テーブルにのせられた家族というカタチを超えて…

多様性を許容できる社会にしたいと思う。
多様性が認められた環境で多様な者同士が関わりあうことではじめて、新しいものは生まれてくると思うから。


▲山本理顕『地域社会圏主義』より

そのためには自分にないものをもつ相手を受け入れたり、いまないものを想像できる柔軟な発想が必要だと感じます。1つの標準的な思考や形式に偏りすぎることほど、新しいものが生まれてくる可能性を減少させる危険なことはないと思います。
そんなことを先日ひさしぶりに会った昔の会社の同僚と話すなかで、あらためて感じました。

「1つの家に1つの家族」をデフォルトとしない、住まい方や家族というあり方の多様性

元同僚とは、働き方や住まい方を話題にしながら、もっと今ない形も含めて多様で自由な選択が可能な働き方だったり、住まい方があるといいという話をしました。

たとえば、住まい方でいえば、これまでの核家族を前提とした住まい方を標準として考え、そればかりに偏るのはもはや無意味になっていると思います。
その元同僚もシェアハウスに住んでいるのですが、一人暮らしをしていた頃に比べ、洗濯機やキッチン、トイレなどが共用になることでスペース的にも、利用頻度の面からも効率的になったと話していました。

「地域社会圏」というコンセプトを提唱する山本理顕さんも、従来型の住宅が「占有」を中心に考え、住まいの形をつくってきたのに対して、むしろ人々がたがいに関わりあう「共有」を中心にした住まい方を提案していますが、そうした従来の発想とは異なるあり方がもっと模索されていいと思います。

そういう意味では、山本理顕さんが『地域社会圏主義』のなかで指摘しているような、いまの住まい方が決して唯一の「当たり前」のものではなく、単にある歴史のなかで標準化が進められてきた1つの形にすぎないことを自覚することが、その「当たり前」を乗り越えていくためのきっかけになるかもしれません。

戦後復興住宅は「1つの住宅に1つの家族が住む」という住み方を唯一のモデルとして供給された。「1住宅=1家族」である。その住宅に住むことによって私たち日本人はプライバシーとセキュリティという概念を徹底教育されたのである。

山本さんは、これまで僕らが「当たり前」のものと考えてきたような「1つの家には1つの家族が住む」というスタイルは、たかだか戦後からはじまったものであることを指摘します。と同時に「プライバシー」だとか「セキュリティ」という概念も、その家のあり方と同時に、僕らの生活に教育=インストールされたものでしかないことを強調しています。


▲山本理顕『地域社会圏主義』より

さらに「プライバシー」に関しては、2DKというシステムが家族間でのプライバシーという考え方を生み出したのだといいます。

プライバシーは住宅のその外側に対するプライバシーである。同時にその内側では夫婦と子どもそれぞれのプライバシーである。「2DK」とわれわれが呼んでいる住宅の形式がそれである。外に対しては鉄の扉で内側の密閉性を確保する。内側では2つの部屋、夫婦寝室と子ども部屋を確保する。夫婦寝室のプライバシーは戦後の人口増のためにも必須であった。こうした公団住宅や公共住宅が大量に供給され、その住宅に住むことによって、それまで私たち日本人にあまり馴染みのなかったプライバシー概念が急速に浸透していったのである。

家の外壁が内の「家族」と外の「他人」とのあいだのプライバシーを生み出したように、各個室を形作る内壁が家族同士のプライバシーを生み出したというわけです。

以前に紹介した上田篤さんの『庭と日本人』書評)という本では、かつての日本のすまいは、露地口から庭を通って座敷に入るのが正式のルートであって、僕らがそこが入り口だと思っている玄関は「ケの出入口」であって、日常つかわれる簡易的な出入口でしかないことが指摘されています。その庭に面しては、かつて縁側があり、内と外との中間的な領域として内と外をつなぐ機能を果たしていました。

縁側と同様に土間も同じような機能を果たしていましたが、その土間も消えてなくなり、その後、一時的に登場した客をうちに招き入れるための客間や応接室などの部屋までいまは見かけなくなり、家は外から孤立した状態に陥っています。


▲山本理顕『地域社会圏主義』より

キッチンや家電は文化に対して何をしたのか?

