その間のゴールデンウィークに、パリを拠点としてランスやメスといったフランスの都市と、ルクセンブルクを旅行してきました。
期間中、ルーブルやオランジュリーなどの有名どころだけでなく、ケ・ブランリー美術館やパリ工芸博物館、カルナヴァレ博物館、シテ科学産業博物館などの様々なMuséeを見て回ってきましたが、中でも今回訪れて一番感動したのが、クリュニー中世美術館(Musée de Cluny)でした。
クリュニーの美術館に展示されたさまざまな作品(それはまだ美術や工芸、商品などが分化する前の品)を目の当たりにして、あらためてヨーロッパ中世のおそろしいほどの深さに驚かされたのです。
このブログでもときおり話題にしてきたとおり、僕自身、もともとヨーロッパの中世にとても興味をもっています。
今回の旅行中にもサント・シャペルやサン・ジェルマン・デ・プレなどの中世の教会建築や、前述のカルナヴァレ博物館を含めたマレ地区に残る中世の建築にも積極的に足を伸ばしました(カルナヴァレ博物館はある意味、駒場の日本民藝館に似た印象でここも楽しかった)。
パリは19世紀にオスマンによる大改造があったこともあり、中世の建築があまり残っていない都市と言われますが、それでも上記のようないくつかの建築物には触れられました。
そんな建築物に触れたあと、クリュニー美術館を訪れたのは最終日でしたが、その場に凝縮された形で感じることのできたヨーロッパの中世は、僕がイメージしていたのより、はるかに力強く、いまとは異なる活力に満ちたものでした。すごく心を動かされたのは、そうした力強さや活力がありつつ、今の感覚からすればどうしようもないくらいの停滞感や袋小路感を感じさせるところです。一言でいえば、明らかにいまとは異なる価値観がそこにあり、僕はそれにすごく心を動かされたのでした(イノベーションが起きない袋小路のなかに優れた技術が存在するというのは、ある意味では現在のどこぞの国の大きな組織のそれにも通じるような気もしますが)。
2つの重要な文化財から構成されたクリュニー中世美術館の建物
クリュニー中世美術館は、パリのセーヌ川左岸のカルティエ・ラタンにある美術館で、5~15世紀までの彫刻、金細工、ステンドグラスなどのヨーロッパ中世美術を約23,000点所蔵しています。いまだと東京の国立新美術館で7月15日まで開催されている「貴婦人と一角獣展」の目玉作品で、フランスの至宝ともいわれる6面連作タピスリー「貴婦人と一角獣」を所蔵している美術館と紹介するとなるほどと感じてもらえるでしょうか。
僕が心を動かされた展示物も圧巻なのですが、その前に美術館のもう1つの特徴である建物について紹介。
クリュニー中世美術館は、その建物自体が2つの重要な文化財によって構成されているという特徴があります。
まず、現在美術館として使われている建物は、15世紀末にブルゴーニュの修道士の邸宅として建てられたものです。美術館として生まれ変わったのは、1843年のことだそうです。
▲ 正面からみたクリュニー中世美術館
▲ フランボワイヤン様式の天井をもつ元礼拝堂
さらに、いまは美術館として使われている修道院の邸宅は、もともと1世紀のローマ時代の公共浴場の遺跡であり、邸宅はその遺跡の上に建てられたものです。
▲ 外の道路側からローマの公共浴場跡がみえる
建物が遺跡の上にそのまま建てられているので、外側からみえるだけでなく、館内の壁の一部がそのまま公共浴場跡だったりする箇所があります。
▲ 館内も一部公共浴場の跡地につながっている
こんな空間に、5~15世紀までの間につくられた様々な品が並べられているわけです。
クリュニー中世美術館の展示物
日本語ではいちお「クリュニー中世美術館」と呼ばれますが、それが「美術館」かというと、ちょっと注意書きが必要だという気がします。というのも、ルネサンス以前の中世までにおいては、現在のように分類のように美術品とその他の工芸品などと分けて「美術」と捉える概念はなかったからです。
実際のクリュニーの展示物も、教会建築を飾った彫刻やステンドグラス、先の「貴婦人と一角獣」に代表されるタペスリーを含む家具や武具などの調度品、アクセサリーなどの工芸品からなり、現在の絵画作品や立体作品のような美術品にあたるものはありません。
▲ 繊細なレリーフが施された小箱
