意識の中心と周縁

前に書いた「意識の中心と周辺」というエントリーの補足として。

「中心と周辺」という言葉は下條氏が独自に用いている言葉なのかもしれませんが、同じことは脳神経科学者のジェラルド・M・エーデルマンが次のような形で示しています。

ところで、意識シーンにはまんべんなく焦点が当たっているわけではなく、意識の中心と意識の周縁がある。これは、ダイナミック・コアが複雑な「機能クラスター」として営まれることから必然的にもたらされる特徴といえる。

中心と周辺(あるいは周縁)があるのは、観察から導かれたパターンであり、科学的に検証された事実というよりは、むしろ、「リンゴが木から落ちる」のと同様の研究対象であるといえます。
また、上記引用にあるダイナミック・コア・モデル自体、エーデルマンの仮説であり、これからの研究により、その確かさを検証されるべき段階のものだとえいるのでしょう。

その意味では、下條氏の本でも意識の中心と周辺に関しては同じように研究対象として、中心と周辺が生まれるメカニズムを理論化がもたれる課題として描かれているはずです。その意味で「リンゴが木から落ちる」なのかと。

さらにエーデルマン自身はこの「意識の周縁」という言葉を、心理学者でプラグマティズムの哲学者であるウィリアム・ジェームズから引用しており、先の本の用語解説の中で次のように説明しています。

意識の辺縁
ウィリアム・ジェームズが用いた言葉で、「かすかな脳のプロセスが思考に及ぼす影響」のこと。それによってわれわれは「関係および対象に気づくが、ぼんやりと知覚するだけ」である。

もちろん、この意識の中心と周辺(あるいは周縁)には、明確な境界線があるわけではなく、「焦点的に集中した状態からゆるやかで拡散した状態まで、注意による調節を受ける」(エーデルマン)といった特徴をもっているようです。

このあたりは昨日参加させてもらった「一過性刺激」の話とも関係あるのかななんて素人ながら思ったりします。

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