アイデアの私有と共有

アイデアは誰のものなのか?
この〈SHARE〉の時代にそれを問う意味とは何なのか、僕らはそのことを問い直さなくてはいけない段階に入ってきています。



僕らはいまなお「アイデアには所有者がいる」と考えることを当たり前のように思ってしまっています。

例えば、以前に比べて、僕らが日常的に行うようになったワークショップやブレインストーミングなどのグループワークによるアイデア出しの場などでも、いまだに「誰が出したアイデアが採用されたか」とか、「結局、声の大きな人のアイデアが採用されてしまう」とか、といった「アイデアの所有者は誰か?」にこだわる思考からなかなか離れられない人がすくなくありません。

けれど、そうしたグループワークによる共創の場において、アイデアの所有者探しをするのは賢明ではなく、むしろ、グループでより素晴らしい発想を生もうとする際の妨げにもなりえます。
なぜならグループワークでの共創の作業は、基本的に他者とのインタラクションのなかで次々に発想を生み、展開していく方法なのですから、あるアイデアが明確に誰が生み出したものと言えるような状況はありえません。

たとえば、ブレインストーミングは他人のアイデアにのっかりながら発想を膨らませていくことで、グループ全体でより良いアイデアを生み出していきましょうという方法です。
他人のアイデアを膨らませることが前提となっている時点で「アイデアの所有者が誰なのか?」という考え方とは根本的に無縁なはずです。

また、そもそも、こうしたブレインストーミングをはじめとするグループワーク的な共創作業を通じてアイデアを生み出す活動が定着してきた背景には、私有よりも共有を大事にする価値観をもった人が増えてきて、アイデアの発想という価値創造のプロセスにおいても〈SHARE〉することが当たり前と考える人が多くなったからだと思います。
ですが、それでも、そうした場の参加者のなかにも、従来的な「俺が俺が」という個人主義的な姿勢を引きずってしまっている人もいるといった過渡期の状態がいまなのでしょう。

知の所有に関する「個人主義」と「集団主義」の2つの態度

アイデアを従来のように「私有する」という発想から「共有する」という発想への変化は歴史的にみると、むしろ回帰的なものであることに気づきます。

例えば、ヨーロッパの近代前半を中心とした知識の社会的な意味やあり方の変化の歴史を考察したピーター・バークの『知識の社会史』では、文章や図画などの形となった知識や情報に関する所有権の捉え方にも歴史的に、個人主義的な考え方集団主義的な考え方の2つがあったことが指摘されています。

前者の個人主義的な考えがこれまでの僕たちの考え方であり、「文章は個人の頭脳の仕事だから、個人の財産だと見なされ」ます
一方の後者の集団主義的な考え方は、中世までの写本の時代に支配的であったもので、その考え方においては「あらゆる新たな創作は共有の伝統を活用しているのだから、文章は共有財産だと見なされ」ます

歴史的には、文章などの形となった知財を、社会における共有財産とみなす考え方から、基本的に書かれた文章は書いた人の個人的な財産と見なす著作権の考えが定着した現代へとシフトしてきました。

より個人主義的な態度に向かう傾向は、印刷術が現れたことで強められた。印刷は、文章を普及させることだけではなく、文章を固定することにも役立ったからである。
ピーター・バーク『知識の社会史』

と書かれているように、文章を私有化するという個人的な傾向は、印刷術以降に顕著になっていきます。
それは印刷によって、書籍自体が私有化しやすくなり民衆レベルにも普及したことと、書籍という「文章を固定する」形態を印刷によってより製造しやすくなったことにより書籍というメディアを介して文章が「商品化」されたからです。
その後、映画やラジオ、テレビなどのメディアが登場してもなお書籍という「文章を固定する」メディアは知や情報を私有化しやすいメディアであり商品として、新聞や雑誌などと同様、知の所有に関する個人主義的な思考を支えてきたのだと思います。

中世のフリー・カルチャーと著作権という概念の誕生

それがインターネット以降、クリエイティブ・コモンズに代表されるフリー・カルチャーの動きにも見られるように、書かれた文章なども、そのソースも含めて共有財産として利用できるようにして、ふたたび、個人の利益以上に社会全体の価値を高める方向へと回帰する傾向が目立っています。

ピーター・バークが提示している中世の写本時代の「フリー・カルチャー」の例が面白いのは、以下のように、いま以上に徹底して、知を社会的な共有財産として扱っており、「著作者」という概念がまったく存在していない点です。

手書きの本を書き写す筆写者は、どうやら、自由に追加や変更をしてもよいと感じていたようだ。逆に、「新しい」著作を書く学者は、先人たちの文章の一節を自由に自著に組み入れてもよいと感じていた。
ピーター・バーク『知識の社会史』

