「そのサイトに魂はあるのか?」をきっかけに「わかるコンセプト」や「コンセプトがあいまいなら出来るものもあいまい」、「ユーザーの生活や思考を知ることからデザインをはじめる」ですこし遠まわし気味にISO13407の人間中心設計プロセスの上流工程について考えてみたんですけど、本当によくできてます、このプロセス。
コンセプトメイキング=人間中心設計の必要性の特定
「ユーザーの生活や思考を知ることからデザインをはじめる」に対して「この場合のユーザや顧客の定義にもよる感じ。お金をくれるお客さん、それともそのお客さんのWebサイトで購入してくれるお客さん?」ってコメントがあったんですけど、そんなこと、このプロセスどおりにデザイン作業を辿っていれば疑問にすらならないんです。ようするに、最初の「人間中心設計の必要性の特定」でこれからデザインするものは何かということを人間中心(ユーザー中心)の視点であいまいでないコンセプトとして定義する。
とうぜん、そこにはこれからデザインするものとその主要ターゲットユーザーの関係性が盛り込まれているわけです。
「ユーザーの生活や思考を知ることからデザインをはじめる」で論じた2番目の「利用の状況の把握と明示」時点では、この定義が明確になっているわけですから「お金をくれるお客さん、それともそのお客さんのWebサイトで購入してくれるお客さん?」なんてブレは生じ得ないのです。
あるいはデザインするものが複合的なターゲットユーザーを想定した複合的なツールなのであれば、それぞれにおいてユーザーと提供するものの関係が明示されていなければならない。
繰り返しますが、それがコンセプトです。
自分たちが何を誰のためにデザインするかをコンセプトにまとめられないのなら、デザインなどしようがないのです。
2つのデザインプロセス
自分たちがこれからデザインしようとするものとそれを使うであろう主要ユーザーの関係が特定されていること。それがデザインをはじめる段階での定義です。このブログを読んでくれている方の中には薄々感じている方もいるでしょうし、僕自身、先日のオービックさんのセミナーやデブサミでの講演でお話しましたが、この「人間中心設計の必要性の特定」というプロセスは、シックスシグマのロードマップにおける「コアプロセスと主要顧客の把握」とほとんど同じものです。
「2つのデザインプロセス」でも書きましたが、シックスシグマのDMAICあるいはロードマップとISO13407の人間中心設計プロセスはほぼ同型をしています。
それゆえ、この2つのプロセスが、一方のシックスシグマが視野に入れるビジネスプロセスのデザインにも、もう一方のISO13407が視野に入れるWebを含むインタラクティブシステムのデザインプロセスにも有効であることから、それ以外のマーケティングにおける商品開発などにも応用可能であろうことは容易に想像ができます。
人と人との相互関係をデザインするプロセスとして
実際、マーケティングにおけるセグメンテーション~ターゲティング~ポジショニングという流れは、ISO13407での「人間中心設計の必要性の特定」を基点とする「利用の状況の把握と明示」~「ユーザーと組織の要求事項の明示」に対応していると考えられます。ターゲットユーザーの生活や嗜好性について知ることは商品開発においてもマーケティング・コミュニケーションをプランニングする上でも非常に重要なことは、多くのマーケターが昔から知っているとおりです。
だからこそ、昨日の「わかるコンセプト」では冷蔵庫の例をあげてコンセプトメイキングの重要さについて説明しました。
ただし、Webのようにデザインする対象がユーザーとの関係自体、コミュニケーションそのものをインタラクティブかつダイナミックにデザインすることを機能としてもつものをデザインするとなると、まだコンセプト作りにしても、ユーザーの生活や思考の把握にしても、なかなかむずかしい課題があるというのが現状だと思っています。
いうまでもなくこのむずかしさは、市場と組織、そして、また組織内の関係をビジネスの視点からデザインするシックスシグマのビジネスプロセス・デザインにもつきまとうものです。
それは変化する市場(顧客の変化、競合関係の変化など)において、4つのPをコントロールしていくマーケティングにおいても同様のことがいえます。
人と人との相互関係をデザインするプロセスとしてのインタラクティブ・システムのデザインにまつわるこうしたむずかしさは、現代の科学の中心的な課題の1つに心と脳に関するものが挙げられることと深く関係しているものと考えます。
循環するプロセスが必要なわけ
ISO13407にしてもシックスシグマのロードマップにしても、そのデザインプロセスは循環的なプロセスとして定義されます。最初からスタートして一度最後まで辿れば終わりという直線的なプロセスではありません。それは最初の定義をのぞくプロセスをグルグルと循環的に繰り返すプロセスです。
これは考えてみれば当然です。
なにしろデザインしようとしているのは、人と人との相互関係を機能させるインタラクティブ・システムなのですから。人と人との関係において一度手順をまわせば終わりなんてことはないはずですから。
むしろ、一度、1つのプロセスをまわせば別の課題や目標がおたがいのあいだに生じてくるのが人と人との関係性ではないかと思います。
進化しすぎた脳
いま読んでいる池谷裕二さんの『進化しすぎた脳』におもしろい話がありました。じゃあ人間は、十分に脳を使い切っているか? これはどうかな。僕の考えでは人間も「宝の持ち腐れ」になっているような気がする。
だってしょうがない。指がたまたま10本しかなかったんだもの。でも指が20本あったら、それに対応した脳の変化が起こって、自在に操れたと思うよ。池谷裕二『進化しすぎた脳』
ここで示唆されているのは、人間の限界は脳の限界というより身体の機能の限界に大きく依存しているということです。
実際、人間は身体の外にさまざまな機械を身体の延長として接続することでそれを自在に操ることができます。コンピュータ、自動車、飛行機などなど。
そのことは脳のほうにはまだ余裕があり、外部拡張によってその余裕を活かすことも可能だということです。
デザインが利用者の心に変化を促す
この話を先のインタラクティブ・システムの話につなげると、余裕のある脳をもつ人間は、新たにデザインされたシステムに接触することで脳自体の機能を拡張することがあるということを示唆しているのではないかと思うんです。カンタンにいえば人間には適応性があるということになるでしょうか。
しかし、これは逆に言えば、新たにデザインされたものが提供される前と後では、利用状況も要求事項も変化するということでもあります。それゆえ、デザイン提供の前後ではユーザーが必要とする効果も効率も満足度も異なるわけです。
デザインは利用者の心に確実に変化をもたらすわけです。
それがインタラクティブ・システムのデザインにおいて循環性が求められるわけだと思うのです。
僕たちはいま、そういうものをデザインしているんだと思います。
それは20世紀のデザインとは大きく異なるパラダイムにおけるデザインなのではないかと思っています。
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