そうした縁側や土間のない住宅によって「核家族」という家族のあり方が形成されたのは戦後以降のことだというのが山本理顕さんが指摘することで、それは以前に紹介した山口昌伴さんの『台所空間学』書評)や、柏木博さんの
『「しきり」の文化論』書評 )でも書かれていたことにも重なります。

たとえば、山口昌伴さんは家のなかの台所の位置づけがいまのようなキッチンに変化したことが、単にその形が西洋化したということに収まるものではなく、かつて台所がもっていた機能を以下の7つの観点で大幅に縮小させたことを指摘しています。

  • 台所は野、山、海、土や自然とのつながりをなくした。
  • 台所は食糧備蓄基地としての役割をなくした。
  • 台所は大量処理の機能をなくした。
  • 台所は保存加工の場ではなくなった。
  • 手間ひまがかけられなくなった。
  • 失敗ができず、まずいものが食えない。
  • 台所は主婦の賢明さを失わせる。

さらに山口さんは台所のキッチン化によって失われた文化を指摘するのみならず、同時に起こった家電の家庭への進出によってもたらされた変化についても、以下のように嘆いています。

昭和30年、電気釜の商品化を成功させた家庭電化プロモーター、山田正吾は「あのころ、電化はそのまま文化だった」と述懐している。卓上に電気トースターをひとつ置くこと、調理台上に電気ミキサーの小さな塔の立つこと、それで一家の生活文化、食文化はおおいに近代化された、と誰もが誇らしく思った。しかし、考えてみれば電化が文化と同義であるなどという、そんなベラボウなことがありえようか。自動で炊飯ができることが、なぜ「文化的」たりうるのか。

いまの僕らの感覚からすれば、特に一人暮らしの人などならなおさらだと思いますが、1日のうちほんのわずかにしか使うことがなかったりするキッチンや調理用家電、さらには週に数回しか使われる洗濯機が、シェアハウスでなら個々人で所有することなく複数人でシェアできるよう共有することで十分であることを知っています。
複数人での共有は、個々で所有するよりも置き場や購入コストの面で効率的であるだけでなく、キッチンや家電の私有によって失われていた他の人との共有空間(かつての縁側や土間のような)が復活してくることにもつながることも知っています。

そうしたシェアに対して、「プライバシー」だとか「セキュリティ」だとかいった理由で抵抗を感じてしまうのだとしたら、そもそもその「プライバシー」だの「セキュリティ」が何によって生まれてきたのか、家族や個人という概念がいまシェアされようとしている家や家電とどのような結びつきをもっているかを、ここまで書いてきたような意味でちゃんと自覚してみる必要があるはずです。

ヨーロッパにおける結婚と婚外子

僕らの「家族」という概念が特殊であることを自覚するためには、過去にさかのぼって目を向けると同時に、諸外国にも目を向けてみるとよいでしょう。

たとえば、以下の婚外子(非嫡出子)の割合に関する国際比較のグラフ。


▲「図録▽婚外子(非嫡出子)の割合(国際比較)」より引用

婚外子の割合が、明らかに日本とヨーロッパ・アメリカとは大きく異なっていることがわかります。

2008年時点での婚外子の割合が半数を超えるのがスウェーデンとフランスです。

スウェーデンには、Sambo(スウェーデン語で「一緒に暮らす」という意味)という制度があって、同棲しているカップルにも育児手当や相続の権利などが保証されます。スウェーデンの夫婦の9割がSamboを経験しており、この「お試し期間」で安心してから結婚するといいます。

同じように、フランスにもPACSという連帯市民協約があり、この制度を利用すると異性あるいは同性のカップルが“結婚よりゆるく、同棲よりも固い”家族になることができます。この協約を結ぶと、Samboと同じように、即婚者と同じ社会保障や法的権利が認められます。1999年に制定され、2005年に改正後、成立件数が増え続け、子供がいるカップルの60%以上が結婚していないといいます。先のグラフで、フランスの婚外子の割合が1980年と2008年で大幅に違うのもこれが理由です。

いずれも自国の少子化の問題への対応策であり、実際にスウェーデンもフランスも、こうした策によって、出生率が一時期より好転していることが以下のグラフによってわかります。


