
上は「より良き未来をデザインするため」には、「問題を正しく定義する」ことが大事ということを整理してみようと思って描いたノートです。
これを描きながら、
- 問題を正しく定義するための場として、多様な人びとを集めたフューチャーセッションのような場があり、そこでは様々な人のもつリソースを引き出し、つなげるような外部者の役割もあるなとか、
- そういう外部者の役割は従来のように解決のためのプロダクトを提供するのではなく、参加者が自主的に問題解決の方法をつくれるようなプラットフォームを用意してあげることだろうとか、
- その意味では、これからの問題解決は、人が外の商品やサービスに任せてしまっていた問題解決のコストを内部化して、自分たち自身でそれを作っていけるような、そんな持続可能性のある社会OSをデザインする必要があるのだろうな、とか
といったことを考えているわけです。
いままでよりもグラフィカルな表現でノートを取りはじめてみて、頭の整理がしやすくなった気もしているので、今回は、みなさんにもグラフィカルなノート作成をおすすめしたいという意味でも、他にもいくつか最近書いた/描いたノートを紹介してみます。
イノベーションの文化を根付かせる
次に紹介するノートは、1枚目の続きで描いてみたものです。
多様な人が集まる場所で、外部者が「すでにあるリソースを従来とは異なる目で見えるようにするために」それぞれが人のもつリソースや課題をヒアリングして回るイメージを真ん中に描いてみたのですが、そこから思考は展開していき、最終的にはこうした場の目標となるのは、自分たちで常に次を考え行動する文化としての「イノベーションの文化を根付かせる」ことだなと思い至ったノートです。
イノベーションの機会を見つける
次は「イノベーションの機会を見つける」ということに関して、頭を整理しようと思って描いたノート。「まだ手を受けていない領域を探ってみる」という姿勢が機会発見には大事なものであるというところから思考をスタートさせています。

そこを出発点にしながら、手つかずの領域を探るためには、
- 手つかずの領域の“いま”を探りながら、“いま”をみることで“いま”から抜け出す思考をはたらかせる
- 「わからない」ことにフォーカスして可能性を探り、探求を通じて得た気づきは最終的な結論になる前にどんどんアウトプットして、さらに可能性のありかを明らかにする
- 想像の余地がたくさん残された領域をしっかりとイメージしてみることで未来を開発する可能性を探る
といったような3つの動き方がありそうだななんてことを考えました。
What do you really want ?
そして、時には、ここまでの3つとは異なる、こんなシンプルなノートも描くこともあります。
これは3つ目のノートで出てきた「本当に求められるものは何か?」というワードだけに焦点をあてたもの。
イノベーションとか未来づくりとかを考える場合には、いまの人びとの行動や思いだけを鵜呑みにしてニーズを捉えてしまっては間違えてしまいます。あくまで現在の環境/文脈との関連で人びとの行動や思いを捉えてみたうえで、環境や文脈をどのように変えると、人びとの行動や思いはどんな変化をするかという視点で"What do you really want ?"の問いかけを繰り返す必要があるということを整理してみたものです。
Open Innovation
最後の5つめは、もう1つのブログの記事「オープン・イノベーションと知のダイナミクス」を書くことを想定して、先に描いてみたもの。最近、あらためて考えることが多くなった、組織などの枠を超えた形で行なうオープン・イノベーションの必要性とその実践方法について整理したくて描いたノートです。

このノートを描きながら考えたのは、オープン・イノベーションを進めるためには、
- スピード感のある「対話や観察を通じた仮説生成」〜「プロトタイピングによる検証」のサイクルをグルグル回しながら新しいOSの実現につながるアイデアをブラッシュアップしていくこと
- 多様なステークホルダー間で対話や共創が行なわれる場をつくり、問題の正しい定義や既存のリソースの共有による新たなアイデアの生成を実行できるようにすること
- 「独占的なメーカー」から「誰もがメーカーズ」になる世界への移行に伴い、企業などの組織が完成品としての商品を解決策として売るための社会OSから、各個人や、社会コミュニティが、それぞれ独自の解決策を作れるプラットフォームを提供する社会OSへの移行を目指していくこと
というような3つの基本姿勢が求められること。
また、そもそもオープン・イノベーションが求められる背景として、社会における知そのものがスタティックなものからダイナミックなものへ変化しているということでした。
ページ下部にあらわした「静的なものから動的なものへという知の変化」に関しては、このブログではずっと前から「話しことば社会への回帰だろうか?」や「「書く」ことの終わりに」、「おしゃべり化する社会のなかで、UIのデザインは人間が離れた場所から目を向けるグラフィカルな視覚重視のものから、人が内部に参加する形でそれを体験する建築的なものへと移行する」といった記事でも扱ってきた文字文化から話し言葉文化への回帰といった傾向の延長線にあるものです。
歴史上、人が知識(暗黙知を除く)を習得し利用可能にするための方法は大きく分ければ2つしかなかったと思っています。
ひとつは文字で書かれた知識を個人が読みあさり自分でまとめ直す方法。
もうひとつは話し言葉で他の人の話を聞いたり自分の考えを言ったりして議論する方法です。
前者はヨーロッパ中世前期の修道院の時代やルネッサンス直後の混乱の時代に採用されました。一方で、後者はちょうどその間を埋める中世後期の大学誕生の時代=スコラ学の時代と、さらに古代ギリシアの哲人たちの時代をはじめ、ヨーロッパがナショナリズムに向かった18世紀以降のゼミナールの時代に用いられています。
両者の違いは前者が知を獲得する個人を孤立させるのに対して、後者は知の所有者をあいまいにするとともに個人という概念を薄れさせコミュニティ的なものを主体として扱う点です。まさに後者に位置づけられる大学が知的職業のギルドであったように。
ここで大事なのは、知が文字であらわされた言葉のように本や図書館などに蓄積し所有される商品的なものから、対話の場や共創の場での相互作用的な活動を通じて生成される体験的なものに変化しはじめているということで、その結果、かつての所有可能な知のようにクローズドな組織のなかに知を囲っておくことができなくなり、必然的に開かれた場で知を生成することで、新たな価値をつくりあげていくようなオープンイノベーションが求められるようになってきているとうことだと思います。
といったようなことも、こんな風にグラフィカルな形でノートに整理していくと、自分の考えも膨らみやすくなるように感じます。
あと、こうやってその結果を公表する場合も、テキストだけよりもオープンにしやすいかなと。
もっときれいに描けば、思考の広がりはさらに高まるのでしょうけど、そのあたりは次の課題ですね。
こんな感じでグラフィックにノートをとる利点を紹介するふりをして、最近僕が考えていることをダイジェスト的に紹介するのが、裏の目的としてあったわけですが、今日のところはこのへんで。
P.S.
前回の記事で告知したプロトタイピング・ワークショップの参加者もまだまだ募集中です。
興味のある方はぜひ友人・知人をお誘いの上、ご参加ください。
→ プロトタイピング・ワークショップ参加お申し込みページ
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