マーケティングという問題意識

やっぱり買ってよかった、と、この一文を読んだだけでも感じられます。

以下は、茂木健一郎さん、田中洋さんの共著『欲望解剖』のまえがきに寄せた茂木さんの文章からの引用。

科学や芸術は、人間の本質を理解する上で欠かすことのできない知的ツールである。人々の欲望が社会の中でどのようにネットワーク化され、流通し、伝播していくのか。そのような仕組みを解き明かそうとする「マーケティング」という問題意識も、また、普遍的な人間性理解のツールとして重要度を増しつつある。
茂木健一郎『欲望解剖』まえがき

最近、個人的にはマーケティングだとか、Webだとかに関する世間的な認識に対して、実は失望していたりしています。マーケティングに対しても、Webに対しても、どうも浅く表面的な認識のみで議論されている気がしていて、手軽に楽しめるわかりやすい結果=答えのみをもてあそんでいるだけで、何かマーケティングやWebに参加しているかのような誤解が歩きがしているからです。

ユーザビリティって結局は現実世界の経験や文化にもとづいた、それぞれの人の頭のなかに構成された記憶に追うところが多く、そして、その記憶は単に部分的で、構成的なだけではなく、暗黙知的で全体的なところもあるわけですよ。それをディテールの問題のみで改善しても、全体的な認知上の問題(例えば、これは未発売の本を予約する機能で、たとえ購入したとしても当然ながら発売前には本は送られてこない)に対する配慮が行なわれなければ、ユーザビリティは改善されない(買ったのに1週間経っても届かない!でも、まだ発売には1週間ある)ということもあるわけです。

ブランドとはその企業あるいは製品、サービス、人などに対する評価が結晶化したものだといえます。「結晶化する」というからにはそこには秩序だった法則性が存在しなくては結晶とはなりえません。ようすうに人がその企業や製品に接した様々な経験のうちに、有益なパターンを見出せたかどうかによって、その企業、製品がブランドとなりうるかが決まるわけです。
そのような意味で、ブランディングを目的としたWebの設計、および、コミュニケーションのデザインには必然的に、ブランドに接するユーザーが何かしらの有益なパターンが見出せるような配慮を、空間的な意味でも、時間的な意味でも考慮していかなくてはいけません。

そこに境界があるからこそ、僕らは画面の向こうの世界を楽しめるわけで、それがないとしたら今ほど自由きままに画面の向こうの世界を楽しめない。それこそ、フレームがとても軟な存在で、いつ画面の向こうの世界がこちらに流れ込んでくるかいう心配があるのなら、テレビやゲーム、ネットというシステムは、今とはまったく異なるものになっているはずでしょう。
ヒトは習慣化によって、インターフェイスを意識しなくなります。習慣化によって文字通りヒトそのものがシステムのうちに組み込まれるようになる。ここにHII(Human Information Interface)としてのIAの1つの課題がある。

深さへの興味の欠乏

僕が失望しているのは、そこに深さへの欲望、基盤を重視する忍耐力、勤勉さが不在にみえるからです。欲望の要因を探ろうとするのではなく、単に目の前に提示されたものだけに欲望しているだけ、そんな風にさえ感じられてしまう。ちょっと辟易した感があります。
それでこの年末にもかかわらず、Webとかマーケティングとか、もうやめようかと悩んでしまうほどの失望感があります。

そんな状況なので、先に引用した短い文章を読んだだけでもすこしほっとした気持ちになります。

どんなシステムか、何がシステムを動かすのか

目の前に提示された答えの良し悪しだけを何の確たる根拠もなく論じるような議論にはあまり意味がないと思っています。それよりも何故そうした答えが生み出されてくるのか? 何がそのような結果を生み出すエンジンなのか? そのエンジンはどのような内包と外延をもって「エンジン」と呼ばれるのか?

人々の欲望が社会の中でどのようにネットワーク化され、流通し、伝播していくのか」。

このような問題意識を導入することで、答え=結果として内包されていた全体性の概念が異なる位相に変換されます。ただの線として描かれていたものが実はある太さをもっており、その線の中にも実は描きこめる余地があることに気づかされます。義歯の違和感によって歯という身体の内部と外部をつなぐインターフェイスの存在に気づくことで、さらに義歯の違和感による食事の味わいづらさを感じることでシステム自体が変換する。そうしたしくみ、ネットワークがもつ性格みたいなものに、ようやく議論の焦点があたるような気がするから。

マーケティングという問題意識、Webに対する問題意識

それはマーケティングにおいても、情報社会における重要なツールとしてのWebにおいても、本来、焦点を当てられるべきテーマなのではないのかと感じます(「~べき」という言葉は本来嫌いですが)。

なぜ、ここまで自分たち=ヒトというものに対してより深い理解を得ようとしないのか。あるいは、ヒトの集まりによって形成されるシステム、または、ネットワークというものに対して、ある一時点の静的な様子だけをみて、そのシステムまたはネットワークに潜むダイナミックさ、内包と外延がからみあって生み出す質=価値の転換という変化を議論の俎上に乗せようとしないのか

どんなに「いい商品をつくろう!」とはりきったってダメなわけです。いい商品を作り出すための企業の下地ができていなきゃ、どうにもならない。例えば、それは常に顧客の声、市場の動向に関心を寄せてきたのかとか、技術力や開発力を養ってきたのかとか、生産性や品質の向上に日々努力してきたかとか、そういう下地ができているかどうかでスタート地点が違うわけです。


結果だけをみて、それを生み出す過程にある人々の欲求や、自分たち自身のしくみの脆弱性、市場というネットワークにおけるダイナミックな影響力などを加味せずに、ただ結果だけを追い求めるのはどうなのかと。
というか、そんな浅はかな考え、行動で、結果など出たためしはないですし。

失望を感じるのは、結局、そういう表面的な努力だけじゃ、いくらがんばったところで、結果が出ないのが目に見えているからなんでしょうね。
自分たちはこれしかできない→だから、これをやる。
いやいや、結果に結びつかないのがわかってるなら、そもそもやる必要ないわけです。結果に結びつかないものに時間を費やしてるくらいなら「自分たちはこれしかできない」の範囲の線引き(内包)を変換するのに時間と労力を費やしたほうが利口なんです

そんな大きな失望感を感じる、ポストクリスマスな今日この頃。

P.S.
などと書いている間にも『欲望解剖』読み終わりました

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