今回はその流れで、創造性を高める経営戦略と生産性を高める経営戦略では、実行の方法論がまるで異なるという話をしたいと思います。
生産性を向上する戦略
生産性を向上しようとする企業は、不確実性を可能なかぎり排除しようとします。シックスシグマの思想にみられるようにバラツキは経営の敵という具合に、無駄をなくし、効率化を推し進めます。商品の生産ラインにおけるバラツキの排除はもちろんのこと、サービス提供に関しても個々人におけるバラツキを最小限にするため、プロセス重視の姿勢をとります。
このやり方は決まったスペックのものを効率よく大量に生み出す方法としては向いています。顧客はどの商品を買っても、誰からサービスを受けても、おなじ価値を得ることができ、品質のバラツキで苛々させられることもありません。
しかし、この方法で新しいものが生み出せるかと言えば、答えはNOです。
創造においてはガラクタは無駄ではない
なぜなら、創造とは一見無駄に思えるところから生まれるものだからです。『発想する会社! ― 世界最高のデザイン・ファームIDEOに学ぶイノベーションの技法』の中で、トム・ケリーはこんな風に書いています。
普通でないところから答えが見つかることを予想しておけば、見つかる可能性は高くなる。自然界では他家受粉によってよりよい形質をもつ種子が生じることを、私たちは知っている。トム・ケリー『発想する会社! ― 世界最高のデザイン・ファームIDEOに学ぶイノベーションの技法』
創造性とは、頭の中だけで生み出すものではなく、脳が普通でない何かを見つけることによって生まれるものです。
プロトタイプづくり、メモをとることや図にして考えること、ブレインストーミングが創造性を発揮する上で有効なのも、それらの応報が、脳が普通でないものを見つけるのに適しているからです。
例えば、茂木さんは『脳と創造性 「この私」というクオリアへ』のなかで、パリのピカソ美術館でみた、ピカソが「自分の住居の周囲を回って集めたガラクタを使ってつくった作品」をみて、なるほどと思ったと書いています。
多産でスタイルが次々と変わったピカソでさえ、彼が本来旅することができたかもしれない仮想空間の広大さに比べれば、ほんのわずかな一部分しか旅していない。だとすれば、質がどうのこうのなどととやかく言わず、生み出すことのほうが先決のはずだ。茂木健一郎『脳と創造性 「この私」というクオリアへ』
ガラクタがピカソの創造性を刺激したのでしょう。
そして、ピカソはそれをいきなり僕たちが知っているようなピカソの作品にする前に、ガラクタの作品としてつくりあげた。
これもプロトタイプといえるのではないでしょうか?
「質がどうのこうのなどととやかく言わず、生み出すこと」の利点に関しては、昨日の「セレンディピティと創造性:正しいやり方など存在しない」でも以前の「メモをとる癖」でも触れました。
新しいものを生み出すためには、質をどうのこうの(6σ!)言ってることより、とにかくガラクタを使ってでも何かを生み出すことのほうが大事なことなのです。
無駄なものはない
実際、『発想する会社! ― 世界最高のデザイン・ファームIDEOに学ぶイノベーションの技法』の中で紹介されるIDEOのオフィスは、ガラクタで満載です。頭上には派手な傘と万国旗、本物の三角帆、ブーツの付いたスノーボード(ボーダーは乗っていない)。片隅にはふてぶてしく光る海賊旗。フロアに目を落とせば、誰かが扉がわりにしているプラスチックのビーズでできたカーテンや、一年中輝いているクリスマスツリーのライトがあって、訪問者はしょっちゅうこういうものにぶつかっている。トム・ケリー『発想する会社! ― 世界最高のデザイン・ファームIDEOに学ぶイノベーションの技法』
イノベーションにおいて、無駄というものは存在しないのでしょう。唯一無駄なものがあるとすれば、それは他ならない「無駄」という言葉だと思います。
いま必要なもの以外、存在しない空間では創造性は発揮されにくいのではないでしょうか?
