脳とクオリア―なぜ脳に心が生まれるのか/茂木健一郎

先日、「言葉の意味とは?:オルタナティブを考える力」というエントリーでもこの『脳とクオリア―なぜ脳に心が生まれるのか』という本については取り上げましたが、すべて読み終わりましたのであらためて書評を。

脳に対する物理学的アプローチ

まず、この本を読んでの一番の感想は、茂木健一郎さんというのは物理学者なんだなという印象をもったことです。
もちろん、脳を対象に研究をされているので、多くの方が認識しているとおり、脳科学者という位置付けで間違いありません。ただ、その脳に対するアプローチの仕方はあきらかに物理学者の態度のように感じました。

脳に対するアプローチは、生物学的、生化学的な方面から行うのがより一般的なアプローチといえるのかもしれませんが、この本に見られる茂木さんのアプローチはそれとは違うもののように思いました。
何分素人なので、何が生物学や生化学的アプローチと違い、物理学的なのかをうまく説明することはできませんが、どちらかというと、この本に見られる茂木さんのアプローチは、以前に紹介した数理学者であるペンローズのアプローチに似ています。ペンローズのように、未来の量子重力理論と重ね合わせて脳と心の関係を探ることはしませんが、心の機能である認識、意識、理解、そして、クオリアなどをすべて「ニューロンの発火」から説明しようとする徹底したアプローチは、とても物理学的な印象を与えるものでした。

認識のニューロン原理

この本での脳と心の問題をすべて「ニューロンの発火」から説明しようとする徹底した試みは、以下のような「認識のニューロン原理」として表されています。

《認識のニューロン原理=私たちの認識は、脳の中のニューロンの発火によって直接生じる。認識に関する限り、発火していないニューロンは、存在していないのと同じである。私たちの認識の特性は、脳の中のニューロンの発火の特性によって、そしてそれによってのみ説明されなければならない。》
茂木健一郎『脳とクオリア―なぜ脳に心が生まれるのか』

この「認識のニューロン原理」が、本書を通じて徹底的に貫かれており、普通なら認識の違いを生み出すものとして想定しがちな視覚と聴覚などの外部情報の様相(モダリティ)の違いさえも説明の要素から排除されます。

「赤い」や「甘い」「固い」「冷たい」「煙草臭い」などの異なる感覚器官によってもたらされると思われるクオリアでさえも、そのクオリアが生まれ出る説明に「ニューロンの発火以外は、何も仮定するな」というきつい条件を課すのがこの「認識のニューロン原理」です。

それゆえに、茂木さんは、

《「私」が「私」の「外」にある事物を認識する》
という言い方は間違っている。それどころか、極論すれば、私が認識することの内容と、外からの刺激の内容は、原理的にはまるで無関係であるとさえ言えるほどである。認識の内容は、あくまでも、脳の中のニューロンの状態から、自己組織的に生まれてくる。
茂木健一郎『脳とクオリア―なぜ脳に心が生まれるのか』

と言います。

同じようにデジタルに情報を扱っていても・・・

ただし「私たちの認識の特性は、脳の中のニューロンの発火の特性によって、そしてそれによってのみ説明されなければならない」といっても、単にそれを、僕たちの認識が脳のニューロンの発火が「ある/なし」によるデジタル的なものだと言うだけなのであれば大したことはありません。視覚的な情報や聴覚的な情報を単にデジタルデータとして扱うことなら現在のコンピュータでも難なくできます。

しかし、コンピュータと脳は違います。
外部にあるものの視覚情報や聴覚情報を単にデジタルデータに変換して内部に保存することと、視覚情報や聴覚情報から外部にあるものを認識していると感じるのとはまったく違います。

そのことは僕たち自身が普段行っていることを考えればわかります。
そもそも僕たちは視覚情報や聴覚情報を別々に用いて、ものを認識しているわけではありません。

視覚だけをとっても、あるものをみるとき、僕たちは、色、形、テクスチャー、動きを別々に認識していると感じることはなく、それらが統合されたものとして対象を見ています。ただ、実際のニューロンにおいては、色、形、テクスチャー、動きは別々のニューロンの発火によって捉えられた上で統合されます。

同じようにデジタルに情報を扱いながら、脳とコンピュータはまるで違う計算を行っているようです。

相互作用同時性

色、形、テクスチャー、動きは別々のニューロンの発火によって捉えられるといっても、それはデジタルデータのように地図上のある場所が赤という色を保存し、別の場所が青を、また別の場所では形の情報を保存されるように捉えられるわけではありません。
ある外部刺激に特定のニューロンが反応するというような、刺激とニューロンの1対1対応を想定した考え方を「反応選択性」と呼ぶそうですが、茂木さんはこの考え方では、僕たちの脳がものを統合された形で認識することができないと述べています。

「反応選択性」に代わるニューロンの発火と認識の関係を説明するモデルとして、茂木さんがこの本で提示するのは「相互作用同時性」というものです。

《相互作用同時性の原理=ある2つのニューロンの発火が相互作用連結な時、相互作用の伝播の間、固有時は経過しない。すなわち、相互作用連結なニューロンの発火は(固有時τにおいて)同時である。》
茂木健一郎『脳とクオリア―なぜ脳に心が生まれるのか』

茂木さんはこの「相互作用同時性の原理」を相対性理論における「光の伝播する世界線に沿って固有時が経過しないという結果」との関係で捉えています。

いっしょに時間を過ごすというのはどういうことなのか?」で紹介したような10億光年の銀河を地球上の僕たちが見ている場合、僕たちが見ている銀河は10億年前のそれではなく、今の銀河であるという話と同じだと考えてもらえればいいと思います。

「反応選択性」において、色、形、テクスチャー、動きの統合の問題(結びつけ問題)がうまく説明できない点も、ニューロンが個別で認識を生み出すのではなく、ニューロン相互の関係における自己組織的な活動を通じて生まれてくるということと、その自己組織化の過程において「相互作用連結なニューロンの発火は(固有時τにおいて)同時である」という「相互作用同時性の原理」によって説明が可能になります。

もちろん、これは茂木さんの仮説であり、それが証明されたわけではないにしても、この物理学的な発想は従来の考え方をきわめてラジカルに覆すパワーをもっているという印象をもちました。

ラジカルな視点

このラジカルな視点が全体を通じて、貫かれているのがなんといってもこの本の魅力です。
第1章から、クオリアについて考察する第5章までで「認識のニューロン原理」を基盤として認識についての考察が行われるのが前半部分。
その後の第6章から10章まででは、認識に関する考察をベースに、「意識」「理解」「情報」「生と死と私」「自由」について順を追って、それらに関する既存の概念をこれまたきわめてラジカルに覆していきます。

これまで茂木さんの本はエッセイ的なものしか読んだことがなかったので、あらためてこうして茂木さんが本来専門としている分野に関する入門書を読むと、とても新鮮な印象を受けました。僕がこれまで読んだ本はむしろ、この本の6章から10章までのバリエーションであるようにさえ感じます。

その意味では、この本の1章から5章までを読むのと読まないのでは、茂木さんが書いていることの理解の仕方もまるで変わってくると思いました。

茂木さんの本が好きな方で、まだ、この本を読んだことのない方には本当におすすめの1冊です。

 
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