▲「図録▽合計特殊出生率の推移(日本と諸外国)」より引用

それにしても、このグラフをみると、高齢化の問題が厳しい日本と韓国の出生率の低さが目立ちますよね。

ヨーロッパにおける個室とプライバシーの成立

さて、そんな風に家族という概念の変化がみられるヨーロッパですが、先に、山本理顕が指摘していた戦後日本における2DK家屋とプライバシーの関係とまったく同じことが、一足早く18世紀に起こっていたことが高山宏さんによって指摘されています。

ヨーロッパでテーブルが飛躍的に発展するのが18世紀で、その時代は「個室」の登場の時代でもある。イギリスにおいて、「プライヴァシー」観念が強くなった。それに対応して「プライヴェート・ルーム」が出てくるのは、1740年代のことかと察せられる。

プライバシーの概念は個室の誕生とともに発展する。そして、それは以下に指摘されるようにテーブルの分化の時代であったといいます。

それまでテーブルは基本的に一家に一台であった。テーブルの上で食事をし、お祈りをし、賭博をし、日記を書いたり眠ったり…、あらゆる用途に役立てられていた。
ところが、家庭生活の観念そのものが市民的に広がりはじめ、おまけに一人一人が神と対する空間をとピューリタニズムが要求したりということもあって、個室ができてくる。それに対応して、寝る時のテーブル、食事のためのテーブル、お祈り用のテーブルという機能分化が起こる。テーブルの数そのものも、もちろん増えた。

ここで指摘されているのが、単に部屋ごとにテーブルが機能分化していくという話ではなく、18世紀ヨーロッパにおける博物学の文脈で驚異の部屋テーブル(table)の上に無数の珍品が並べられたり、ブリューゲル(父)らの「五感の寓意」のようなタブロー(tableau)の上に様々な品々が描かれるのも、この機能分化へと向かう過渡期での私有=視覚化といった流れと大きく関係した動きであることは理解しておく必要があります。

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▲ブリューゲル(父)/ルーべンス「視覚の寓意」(Life Style Conciergeより引用)

テーブルの上で共同体が解体され、家族が生まれた

つまり、私的博物館であった驚異の部屋がアカデミックな博物館に変わっていき、テーブルの上に雑多に並べられた品々がリンネからはじまる近代分類学によって分類表(テーブル)に収まっていくなかで、家のなかのテーブルも機能分化し、家族も家のなかでバラバラの個室に収められ、プライバシーによって隔てられるようになったのだということを、僕らはいま思い出すべきではないかと思うのです。

バロックと名づけてよい時期は、要するに祝祭的な広場(アゴラ)の空間がこの空間に分断されていき、家屋の中で共同空間から個室が、特殊化された断片空間の輻輳体が誕生していく時期に相当する。

家屋が小さく区切られることで個室を生みだす操作は、その個室それぞれに運び込んだテーブルごとに機能を分け与えて分類する操作と重なるのであり、その操作のうちに実は「家族」という近代的しくみが形作られたのだということを高山宏さんは次のように指摘するのです。

「小さな」という形容詞のおなじみの濫用はバロックの社会心理学としてちゃんと記述してみる必要がある。「家族」という擬制の発明の中に社会不安をはぐらかせたヴィクトリア朝世紀末詩文に「小さな」「小さな」…という形容詞が濫用されていた事態にピーター・コンラッドが驚いているが、多分同じ心理があると思しいからだ。

こうした擬制の発明である「家族」が解体されはじめたのが、いまのヨーロッパであり、それは僕らがつい勘違いしてしまうような古くからある伝統の喪失ではなく、むしろ、近代が壊した伝統の再生であるのかもしれないのです。

いま僕らは、こうした観点をしっかりもった上で、家族のあり方、そして、家やそこに設えられる品々のあり方をあらためて従来の常識にとらわれない形で模索していくべきではないかと感じます。
それが核家族よりさらに小さな単位に分裂してしまった人びとが生きるための新しい空間やつながりや方法や道具を用意することにつながるのではないでしょうか。

僕らはかつてテーブルにのせられてその上で分断された家族というカタチを超えて、新たな社会における多様な生き方を模索できる状況をつくっていくべきではないかと思うのです。
洗剤でも、洗濯機でも、個人や家族という単位そのものをいったん忘れて新しい単位へと再変換することで、いまのような商品売買とは別のサービスビジネスも可能になるはずなのですから。

そういう視点のイノベーションこそがいま必要なんじゃないかなと思うのです。

   

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