専門家と一般人の差?

昨日のオービックのセミナーで話したことで、まだ、このブログでは扱っていなかった点をあらためてまとめてみます。

テーマとしては「専門家と一般人とのギャップって、かつて考えられていたほど、実はないんだね」ということです。

個人ブログって結構知識の宝庫ですよねという話

これはすでにHuman Information Interface labのほうの「埋もれていた知識、情報の独占」でも書いたことなんですけど、先日、知り合いとメッセンジャーで話していて、「いまって個人の人もブログを使って自分の持っている知識を提供してくれるからいいよね」という話題になりました。

実際、そのとおりである程度、お気に入りのブロガーの方のブログをチェックしてるだけでも結構いろいろと知らなかったことを教えてもらえます。で、そこで得られる知識がこれまでTVや雑誌、書籍などを通じて専門家から得ていた知識と遜色があるかというとそんなことはなかったりもします。

それなりに仕事をしてれば専門的な知識は持ってるはずですよねという話

考えてみれば、それぞれ自分の仕事をする中での専門的な知識をブログに書いてくれていたりするわけですから、実はそれって当然だったりもします。
すべての人がそうでないにせよ、普通に仕事をしていれば、ある程度、専門的な知識は誰もが持っていたりすると思います。
そうでなきゃ、仕事はスムーズに進みませんから。

そういうブロガーの方がこれまでの専門家と違うところといえば、これまでの専門家がプロとしてコンスタントに知識を発信し続けるスキルをもっていたのに対して、個人がブログで書く場合、コンスタントに専門的知識を発信することはすくなくても義務ではないというところなんじゃないでしょうか。

情報発信の手段が独占されていた時代

というわけで、こうやってブログでいろんな知識が得られる状況になってみて、あらためて思うのが「専門家と一般人とのギャップって、かつて考えられていたほど、実はないんだね」ということだったりします。

じゃあ、なんでそんな風に勘違いしてたんだろ?って考えると、ようは知識をもってる人がたくさんいても、それを身近な人以外に対しても発信できる手段がなかったということなんだろうなと思います。



情報の発信手段がテレビや雑誌、書籍や新聞など、ごく一部に独占されていた状況では、その枠内で専門的な知識を披露できる人の数も限られてきます。
そうすると、なんとなく専門家だけが専門的な知識をもっているように感じられてたわけですけど、ふたを開けてみたら実はそうではなかった、と。

不連続ではなく連続的

そういう意味でブログでいろんな人が持っている知識を発信するようになって、専門家と一般人には断続的なギャップがあるわけではなく、ほとんど地続きでつながっているんだという感覚のほうが正しいんだろうなと思えるようになってきました。



すくなくとも、ここからここまでが専門家、それ以外は一般人みたいな境界は存在しないことは見えてきたのではないかと。
テレビや雑誌に出ている人がすごいかっていうと、そうじゃないんだということを薄々感じている人はもはや少なくないんだろうなと思います。

知識のロングテール

とはいえ、専門家と一般人にはギャップはないと聞いて違和感を持たれる方もいると思います。
そして、その感覚もまた正しいんです。

なぜかというと、専門家と一般人には断続的なギャップはなく連続的につながっているとはいえ、そこに差がないという話とはやっぱり別なんです。

専門家と一般人のレベル差は実は昔も今もあまり変わっていないんだと思います。
そして、情報摂取が効率化された分だけ、その格差はむしろ広がっているのではないかとも思います。

専門知識に限らず、知識格差というのは昔以上に広がりつつあるのではないかと。
そして、それは以前からそうであったに違いないんですけど、知識のロングテール化傾向がみられるんではないかと思います。

そんな話が書かれていたのは、確か公文俊平さんに『情報社会学序説―ラストモダンの時代を生きる』だったと記憶しています。

上には上が、下には下が

いわゆるロングテールって下図のような形になるわけですが、問題は左のグラフの上位20%だけをとってグラフにしても、右のようなロングテールのグラフとなり、反対側の下位80%をグラフにしてもやはりロングテールになるということです。



つまり、ある大きな集団を細分化して小さな集団を作っても、そこには依然としてロングテールのベキ分布傾向がみられる。それが「専門家と一般人にはギャップはない」と聞いた際の違和感の要因だと思います。

ようするに、この部分が隠されていて専門家と一般人みたいな2つの幻想のクラスターがあったのが、情報発信手段独占の時代だとすれば、いまはそうした制約がなくなった分、知識のロングテール化、ベキ分布化傾向が可視化されてきているのではないかと。

専門家と一般人という差があるわけではなくて、むしろ、どこを切ってもロングテールな連続的な差が知識には存在している。

この事実をみて、落ち込むのか、やる気になるのか。
その差が大きいのかなって思ったりします。

P.S.
このエントリーを書いたすこしあとで気づきましたが、情報発信手段が一般人にも使えるようになるだけじゃ足りませんね。
もう1つ発信者とそれを閲覧する人がマッチングできるようになったのも大きいんですよね。それを書き忘れてたので追記。

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