度を越えた整理整頓たコスト削減は創造性の敵です。
無駄があるから見つかる、生まれる
さっき友人とメッセンジャーで話していて、僕の知識のリレーションがすごい、いろんなところから知識が出てくるといったことを言われましたが、それは僕が無駄な買い物をよくするからです。気になる本があれば、いまそれを読むかどうかなど気にせず買っておきます。実際、そうやって買って読んでない本などたくさんあります。それが本当に無駄になるかどうかはもっとあとの話だと僕は思っています。
友人との話は、具体的には『発想する会社! ― 世界最高のデザイン・ファームIDEOに学ぶイノベーションの技法』をどうやって見つけたのか?ということでした。
実はこの本を知ったのはもう3年くらい前のことだし、買ったのも今年のはじめです。
でも、読み始めたきっかけは『デザイン思考の道具箱―イノベーションを生む会社のつくり方』を読んだから。
その本にIDEOのことが紹介されていたから、読み始めたのです。
でも、それが手元になかったらすぐに読み始めたかどうか?
このイノベーションや創造性に関する話を、茂木さんのセレンディピティと関連づけられるのも、無駄に脳科学の本を読んでるからです。
ようはこういう偶然が生まれるのは無駄があるからです。
脳は無駄を元に偶然の発見を呼び覚まし、そして、その発見が僕にいまこういうエントリーを書かせています。
無駄がなければ、こうしたセレンディピティな出会いは生じないと僕は思います。
あなたの会社に無駄な時間、無駄なスペースがありますか?
生産性を重視した場合、こうした無駄は最初に排除されるものです。生産性を管理するために、個人が就業時間のあいだで、いつ何の仕事をしていたかまで管理しようとする。具体的な案件にひもづかない仕事はまるで無駄であるかのように。
しかし、そんな仕事の仕方をしていたら創造性が発揮されることはありません。
あなたの会社には図書館があるでしょうか?
あるいは、いままで作ったものを保管してある資料館みたいなものがあるでしょうか?
できそこないのプロトタイプやデザイン過程で生まれたた落書きがちらばっていたりするでしょうか?
創造性につながるアイデアは、そういう一見無駄なものへのアクセスを可能にすることではじめて可能になります。
図書館で本を読んだり、プロトタイプを複数人でつくりながら、あれこれしゃべったり、そういうすぐにどの仕事に結びつくのかわからない、プロセスの中に創造性のきっかけはあるはずです。
人月計算? それとも・・・
そんなもの管理できずに困る?あなたが洞察を得るチャンスは、思いがけないところからやってくる。これは広く受け入れられた真実であり、発明や発見は予想もしていなかった偶然の出来事や経験の結果として生じることが多い。
どうすればこの現象をうまく利用きるだろうか? そう、まずは予想外のことを予想し、組織の内外で発生する不意の出来事を進んで受け入れることだ。トム・ケリー『発想する会社! ― 世界最高のデザイン・ファームIDEOに学ぶイノベーションの技法』
いつまでも同じものを効率よくつくることで利益を生み出す生産性重視の戦略を採用するなら、確かに無駄なものを省く管理は有効でしょう。
しかし、創造性を重視した戦略をとろうとするときに、ちょっとした時間の無駄やスペースの無駄を省くために、創造性につながる無駄まで省いてしまうのはいかがなものなのでしょうか?
目の前のちょっとしたコストを省くために、創造性によって生み出される大きな利益への可能性を犠牲にするのははたして賢明だといえるのか?
材料費や人月で計算される人件費に利益を上乗せした形で価格を決めるのであれば、まぁ、できるだけ無駄なコストは省くべきでしょう。でも、創造したものの価値で値段を決めようと思うのなら、無駄を省くことより、いかにしてより創造性を刺激できるかに苦心したほうがよいはずです。
社員が仕事中に他の人とおもちゃで遊んでいたら、あなたは注意しますか?
そのとき、あなたの会社は生産性を重視しているのか? それとも、創造性を重視しているのでしょうか?
つまり、創造性を重視する経営戦略と、生産性を重視する経営戦略では、組織のしくみが違うのはもちろん、従業員の仕事の仕方や時間の使い方、オフィスのスペースまで、まったく違うのだと思います。
関連エントリー
- セレンディピティと創造性:正しいやり方など存在しない
- クリエイティビティ(創造性)の必要条件
- 僕たちはいま何をデザインしているのか?
- デザインのプロはいてもWebデザインのプロというのは・・・(続・僕たちはいま何をデザインしているのか?)
- デザイン戦略とはデザインプロセスを経営戦略として立案すること
- デザイン思考の道具箱―イノベーションを生む会社のつくり方/奥出直人
この記事へのコメント