いや、TAKAHIROさんが「「ウェブセンタリングマーケティング」への違和感: mediologic.com/weblog」というエントリーで書いてらっしゃる話のことですよ。
僕がいいたいのは、ウェブが中心だろうが、周縁だろうが、テレビが中心だろうが、周縁だろうが、それぞれのメディアがどの位置にあるか、なんてのは定式化されるもんでもない。また、それらは個々のマーケティング課題によって変わるもんだし、やっぱし、消費者の購買行動から仮説を作って、コミュニケーションプランを立てて、どのようにメディアを使うか、の順番でかんがえるべきだ。なのでいつも「ウェブが中心」であるはずではない。
なぜ方法から議論をはじめるのか? まずは目的ありきなのではないかの?ってことです。
まず方法論の前に何が目的なのかを定義した上で、目的を達成するためには市場および顧客とどのような関係性を生み出すかということがあって、はじめてメディアの選択といったところに落としこめるはずです。
あらかじめ、答えを想定しておいて、そこに結びつくような無理やりなプランを、いかにもな言い回しで語るのは好きじゃない。
それは「「やっぱコンテンツでしょ」という言葉の背後にある誤解」というエントリーでも書かせてもらったとおりです。
結局、「やっぱコンテンツでしょ」なんて話も表面的な部分最適化の話で、あとに続くような全体最適化の方向性をもっていないわけです。
全体最適化を目指すのなら、多少時間はかかろうとも、そして、抽象的でわかりにくいところからのスタートになろうとも、企業の根底の部分から掘り返していくしかないわけですよ。
ワークフローって一般化すれば、こうですよね。

メディアの選定なんていうのは、結構うしろのほうにある「設計」部分にあたるんじゃないでしょうか?
Webに関わる人が無理やりにでもWebを中心に置きたがる気持ちはわからないわけでもないんですけど、そういう強引なやり口だと結局、結果につながらないことも多々あって、Webが本来もつパフォーマンスも引き出せなくて、Webそのものに対する信頼も落ちていくことになるんじゃないでしょうかね?
Webを利用するマーケティング屋さんも将来を見据えた戦略をとるのか、目先の売上を考えるかってことですよ。
TAKAHIROさんが上記のエントリー内で書いていらっしゃるとおり「ウェブは“中心”にあろうが、なかろうが、僕らの発想を豊かにしてくれるパワフルでメディア/インフラ/しくみ」なんですから、きちんと上流からコミュニケーションプランを考えて適材適所で使っていくというのが正しいのではないか、と。
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この記事へのコメント
タカヒロノリヒコ
結局みんな、型にはめないと考えられない状況になってるんでしょう。そんな状況こそが危惧されるべき時代です。
tanahashi
確かに型にはまる安心感というのはあるでしょうね。
でも、よーく考えてみるとわかるのですが、世の中、失敗とまではいかないまでも成功しない例のほうが多いわけで、みんなが採用しているような「型にはまる」のはそれこそ、大多数が陥る「成功しない」にもはまる確率も高くなりますよね。
そう考えると「型にはまる」ことにはむしろ安心感など、まったくないはずですよね w
結局、単なる思考停止なんでしょうね。