他家受粉を起こさせる花粉の運び手には、とくに関連もなさそうな複数のアイデアやコンセプトを並列させることによって、新たに優れたものを生み出す能力がある。ある状況やある業界に賢明なソリューションがあるのを発見して、別の状況や業界に置き換えてみると、それがしばしば画期的なイノベーションとなることもある。トム・ケリー『イノベーションの達人!―発想する会社をつくる10の人材』
僕の仕事は、Webをビジネスにおいていかに活用していくかを企画することです。しかし、みなさんもよくご存知のとおり、Webのビジネス活用はまだ発展途上にあります。Webそのものがバージョン2.0と言われるくらいですので、それをビジネスに活用するという意味では、まだバージョン1.xの途中なのかもしれません。
こうした段階ではすでに発見された手法だけを使って成果をあげていくためのプランを作成するには限界があります。正直、既存の手法だけでは、ビジネスが要求する成果をあげるには資源が不足しています。
すでに発見された手法をより効率的に成果に結び付けられるようにするブラッシュアップももちろん必要ですが、それと同時にまだ見ぬ新たな手法の開発も同時に手がけていかない限りは、この分野の未来は明るくはなりません。
そういうときに非常に役立つのが、上記の引用にもあるような「とくに関連もなさそうな複数のアイデアやコンセプトを並列させることによって、新たに優れたものを生み出す」他家受粉の発想、行動力だと思います。
植物における他家受粉を参照
そもそも他家受粉(cross pollination)とは、植物学において、ある植物の花の柱頭が同じ種類の植物の他の個体の花粉によって受粉されることを指す言葉です。これに対して、同一個体内での受粉を自家受粉(self pollination)といいます。他家受粉のメリットとしては、遺伝子の組合せのバリエーションが広がり、種としての適応度の増大につながる点が挙げられます。さらに花粉を他の花に渡すことは自らの遺伝子の拡散にもつながり、近親交配による近交弱勢を防ぐことにもなるといわれます。
僕なりに解釈すれば、他家受粉という方法は、異なるアイデアやコンセプトの遺伝子がそれぞれの専門領域を超えて受粉しあうことで、社会環境におけるアイデアやコンセプトの適応度を高め、同一分野での近親交配によるアイデアやコンセプトのステレオタイプ化・陳腐化を防ぐ効能があると考えることができるのではないかと思います。
他家受粉のすすめ
その言葉自体を紹介するのはじめてですが、他家受粉を奨励すること自体は、すでにこのブログでは以前からずっと行ってきたことだったりします。例えば、「未来を考えるならいまの気分だけで無用とか無意味とかを判断しないこと(あるいは多和田葉子『ふたくちおとこ』)」では、こんなことを書きました。
本当に未来を考えるなら、いまの気分だけで無用とか無意味とかを判断しないことって重要だなと思うわけです。現時点での浅薄な自身の知識や情報をベースにして、無用だとか無意味だとかを判断して、何を学ぶか、何をやるかを極端に絞り込んでしまうのって、理知的に見えて、逆に危ういわけです。
「セレンディピティと創造性:正しいやり方など存在しない」では、こんなことも書いています。
成果を出せない人は正しいやり方を探そうとします。何か成果を出すための方程式が何かがあると思って、それを必死に見つけようとして、時には間違った方程式に無理やり素材を詰め込んで、アウトプットを見て「なんでうまくいかないんだろ?」と言ったりします。
でもね、うまくいかないのは、正しいやり方があると思い込んで、それに頼ろうとするからなんです。
既存の知識や経験だけで得た印象のみで、未知のものをこれは無駄だとか無用だとか判断してしまうのは、他家受粉的姿勢とは正反対のものです。
また、すでに知っている方法だけにこだわり、それが唯一の正しい方法だと考えてしまうのも同様です。それは未来を描こうとする他家受粉的方法とは真逆の態度です。
