2013年03月03日

未知を知へと変換する「生きた知識」のための劇場

わからないことって日常的な思考のフレームの外にあります。


▲パトリック・モリエス『奇想の陳列部屋』より

たとえば、身近な同僚や後輩が突如会社をやめるといった場合、いつもいっしょに働いていてよくがんばってるなと感じていたりして、その人のことはそれなりにわかっていたつもりでも、急に辞めると聞くと「なんで?」と理由がわからなくって、急にそれまでわかっていたつもりのことまでわからなくなる、そんなことってあったりします。

また、顧客のことならわかっているとかいう場合でも同じで、わかっていたつもりの顧客たちが突如自社製品から離れ、他社の製品へと移っていくと、突如としてわからない対象に変化するということもあったりします。

いずれも場合もわかることの範囲の外に出ると、途端にまったくわからなさが広がっている。
わからなさの世界はとても不安に感じられ、それまでの価値観からするとまるで筋が通っていないようにも見えたりもします。

つまり、物事をわからなくさせているのって、日常をわかりやすくするための思考のフレームであって、その枠組みに当てはまらないものが不気味でわからないように感じられるように見せてしまう。
目の前にある、わかろうとする対象は同じでも、理解につながる思考のフレームワークの背景となる環境が変化するとわかる/わからないは一瞬にして切り替わるということがあるのです。
わかるためにはわかるためのフレームワークを見つける必要がある。

だから、わからないことを知ろうとすれば、日常に不意に忍び込んでくる不気味なもの、不穏なものに積極的に飛び込んでつまづいてみることから、まだ手中におさめていないフレームワークを探ってみることが必要になります。

パトリック・モリエスの『奇想の陳列部屋』

不気味なものに対峙するという意味では、「驚異の時代」と呼ばれることもある17世紀のヨーロッパは、社会的な規模でそうした状況に立たされた時代でした。
大航海時代を経てヨーロッパの外に大きく広がった世界、そして、コペルニクスやガリレオの発見によるこれまた大きく変化した宇宙が、当時の人々の日常の暮らしのなかに、いままで見たこともない不気味で不穏で、かつ驚異や不可思議さを感じさせる品々や情報を大量に注ぎ込まれたのです。

想像してみてください。
自分の理解を超える物事や情報が毎日自分の暮らしのなかに送り届けられてくる状況を。
きっと混乱するでしょうし、当時のヨーロッパの人も混乱したはずです。
そして、その混乱から逃れようと、自分たちの手元に届けられた品々をなんとか理解しようと努めたはずです。

そうした自分たちの日常世界とは異なる領域から持ち込まれる異国の不可思議な品々を、なんとか理解しよう=コントロールしようと、その不気味なものの世界に積極的に飛び込もうとした人たちがつくったのが「驚異の部屋(ヴンダーカンマー)」でした。

未知と向かい合うことは、いま、この大きな変化の時代にも、何より求められていることだという想いから、僕はこの「驚異の部屋(ヴンダーカンマー)」に以前から興味をもっているわけですが、最近パトリック・モリエスの『奇想の陳列部屋』という驚異の部屋(ヴンダーカンマー)の様子を当時に描かれた絵や現在に残る収蔵品の写真から伺うことのできる大型版の本を買ってみて、あらためて未知と向き合うことで新しい知を獲得した時代に興味をそそられています。


▲パトリック・モリエス『奇想の陳列部屋』より

知識を「すみやかに、容易に、安全に手に入れる」ための劇場

この本をあらためて眺めていると、その「ごちゃまぜ」感にあらためて驚きます。
いまの僕らからみると、がらくたと貴重なものがごっちゃに集められているという印象が強くあり、なんでこんな集め方をすることが流行したのかと不思議になります。

しかし、それはすでに僕らがそれらが「ごちゃ混ぜである」とわかる程度に、そこに集められた個々の品々の社会的価値を理解するフレームワークを有しているからであって、個々の品々を見たことがなく、とうぜん、それら見たことのない品々を理解し分類するフレームワークが持たない当時の人たちにとっては「ごちゃ混ぜ」という感覚は持ちえなかったはずです。

むしろ、僕らには「ごちゃ混ぜ」に見えてしまう品々に、ある共通の価値を当時の人びとは見ていたはずです。

そのことは、この本の著者パトリック・モリエスがこう紹介していることからもわかります。

「全世界の本物と正確な複製品を包含する、きわめて広い範囲を網羅した劇場」。ベルギーに生まれ、ドイツで活躍した学者ザムエル・クヴィッヒェベルクの定義によれば、それが1560年代の理想の博物館だった。
パトリック・モリエス『奇想の陳列部屋』

17世紀に流行のピークを迎えることになる、驚異の博物館に関するこの定義は、16世紀の後半に書かれた、クヴィッヒェベルクによる『壮大なる劇場の銘または標題』(1565)の冒頭に示されたものだといいます。
そして、その比較的早い段階においてなお、この博物館が知識を手に入れることを目的とするものだということがはっきりと意識されていたことがわかります。

彼がこれを書いた当時、ヨーロッパにおける珍品崇拝の地理的広がりは、その150年後ほど秩序だったものではなかった。それでも、蒐集家たちは、共通の目的によって、国境を超え、個々の財力に応じて、「蒐集家の共和国」というべきものを形成していた。彼らは「すばらしい知恵と結びついた、世界に対する真実かつ独自の理解をすみやかに、容易に、安全に手に入れる」ために、世界を標本化するという唯一の目的を共有していた。
パトリック・モリエス『奇想の陳列部屋』

