんな作品でも生み出せるという〈組み合わせ術〉=アルス・コンビナトリア的な方法論を強く意識していた作家です。
最も純粋な語句の経済は、概念化の一様態である。ペイターはフローベルを引用して、それを肯定している。「なぜなら観念は形式に依ってはじめて存在するものだからである」。これは美的スコラ派というものだろう。そういえば科学者の正確さもスコラ派ということでは似通う。ペイターの文体は技術主義的な至芸であり、一種の芸術工学であり、美学におけるテイラー主義の現われといっていい。ワイリー・サイファー『文学とテクノロジー』
「美学におけるテイラー主義」。20世紀初頭に労働生産性を高める方法として生み出されたのがフレデリック・テイラーの科学的管理法で、テイラー主義と呼ばれますが、ある意味、機械のように労働者を管理しようとするテイラー主義がそれよりも前に芸術の分野で追求されていたというわけです。
フローベルの小説が方法論から演繹的に生み出されることを強く意識した作品であることは、彼に憧れた金井美恵子さんの小説作品
それは、自分というものを切り離してあくまで自動的に書き上がるように小説ができあがる方法の模索であり、そのように生まれた小説を実際に書き上げることでした。
方法に依存するのではなく、作家の態度に依存する
もちろん、19世紀のすべての芸術家が方法に走り、世界から疎外された孤立な道を選んだというわけではなかったようです。サイファーはその例として、フローベルを比較対象としてドガのリアリズムに目を向けます。
ドガはフローベルがエンマ・ボヴァリーに感嘆しなかったように、バレーの踊り子たちに感嘆はしていなかった。が、彼は踊り子たちを楽しんではいた。こういうことはフローベルにはないことであって、彼はエンマ・ボヴァリーの人物を楽しむなどということを自らに許すことは決してなかった。リアリズム自体も依存的で、さらにはエロティックでさえありうるというこうしたドガの立証は、「平凡のもののなかに美」を見出すというジョージ・エリオットのなかにも繰り返されている。かかる愛情あるリアリズムは技巧に依存するものでなく、作家や画家の態度に依存するものなのだ。ワイリー・サイファー『文学とテクノロジー』
リアリズムの追求のために自らの感情を排除し純粋に方法の操作に徹したフローベルに対し、自らの踊り子たちを楽しむ目を決して損なわせることなく作品に落とし込んだドガのリアリズム。
同じ19世紀のリアリズムであっても、一方は「技巧に依存」し、他方は「作家や画家の態度に依存」する。自らの楽しみを作品に持ち込むという余剰を許す意味において、それは19世紀の芸術を特徴づける「吝嗇の法則」の外にはみ出しているといえます。
方法に没頭するリアリズムはこの愛情あるリアリズムとは違っている。なぜなら、方法論によってリアリズムは文学的テクノロジーに接近しているからである。ワイリー・サイファー『文学とテクノロジー』
文学的テクノロジーと、中世工人たちにもつながる「自分の仕事への喜び」のために作るということ。
繰り返しますが、方法や技法、メソッドといったものを何か機械的にそれを用いれば、一定の結果が得られるようなものと認識して、それを自分(たち)が求める成果をつくりだすために用いようとするなら、それは19世紀の文学的テクノロジーに依存した作家たちと同様、世界でいま起こっていることのまさに現場へと直接参加することを妨げるし、問題に直接立ち向かおうとする際の最大の障壁となるでしょう。
純粋科学における動機とテクノロジーにおける動機との区別をよりはっきりさせるために、ここにダニエル・ベルの「技術主義的至上命令」という言葉を思い出してみるのもいいだろう。つまり、それは浪費への恐怖であり、吝嗇の心理学、あるいは後にわれわれが必要とする用語をここに用いれば、倹約の心理学から生まれる能率への関心のことである。いいかえれば、それは最小努力の原理であり、普通それは問題自体の本質の究明にではなく、差し当たりの問題解決ということに向けられるものだ。ワイリー・サイファー『文学とテクノロジー』
「浪費への恐怖」を感じ、「最小努力の原理」に突き動かされるなら、僕らは自ら問題の矢面に立って深くその問題にコミットするような「問題自体の本質の究明」に向かうことができなくなり、せいぜいのところ、結局は根本的には何の解決にもならないような「差し当たりの問題解決」を繰り返す毎日を続けることになるのでしょう。
だからこそ、先日の「マニエラ(技法)の核心 ~僕らは結局、自分たちのこれからをスケッチしながら作っている、この「世界史的な危機のさなか」において~」で書いたように、技法というものをさまざまな苦悩を感じながらも何かを生み出したり問題解決をすることに没頭できる環境こそを用意してくれる仕事の仕方そのものなのだということを理解する必要があるでしょう。
それこそ、本書でサイファーが19世紀的方法を異に唱えることで、復活を願った「世界への参加による創造」という姿勢なのでしょう。
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