デザインを考える上では、外部刺激よりユーザー個々の記憶やコンテキストが重要

「ユーザビリティ=使いやすさ」なんて誤訳をいつまで放置するのか?」というエントリーにはたくさんのブックマークをいただきました。ありがとうございます。

どうもこのブログの傾向として似たような内容のエントリーを書いていても、タイトルがWebっぽい感じがする場合、被ブックマーク数が多くなる傾向にあるようです。
実際、先のエントリーの前後のエントリー「答えはユーザーが知っている」「デザイン・プロセスにおいて知らないことを発見することの重要性」にしても、被ブックマークを多くいただいたエントリーとほぼ同様の内容ですし、僕自身にしてみれば、むしろ、その両者のほうが内容はよかったんじゃないかと思うんですけど、どうも評価は芳しくない。
それだけ、いまWebというものが注目を集めているということなんでしょうね?

ユーザビリティという言葉、デザインという言葉

さて、そんなわけで今回のエントリーも必ずしもWebな話ではないと思って読んでいただければと思います。

そもそも「「ユーザビリティ=使いやすさ」なんて誤訳をいつまで放置するのか?」でも実はWebだけのユーザビリティを扱ったつもりはこれっぽっちもなかったんですけど。「ユーザビリティ」という言葉がWebやUIのことを連想させてしまうんでしょう。「デザイン」という言葉もどうやらビジュアルデザインやUIのデザインのことを連想させているみたいです。日本語のデザインを考えれば、確かにそうなるでしょうね。

でも、僕はユーザビリティという場合にWebに限定するつもりもないですし、デザインという場合にも視覚的デザインだけを考慮しているわけでもありません。

そもそも人の意識や認知というものを考えると、視覚的デザインがユーザビリティに関係するという発想自体、おかしいと思ってます。

外部刺激以上に、その人個人の記憶、文脈の影響が大きい

というのも、人の意識って統合的なわけで視覚情報だけをそこから取り出すことはできないと思うからです。

もちろん、視覚的情報は人間の意識のなかでも大きな影響力をもつものであることは間違いないのでしょうけど、それでも、人は視覚刺激だけによって物事を経験しているわけではないはずです。
人の経験は、視覚や聴覚、触覚などの切り分けができない統合された意識体験そのものであるはずで、ユーザビリティを考える際にUIだけを問題にしても仕方がないのです。

いや、それよりも、そもそもUIのような外部刺激だけを問題にするのがおかしい。
実際には、外部刺激以上に、その人のその場でのシチュエーション=コンテキスト、また、それを形作る素材として働くはずの人それぞれの記憶のほうが、人が何かモノを扱う、触れるときの行動、判断に大きく関与しているはずです。

話は逸れますが、その意味ではよく言われる「五感を刺激するマーケティング」とかってキャッチーではありますが、ちょっと?と思ったほうがいいのかもしれませんね。もちろん、視覚刺激だけじゃなくてトータルで人を刺激しようというのがその主旨で、その刺激により人々の記憶やコンテキストに訴えかけるという意味で言われていることなので、それを単に五感刺激という外部刺激の問題だと受け取るかどうかは、むしろ、受け手の問題なんでしょうね。

アイトラッキングによるユーザーテスト

さて話を戻しましょう。

人が外部刺激以上に、その人のその場でのシチュエーション=コンテキストや記憶などのほうがモノを使う際に影響を与えやすいということは、アイトラッキングツールを使ったユーザーテストなどを行うと、よくわかります。

人は、ビジュアルデザインに影響を受ける以上に、その人自身の興味や目的の影響を大きく受けて、同じUIを見る場合でも与えたタスクやその時の気分のようなもので眼の動きが大きく変わります。

そのことは、こんな例を挙げると納得しやすいんじゃないでしょうか?
与えたタスクが情報検索だと、多くの人は通常のWebサイトでメニューが与えられることの多いUI上の狭いエリアを見るようになり、好きな記事を読んでくださいというと反対に大きく区切られたほうのエリアを見て、それぞれ反対のエリアはほとんど見ません。つまり下の図のような感じです。