筆写者が自由に追加・変更をするというのは、すごくないですか?
それってつまりオリジナルという概念がないということなのですから。

中世までの写本の時代においては、これが正しいというオリジナルの文章がなかったということでしょう。筆写者が文章に追加や変更を加えたとしても、それは引き続き同じ作品だということなのだと思います。
以前「版(version)の危機」という記事で、書物としての『平家物語』に無数の異本があるのは、もともとそれは琵琶法師が語り継いだ「口承文学」であることを思い起こせば当然と書いたのと同じような思考がヨーロッパ中世までの写本文化にはあったのだと思います。

その意味では中世までのヨーロッパの古典的な文章作品に関して、筆写者の書き間違いなどをなくしてオリジナルの文章を復元するといった発想自体が近代以降に生まれたオリジナル/コピーの概念を無理矢理当てはめてしまっているということになるのでしょう。
その意味で、ある著作には必ず著作者が1人いて、その人が書いた文章がオリジナルでほかはコピーだという発想は、著作者という概念が生まれた近代以降の幻想だということができます。



また、「著作者」という概念が筆写者や学者のなかに存在しないのもある意味、当然で、例えば、イギリスで著作権法が生まれたのが1709年という、近代初期になり、すでにヨーロッパの各地に多くの印刷業者が存在し、数多くの書籍を出版していた時期だったからです。

もちろん、それ以前から局地的には著作権の発想は生まれてきており、記録に残る最初の本の著作権としては、ルネサンス期の1486年に人文主義者のマルカントニオ・サペリーコのヴェネチア史に与えられたものがあります。さらに、芸術家の最初の著作権が1567年、ヴェネチア元老院からティツィアーノに与えられています。

ともにヴェネチアであるのは偶然ではなく、15世紀にはヴェネチアで印刷される本はヨーロッパのどの都市よりも多く、16世紀までヨーロッパの出版の中心地としての地位を維持しており、そのため、印刷業者間の競争も激烈で、業者間でのスパイ活動や海賊行為も頻繁だったからです。

いまも昔もパラダイムの変化は、知や情報がモノに先行する

インターネット以降の知財を私有財産とみなす発想から共有財産へとみなそうとする回帰的な動きは、より物理的な財における、カーシェアリングに代表されるような物理的な財の「購入・私有」から「利用・共有」へのシフトメーカーからの大量生産財の提供からメーカーズによる個人レベルでの製造へのシフトなどと連動した価値観の変化としてみることができると思います。

このシェアや共有財産化へのシフトは、最初にインターネット上で共有しやすいテキスト情報やデジタルなコンテンツからはじまり、いまや物理的な財へも広がっています。僕らはなんとなくこれを情報というどちらかといえば周縁的なものから、モノという中心的なものへ変化の範囲が広がったと見てしまいます。
けれど、その僕らの感覚はどうも違うようです。

実は中世から近代へとシフトする際も、同じ順番で、知や情報から商品化がはじまり、物理的な財の商品化(大量生産による同じものの販売)が後追いしたのです。
まさに以下の引用にあるように、書籍商=業界の典型であったかのように、書籍の商品化や市場の成立はほかの大量生産品としての商品より先行していたのです。

「業界」(the Trade)という言い方は、まるで書籍商こそが商売人(trader)の典型であるかのように、書籍商のことを言うのに使われた。
ピーター・バーク『知識の社会史』

僕らはこのあたりを勘違いしがちなのですが、情報が先であって、モノは後なのです。

それはマーシャル・マクルーハンの次のような文章を理解すれば、実は当然のことのように思います。

機械時代の終焉を迎えているにもかかわらず、なお人びとは、新聞やラジオは、いやテレビさえも、情報形態であることは認めながらも、実は車や石けんやガソリンと同じように有形商品(ハードウェア)の製造者や消費者によって売買されるものと考えていた。オートメーションが地歩を固めるにつれて「情報」こそが肝心の商品であって、有形の生産品は情報の移動を助ける付随物にすぎないことが明確になってくる。
マーシャル・マクルーハン『メディア論―人間の拡張の諸相』

こうした意味で、知や情報が先行して、私有から共有へと回帰しようとする傾向があるのを認めるとき、その領域での新たな共有のしくみをこれからの経済や文化のあり方にフィットするようリデザインすることで、さらに範囲を広げた物理的財の共有にも活かせるしくみができるのではないかと思っています。

その意味で、インターネットを介しての共創作業でも、リアルな場で人的なネットワークを活用するフューチャーセッションやワークショップなどの場でも、そうした知や情報の共有を経済文化につなげていく方法をどんどん生み出していくことがこれからも大事なんだろうなと感じます。

 

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