2006年12月30日

赤を見る―感覚の進化と意識の存在理由/ニコラス・ハンフリー

ニコラス・ハンフリーの『赤を見る―感覚の進化と意識の存在理由』は、スクリーンに映し出された赤い光を見るという行為の中に生まれる感覚とその性質、それが進化してきた過程を探りながら、人間の意識の謎に迫ろうという大変おもしろい試みを、実際に2004年春にハーヴァード大学で行なわれた講演をベースに再構築して書かれた本です。

昨日の「主観、客観、そして、クオリア」というエントリーでも紹介しましたが、最後まで読み終わりましたので、あらためて紹介させていただきます。

サザーランドの「意識の定義」

本書は、イギリスの心理学者スチュアート・サザーランドが1989年に行なった、次のような意識の定義からはじまります。

意識とは、興味深いがいわく言いがたい現象である。それが何であり、何をなし、なぜ発達したかを特定することはできない。それについて読む価値のあるものは、いまだ書かれたためしがない。

この定義は現在でも人気を博しており、2005年3月の段階で著者がGoogle検索したところ、48のサイトがこれを是としているそうです。

この定義のうちにある意識が「何であり、何をなし、なぜ発達したかを特定すること」が本書のテーマであり、さらには、それが意識について「読む価値のあるものは、いまだ書かれたためしがない」のは何故かについても考察しています。

赤を見るという感覚

昨日も紹介しましたが、本書は意識の謎に迫るのに、知覚ではなく、感覚の謎、そして、それが進化してきた過程についての考察を中心にしています。

ハンフリーは、主体Sがスクリーンに映ったを見た際の感覚と知覚の関係を次のような図として捉えました。

reding

ここでは、感覚から知覚が連続的に生み出されるという従来的な見方を採用せず、感覚と知覚は別々のものとして同時に生じているのだというハンフリー独自の見方があります。

彼はその考えを、自身が最初の発見者である「盲視」という症例を元に考え出しています。
盲視状態にある患者は、実際には「見えている」のに「見えている感覚がない」そうで、目の前に赤いスクリーンがあるのを正確に推測できるにも関わらず、自分がそれを見ているという感覚がないために、それを事実として受け止められない。それゆえに自分が赤を見て、そこに赤があるという推測をしているとは信じられず、自分が実際に見て推測しているのか、単なる当て推量でそう答えているのかがわからないのだそうです。

こうした盲視に見られる「見える」という知覚のみがあり「見えている」という感覚のない患者の症例から、ハンフリーは知覚と感覚が別に生じうることを見出しています。

経験があって初めて経験をする主体が存在しうる

そして、この感覚というものの特徴を次のような形で捉えます。

この感覚は、明らかに彼が作り出すものだ。それは、彼がスクリーンを見遣るまでは存在せず、目を閉じれば消えてなくなる。
ニコラス・ハンフリー『赤を見る―感覚の進化と意識の存在理由』

感覚は主観的で、かつ、私秘性をもちます。知覚されたものは客観性をもち、主体が関わるかどうかに関わらず、そこに存在します。それは他者との交換が可能ですが、感覚それ自体はきわめて私秘性が高いがゆえに他者の交換、共有が厳密には不可能といえます。

感覚は、主体その人がつくり出すものであると、同時に、ハンフリーは感覚こそが主体を作り出しているのだと考えます。

フレーゲの主張は、経験する主体があって初めて経験が存在しうるというものだった。しかし、私が強調したのは、これに対するアンチテーゼ(あるいは、フレーゲの主張の必然の帰結かもしれない)だった。それは、経験があって初めて経験をする主体が存在しうるというものだ。すなわち、主体は主体となるべきものを何か持っていなければならない。
ニコラス・ハンフリー『赤を見る―感覚の進化と意識の存在理由』

感覚は行為である

主体であるSが赤いスクリーンを眺めて、自ら赤をしているという感覚を作り出し、かつ、それを経験する過程に、S自身が主体的にアクセスするにはどのような条件が必要なのだろうかと考えるとき、感覚とはほぼ必然的に行為でなくてはならず、しかも、表現という行為である必要があるとハンフリーは論じています。

ここからハンフリーはアメーバのような原生生物が自分の内と外を区別する際の、外部刺激に対応した内部の身悶えに感覚の起源を見出します。詳しくは本書を読んでいただくとして、ハンフリーはこの身悶えという表現行為に感覚のはじまりを見出し、次のような図とともに感覚の進化を説明しています。

感覚の進化

何が起きたかといえば、感覚的な活動がまるごと「潜在化」されたのだ。感覚的な反応を求める指令信号が、体表に到る前に短絡し、刺激を受けた末端の部位まではるばる届く代わりに、今や、感覚の入力経路に沿って内へ内へと到達距離を縮め、ついにはこのプロセス全体が外の世界から遮断され、脳内の内部ループとなった。
ニコラス・ハンフリー『赤を見る―感覚の進化と意識の存在理由』

重要であることこそが意識の機能

さらにハンフリーは、感覚ミラーニューロンの問題や、フッサールやモネの絵画を参照しつつ、感覚、そして、意識の現象学的な特徴について考察していく中で、意識に関する1つの謎の答えに到達します。

意識が重要なのは、重要であることがその機能だからだ。意識は、追い求めるに値する人生を持った自己を、人間の内に作り出すよう設計されているのだ。
ニコラス・ハンフリー『赤を見る―感覚の進化と意識の存在理由』

サザーランドは意識を定義する際、「それについて読む価値のあるものは、いまだ書かれたためしがない」と書きました。ハンフリーが導き出した結論は、それについて書かれることでその重要性が失われないようすることそのものが意識の機能のうちに進化論的に取り込まれているからだというものです。

それはいつまでも追い求めるよう価値が持続されるよう、それぞれの人間の体内の機能して設計されているのです。その巧妙なトリックによって、ヒトは永遠に意識の不可思議さについて考え、意識のもたらす自己というものを大切にしていくのだろうと。

さて、この書評がおそらく2006年最後の書評になると思います。今年も60〜70冊くらいの本を読んだと思いますが、さっき調べてみたら今年最初の書評はダニエル・C・デネットの『自由は進化する』に関するものでした。
この本でも何度もハンフリー自身が述べているように、デネットはハンフリーの数少ない理解者の1人のようなので、これも何かの縁なのかなと思いました。

来年もたくさんのいい本に出合えるといいなと思っています。

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posted by HIROKI tanahashi at 20:52| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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