解決すべき問題は多岐にわたり、それにはそれにふさわしい方法が求められます。ましてや、未来にはまだ見ぬどんな問題が潜んでいるかはわかりません。それを考えたら、既存の問題解決の方法にこだわるよりも解決すべき問題に積極的に目を向けることのほうがどれだけ大事かわかるはずです。
T型スキルと他家受粉
また「苦手だと認識したら克服する努力をしてみる」ではこんな風に。ざっくりというと、身に着けているスキルは、こんな風なT字型に自分の得意分野は深く、さらにできるだけ幅広さをもったスキルを身に着けておくと何かと都合がよいはずです。
T字型のスキルをもつことに関しては、トム・ケリーも『イノベーションの達人!―発想する会社をつくる10の人材』の中でこんな風に言及しています。
IDEOの場合、社内の最も貴重な花粉の運び手たちには「T型」の人間が多い。これは多くの分野に幅広い知識を持ちながら、同時に深く精通した専門分野も1つは持っている人のことである。(中略)結局、彼らは単純なカテゴリー化を許さないわけだが、それを不快に思う必要はない。むしろ、花粉の運び手を探しているのなら、チームに何人かT型人間を揃えるべきだ。トム・ケリー『イノベーションの達人!―発想する会社をつくる10の人材』
単純なカテゴリー化にこだわり、閉じた自家受粉だけで済まそうとし、一方で特定の専門領域を超えた他家受粉的な行為に不快さを感じて、それを非難しようとする態度はよく見られるものです。
しかし、現在の状況を既存の手法の範囲内で改善できるならそれもよいのでしょうが、まだ見ぬ未来を切り開くために新たな手法が必要とされる状況で、単純なカテゴリー化や自らの専門領域に固執する姿勢はいかがなものかと思います。
T型スキルと他家受粉
他家受粉を避け、自家受粉にこだわろうとする姿勢はどこにでも見られることです。例えば、三中信宏さんは『系統樹思考の世界』のなかでこんな風に書いています。
今の社会では(学会でも同じですが)、たとえば自然科学とか人文科学・社会科学という学問の間には大きな隔たりがあるかのような先入観が幅を利かせています。そういう「見せかけの壁」をつくってしまうのは、研究者の多くにとってはある意味では楽なことです。「見せかけの壁」の向こうのことはとりあえず知らなくても日々の仕事は進められますから。三中信宏『系統樹思考の世界』
そう。「見せかけの壁」のなかに閉じこもり、自家受粉だけでやり過ごそうとするのは楽です。
でも、楽ではあってもそれって楽しいのかなと僕自身は疑問を感じたりします。すくなくとも僕にとっては他家受粉のほうが楽しい。なぜなら、そのほうがまだ見ぬ未来を垣間見れる可能性に満ちているから。
系統樹のルーツをたどる旅をしていくと、人文科学や自然科学、実験科学や歴史科学、そして理系と文系というような「見せかけの壁」が縦横に乗り越えられてしまい、「錯覚の溝」はいたるところで埋められていることに気がつきます。三中信宏『系統樹思考の世界』
「見せかけの壁」はあくまで見せかけであり「錯覚の溝」はやはり錯覚なのです。
現時点でその見せかけや錯覚が有効であるにしても、それにこだわりその壁や溝の内部で壁や溝を維持することで、未来に貢献できるのでしょうか?
それよりも、むしろ「未来を考えるならいまの気分だけで無用とか無意味とかを判断しないこと」のほうが大事でしょうし、「セレンディピティや創造性を発揮しようとするなら、正しいやり方など存在しない」と認識して様々な外部の手法に目をむけることが有効なはずで、自分の外部にあるものは「苦手だと認識したら克服する努力をしてみる」のも重要なんじゃないかと思います。
僕自身は大したT型スキルをもっているわけではありませんが、それでもミニT型スキルをもって生きてきた経験として、未来を切り開くイノベーション的発想には、そうした壁や溝を飛び越える方法・姿勢として他家受粉は必要だと実感しています。
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