ヨーロッパの工芸品というと、僕らはあまり繊細なイメージを持ちませんが、すくなくとも中世の時代の工芸品は、上のような家具に施されたレリーフにしても、皿などの文様にしても非常に繊細で、すぐれた職人の技術があったことに驚かされました。
あまりに驚きすぎて、そうした家具や食器などが並んだ後半の展示部分はほとんど写真も撮らずにただ圧倒されていました。
いまでは、絶対に「美術品」とは認識されないであろう「本」も素敵でした。
▲ 繊細な文様・彩色が施された中世の写本
以前紹介したヘンリー・ペトロスキーの『本棚の歴史』という本のなかで、グーテンベルクの印刷術以前、手書きで生産されていた本は非常に高価で、なかには装丁に宝石を用いた豪華な本もあったため、本は鍵のかけられた本箱や、本棚に鎖につながれた形で保管されており、
本が鎖でつながれていたという事実が、イギリスの歴史的な図書館の構造と発展を17世紀末まで左右し続けたのだ。ヘンリー・ペトロスキー『本棚の歴史』
と書かれていましたが、そうした中世の写本の希少性がクリュニーに並べられた美しい写本をみて、あらためて実感できました。
ほかでは、下の写真のようなステンドグラスを間近でみるというのも新鮮な体験でした。
ノートルダムをはじめとする教会建築では、ステンドグラスはほとんど遠目で眺めるだけだったので。
▲ 他ではあまり味わえないステンドグラスを近くで見るという経験
彫刻と呼べる作品も、基本的には下の写真のパリのノートルダム大聖堂のファサードを飾っていた彫像のように、現在の彫刻作品のようにそれ単独で存在したものではなく、かつ美術品としての鑑賞という以外のもっと家具などに近い日常的な用途をもっていたものでした。
▲ フランス革命で破壊されたノートルダムの王のギャラリーのオリジナル
クリュニー中世美術館のタピスリー
「貴婦人と一角獣」は来日中のため、残念ながら、クリュニーで目にすることはできませんでしたが、ほかにも多くのタピスリーが展示されていました。僕らが知っている純粋な絵画が美術の中心を占めるようになるのは、実はルネサンス以降のことです。そのことはなんとなく知識として知っていましたが、では絵画が中心となる以前がどうだったかは今回クリュニーの2階の展示室を訪れてはじめて実感できたように思います。
その絵画以前の表現の1つがタピスリーであり、宗教的な調度品に描かれた絵だったわけです。
▲ 2階の展示室にはさまざまなタピスリーが他の作品といっしょに展示
彫刻が建物に付随する形で独立した作品ではなかったように、絵画もまた家具等のより実用的な物に付随する形でしか存在しませんでした。
タピスリーにしても装飾品であると同時に、冷たい壁からの寒さをしのぐための防寒用具であったことは、「貴婦人と一角獣展」が特集された『芸術新潮 2013年05月号』にも書かれています(この雑誌は、しっかりとした特集でとても勉強になりました)。
今回の旅行では、ランスのノートルダム大聖堂に隣接したトー宮殿や、ルクセンブルクのカテドラルなど、多くの場所で壁に飾られたタピスリーを目にしましたが、美術館に飾られたものを観るよりも実際の用途に近い状態で観ることができたのかなと思います。
その意味では、美術館という位置づけであるとはいえ、建物自体が15世紀の修道院建築が元になったクリュニーの空間で観たタペスリー(それを含むさまざまな作品の陳列)に感動を覚えた1つの理由なんだろうなと思います。
▲ タピスリーの前にある椅子は、ボーヴェのサン・ルシアン教会にあった聖歌隊席
ところで、いま日本に「貴婦人と一角獣」が来ているのはクリュニーの展示室が改装中だからです。
▲ 「貴婦人と一角獣」を展示する13号室は閉鎖中です
僕は事前に、国立新美術館の展覧会で「貴婦人と一角獣」を見てからクリュニーを訪れたのですが、先にも書いたのと同じで、やっぱりこの中世の雰囲気が凝縮されたようなクリュニーの空間で観てみたかったなーと思いました。
とはいえ、国立新美術館の展覧会もおすすめなので、まだ観ていない方はぜひ。
クリュニー中世美術館も、パリを訪れる方にはぜひおすすめしたい場所です。
ルーブルやオランジュリーなどの混雑とは無縁で、ゆったりとした時間を楽しめますので。
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