2006年12月24日

私的インフォメーション・アーキテクチャ考:15.インターフェイスの質量

まずはこの図を見て下さい。なんだかわかります?



答えは後ほど。

義歯の違和感

さて、僕は、鉄製のスプーンやフォークがちょっと歯に触れた時の感覚がたまらなく嫌いです。スプーンがちょっと歯に当たったりすると、まるで歯全体が金属になったような違和感を感じたりする。それは普段、意識することのない歯の質感をあらためて意識させられるからかもしれません。

義歯の違和感というのは、平凡な僕らでさえ、歯の潜在する機能を発見できるような、それによって身体の内と外の関係を変えていけるような、そういった道具というわけだ。歯の質量は、義歯の違和感によって再発見され、それによって僕たちは、改めて違和感を避けるような噛み方をしたり、咀嚼の仕方を工夫する。(中略)いずれにせよ、違和感の発見によってインターフェイスの質量が見いだされ、システム自体、システムと外部の関係が変わっていく。
郡司 ペギオ-幸夫『生きていることの科学』

普段、食事をする際に、いちいち歯の質量などを感じていたら、とてもじゃないけど、食べ物を味わうことなどできないでしょう。そのことは僕にとってはあのスプーンやフォークが歯に当たったときのなんともいえない嫌な感じを思い出せば容易に想像できます。

しかし、当たり前のことですけど、歯があるからこそ、僕たちはある程度固いものでも噛み砕くことができ、噛み千切ることができるわけで、また、歯に備わった限界能力と食べる対象の組み合わせによって、無意識的に噛み方や顎の動かし方を調整しています。
その意味で歯を中心にしたシステムができており、それは顎の形や顔の骨格にも影響を与えるはずです。例えば、普段、やわらかいものばかり食べていれば、顎のまわりの筋肉がよわってきて、顎そのものが小さくなるように。

ゲシュタルト崩壊

同じように僕らが普段接しているインターフェイスは、その質量=存在が意識されていません。食事をする際にいちいち歯の質量など感じていれば落ち着いて食事もできないのと同様に、インターフェイスそのものの存在が気になりだしたら、僕たちの生活の風景は途端に非日常的なものに様変わりします。

例えば、ゲシュタルト崩壊。1つの文字をずっと見ているときに、「あれ、この字ってこんな形だっけ?」と思えてきて、見れば見るほど、いつもは見慣れているはずの文字が意味のない線の集合に思えてきたり。それがゲシュタルト崩壊の例ですよね。これも普段は意識されないインターフェイスとしての文字が意識の対象に浮かび上がってくることで、システムが異常をきたす例なのでしょう。ほとんどのシステムが普段はインターフェイスの質量が意識されないことで機能していると考えてよいのでしょう。

インターフェイスの質量

コンピュータでキーボード入力する際にも同じことが起こるんではないでしょうか。普段は当たり前にブラインドタッチできている場合でも、例えば、自分のうしろに普段立たないような人が自分の入力操作を見ていると感じたらどうでしょうか? そんなときに普段はまるで意識していないキーの位置がわからなくなって、やたらとミスタッチが多くなったりという経験はみなさんにも一度くらいはあるのではないでしょうか?

他にも、夜眠れないときになぜかふと自分の呼吸を意識してしまったがために自然に息をすることができなくなったり、それまでまったく気づかなかったメガネの曇りやモニターの汚れが一旦気になりだすと、地と図が反転したかのようにそればかりが気になりだしてしまったり。

で、最初のわけのわからない図ですが、あの図も上下左右を反転すれば、このとおり。



ライオンだとわかるわけです。
そして、一度、ライオンだとわかってしまえば、再び、逆転してもライオンにしか見えなくなってくる(なので、最初の図も僕にはすでにライオンにしか見えてなかったので、これがクイズになっていたかははなはだ不安)。

インターフェイスは意識されない

いわゆる遠近法における消失点だとかもその一種ですよね。消失点など普段気にしないからこそ、二次元の図像が三次元的な立体感を与えてくれる。また、絵のフレーム自体、そういう役割を果たすものですよね。テレビやゲームのモニターも同じでしょうか。画面の枠があるからこそ、僕らは安心して画面の内部の世界に入り込める。
もし、あの境界がものすごく曖昧なものだと感じられて、いつ画面の中の世界が外にあふれ出してくるかわからないものだとしたら、安心してテレビやゲームの世界を楽しむことなんてできないんじゃないでしょうか? ネットをしていて匿名で誰かの悪口を書いているときに、突然、その相手が出てくることがあるかもしれなかったら、気軽に悪口を書き込めるかという話。そこに境界があるからこそ、僕らは画面の向こうの世界を楽しめるわけで、それがないとしたら今ほど自由きままに画面の向こうの世界を楽しめない。それこそ、フレームがとても軟な存在で、いつ画面の向こうの世界がこちらに流れ込んでくるかいう心配があるのなら、テレビやゲーム、ネットというシステムは、今とはまったく異なるものになっているはずでしょう。

意識がシステムとして可能になる基盤を与えてくれるものとしてのインターフェイス

しかし、その重要な境界としてのフレームが意識されているかといえば、そんなことは決してない。むしろ、意識してしまえば、不安になる。義歯の違和感、ゲシュタルト崩壊の場合と同様に。

システムをシステムたらしめているインターフェイスは普段、それを利用する人に意識されないことで機能している。ただし、それは本当に存在しないのではなくて、そこにありながら意識の外の、まさにその意識がシステムとして可能になる基盤を与えてくれる。しかし、それはそこにある限りにおいて、いつ何時、意識の範囲に入ってしまうことでシステムそのものを崩壊させることにつながるのかはわからないわけです。

ヒトは習慣化によって、インターフェイスを意識しなくなります。習慣化によって文字通りヒトそのものがシステムのうちに組み込まれるようになる。ここにHII(Human Information Interface)としてのIAの1つの課題がある。
それは普段から意識されるようなものでは機能せず、しかし、それでいてそれが存在することでシステムそのものがうまく機能するようなものでなくてはならないわけです。

ヒトに習慣化を促し、ヒトそのものがシステムそのものに組み込まれることに違和感を感じないような形で、基盤として機能するインターフェイス。存在を意識されるようなものではなく、しかし、その存在はいつでもヒトの目の前に置かれているような存在感をもつ奇妙な存在としてのインターフェイス。

ヒトのもつ学習という機能と、好奇心というものをうまく利用できるものがそうしたインターフェイスになりうる可能性をもつのでしょうね。


posted by HIROKI tanahashi at 20:46| Comment(1) | TrackBack(1) | IA | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ライオンには見えないけど…
Posted by うらら at 2006年12月25日 07:17
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