実際に、情報検索のタスクで大きなエリアに目的のリンクがあったりする場合、被験者はそのリンクを探すのに苦労することが多いんです。

これは多くのサイトのエリア設計で縦に左右に区切られたエリアの狭いほうがナビゲーションエリアであるということを、被験者が学んでいるからなのでしょう。
同じように派手な画像はバナー広告だと思い込んで、視点を向けようとしないのも同様の学習によるものではないかと思います。

いずれにせよ、アイトラッキングツールを使ったユーザーテストをしていて興味深いのは、ビジュアルデザイン上でどんなに刺激があるものを配置することよりも、興味をひく言葉や、地味でも興味をひく商品そのものの画像などにはかなわないということです。

もちろん、その場合、視覚は目に映る対象を識別するのに役立っているのでしょうけど、どれをじっと見て、どれを視点の中心には持ってこないようにするかの判断は、むしろ、与えたタスクやユーザーの興味によって行われるということです。

いや、考えてみれば、それは自然なことなのですが、デザインする側はその当たり前のことを忘れがちだったりします。

モノは独立して使われない

さて、もちろん、実際に人がモノを使う際には、誰か他の人にタスクを与えられて、何かを使うということはあまりありません。
なので、モノを使うときのそれぞれの人が何を目的とするか、何に興味があるかは、人それぞれの生活のなかのコンテクストの中で決まります。

といっても、それは完全にその人が自由に変えられるものかといえばそうではなく、人はそれぞれ様々なモノの影響下の中にいます。

  • それを使うのはどういう環境か(お店の中なのか、仕事場なのか、道を歩いているときか、友人や家族といっしょにいるときか、まわりはうるさいか、暗いか明るいか)
  • それを使うのはいつか(朝なのか夜なのか、仕事で忙しいときか、ゆっくり過ごしているときか、何か他のことをしているのと同時か)
  • 誰と使うのか(ひとりで使うのか、誰かと共用で使うのか、誰かと一緒でなくては使えないのか)
  • どんな状況で使うのか(お金の余裕があるときか、お腹がすいているときか、眠いときか、むしゃくしゃしてるときか)
  • それを使う際の知識状態(それのことをよく知っているか、それに関する情報は誰から仕入れたのか、雑誌から?テレビから?友人から?)

などのあらゆるモノがあるモノを人が使う際のコンテキストに影響を与えるでしょう。

統合された意識をもち、同時に複数の経験をすることができない人にとって、あるモノを扱う際、まわりの環境やその人自身の記憶や知識、置かれた状況から大きな影響を受けるということは、モノをデザインする際に見逃せないことではないかと思います。

つまり、モノは決して独立して使われるということはないということです。

あらゆるモノ、そして、その人自身の記憶や知識がそれがどう使われ、それによりどう感じられるかに影響を与えるのです。

ユーザーをデザイン・プロセスに関与させる

これはデザインする側にとってはなかなか厄介な話です。

しかし、だからこそ、プロトタイプ製作~ユーザーテストの繰り返しが重要なんだと思います。
もちろん、そのテストですべてのシーンの組み合わせを試すことはできません。それでも、やらないよりは随分とマシなはずです。
何よりそういった工程をデザイン・プロセスの中に盛り込むことで、ユーザー自身をデザイン・プロセスに関与させることができます

いや、通常のデザイン・プロセスにおいて、ユーザーが関与しないことがおかしいと考えるべきなのでしょう。
デザインのプロセスにおいて、ユーザーを観察し、ユーザーにプロトタイプを評価してもらうという過程が組み込まれていないことがおかしいのです。

それこそ、誰のためのデザインなのか? です。

ユーザー不在のデザイン・プロセスで、ユーザー中心設計だとか、ユーザビリティを目指すのはそもそもお門違いなんだと思います。

うー、本当はこのエントリーでは、「本当にむずかしいのは人によるサービスのユーザビリティを高めることですね」といったことを書こうと思っていたんですが、まったく違う話になりました。その話はまた機会を改めて。

 

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