とうぜん、渋滞に巻き込まれて抜けられなければ、期待していたメリットも生まれてこない。それでいいってこともあるけど、それ以上を期待するなら、何かしら手をうつ必要はあるんでしょうね。
と、朝からなぜかそんなことを考えています。自分自身を含めて、周囲が置かれた現状が渋滞のなかであるような気がしたので。
ひとつには、僕自身に関してですが、やっぱり孤立系路線を追及したほうがよさそうだなと思い始めてます。「僕がWebやブログを見ていて悲しくなる7つの場面」でつまらないことを書いてみて気づきました。あっ、これ、僕の路線じゃないって。こんなのやりたいわけじゃないなと。
なんとなく孤立系というと、2.0的じゃない感じもしてましたが、そうじゃないんだなとさっき気づきました。つながっていることと孤立していることは同時に成り立つかもしれません。
そう感じたのは「SEOをマーケティングの一部だと考えるのなんてもうやめたらいいのに」にもらった様々な意見を読んで。噛みあってないのもあるんだけど、そっちは噛みあってなくてもコメントをくれた人のほうにもその人なりのちゃんとした考えがあった。そういう状態が僕はいいなと思う。つながっていつつ孤立が保たれていると感じます。孤立を孤独と錯覚しなければ、これはこれでいけそうです。
というのも、孤立系路線でいったほうが自分のレベルを保ちやすいような気がしたんです。ただ、保つだけじゃなくちょっとずつレベルを上げていくことも可能という意味で。
で、繰り返すとここでも孤立しているというのは、別に周囲を気にしないということでも、周囲と関わらないということでもありません。
そうじゃなくて、行動としては周囲と関わっても、中身が孤立している状態というのもあるなと考えました。周囲に関わりつつ、独立性を保つとか、スルー力で相手の言動に巻き込まれないようにするとか、用いられた同一の言葉を文脈においても同一なものかを判断した上で議論にはいっていくとか、そうやって自分の立ち位置を維持することは、他人と関わりつつでもできるなと考えました。
言葉や雰囲気にふりまわされて自分の立ち位置を見失わなければ、孤立性は維持できるなと。
大事なのは、自分の意志を見失わないことです。
そして、同時に常に自分の意志を更新していく。
どうにか、僕自身に関しては、この方法で渋滞を抜けることを試みてみようかと。
その他、僕個人以外のことに関しては、また別途。
この記事へのコメント
noriyo
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おすすめです。
tanahashi
おもしろそうなので読んでみます。
一方で、カントやマルクスなどは、交通・流通が発展した地域に住んでいたからこそ、ああいう思考ができたという話も読んだことがあります。
そういう意味でも、たぶん、孤独と外部との交流は矛盾しないのか、と。
おたこはん
tanahashi
そのことは意識的ではなければいけないと。
george_n
本質が誠実で一本筋が通っていれば良いと思いますよ。
tanahashi
今日はそれが身に染みた一日でした。