ここで注目すべきは、当時の人々が、小さな部屋にさまざまな珍品を蒐集することが、世界に対する知識を「すみやかに、容易に、安全に手に入れる」ことを可能にする標本化の技術であると認識していたことでしょう。

つまり、放っておけば、不気味で不穏な品々を、自分たちのコントロール可能な小さな部屋に押し込めることで、迅速性、容易さ、安全性が確保できると考えていたことです。ようは、そうすることで野生的な未知をマネジメント可能な知へと変化させようとしていたということです。


▲パトリック・モリエス『奇想の陳列部屋』より

万物の生きた印象と知識を可能にする

この未知を知に変換する錬金術をも想起させる技術が、いまの僕らが感じるように非科学的な魔術としては当時の人々はまったく感じていなかったことは、かのライプニッツでさえ、この「驚異博物館」という手法を知を獲得するための重要な方法であると認識していたことからも伺えます。

前に書評を書いたホルスト・ブレーデカンプの『モナドの窓』では、ライプニッツが驚異博物館をどのように重視していたかが次のように示されています。

ライプニッツはクンストカマー、珍奇コレクション、絵画キャビネット、解剖学劇場、薬剤局、薬草園、動物園を数え上げ、1つのアンサンブルを考えている。これを総じて自然と人工の劇場として定義するのである。硬直した、それゆえひそかに死んだ書庫世界と対照的に、この劇場をもって「万物の生きた印象と知識」を可能ならしめようというのだ。
ホルスト・ブレーデカンプ『モナドの窓』

17世紀後半から18世紀初頭のライプニッツの時代になると、先のクヴィッヒェベルクの16世紀後半からは驚異博物館自体もすこし細分化され整理されてきている様子も上の引用でわかります。珍奇コレクションは絵画キャビネットや薬草園、動物園とは分化されています。つまり、それは別の物だという知識が獲得されているということです。

しかし、それでもなお、ライプニッツはそれがアンサンブルをなすよう1つにまとまって存在することを重視しています。そして、そのことでテキスト情報をアーカイブするだけの「書庫世界」では表現できない「万物の生きた印象と知識」を可能にすることができるのだと考えているのです。

劇場という表記法

そして、その「生きた知識」を収蔵する場所は、クヴィッヒェベルクもそう表現していたように「劇場」なのです。

今日の語法では「劇場」は芝居の上演される建物であり、演目そのものを指すが、17世紀の語法からすればそれらはあまりに狭い。テアトルムとは、物なり、イデーなりを徹底して見せるための場であり、その手段についての表記であった。それは田舎のひなびた場所に発し、建物を経て、絵画収集や、概念・百科全書・あらゆる書物の感覚的明示化までをカヴァーし、これらは1つの問題を、あるいは1つの対象を記述によって、または図によって、眼に見えるものにしようとするものだった。
ホルスト・ブレーデカンプ『モナドの窓』

このような意味における劇場という概念からは、これもまた前に書評という形で紹介したフランセス・A・イエイツの『世界劇場』で描かれるシェイクスピアのグローブ座のもつ意味も単にいまの劇場のそれとは異なっていたことを思い出させます。

「驚異の時代」の人々の情報処理の仕方

また、このあたり、同じ時代に未知を知に変える方法を模索しながら、あらゆるものの定位を数学的に位置づけようと直交座標系を考えたデカルトの方向性とは対照的で面白いところです。

しかし、その方向性は違っても、いかに未知をコントロール可能な知に変換するかを必死に模索した17世紀を生きたという共通点はさらにおもしろく感じます。

自然のオブジェ、(凝りに凝った)人工的工芸品、それらを描いた絵画表象、とくに地図と博物図…。まさに「すべてを集める」のであって、美と醜、自然と人工、といった二元的な範疇が幼児退行的にそこには存在しない、分類上のアナキズムが宰領している。文字どおり収集可能なものは、自然物、人工物の区別なく包括していったこの時代の公私にわたる無数の収蔵庫もしくは収蔵棚を、その名も「驚異博物館」と人は呼ぶ。「驚異の時代」の人々の情報処理の仕方を凝縮した「エクセントリック・スペース」であったことが想像される。

まさに未知を知に変換する必要に迫られた「「驚異の時代」の人々の情報処理の仕方」が驚異博物館だったのでしょう。
それがわからないものにつまずきながら、わかろうとする方法だったのだと思います。

僕らもまた従来機能していた様々な考え方や知識が機能不全になるのを感じながら、うまく理解できない様々な現象や問題を前にしているという意味においては、この17世紀ヨーロッパの人々と同じ立場にあるのではないでしょうか?
そのとき、未知の驚異を前にして、なんとかそれを理解しようと驚異の蒐集を行うか、それとも、当時の多くの人もそうであったように見て見ぬふりをしてほとぼりがさめるのを待ち続けるという思考停止の選択肢をとるのか。

前者を選びたいと思うからこそ、僕はこの17世紀の驚異の時代に魅了されるのです。

   

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posted by HIROKI tanahashi at 16:22| 思考 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする