私的インフォメーション・アーキテクチャ考:13.言葉の前に・・・、言葉の後に・・・

意味ははじめからそこにあるのではなく、どこかの時点で生起した起源をもつ。そのことは前回の「私的インフォメーション・アーキテクチャ考:12.意味の生成」で触れました。

意味生成のエンジン

では、意味の生成の原動力となるのは何か? 好奇心と答えることも1つの手でしょう。しかし、では、ヒトはなぜ好奇心を駆り立てられ、意味の生成にエネルギーを費やすのか?

ジェスパー・ホフマイヤーは『生命記号論―宇宙の意味と表象』の中でこんな風に書いています。

この分裂は人間の欲求の鍵をも握っている。その分離を再びもとの一体のものにまとめあげたいという熱望こそが、人生そのものである。(中略)この分裂に由来する欲求こそが、世界に意味を与え、私たちに意味を求めさせるものだ。私たちはすでに持っているものを欲しがったりしない。
ジェスパー・ホフマイヤー『生命記号論―宇宙の意味と表象』

ここでいう「この分裂」とはどの分裂のことなのか?
それは幼児期の自我形成時における鏡像段階を経た「他者の目に映る自分」による自己の形成による分裂を指しています。

子供用の揺り椅子に寝ている子供が、「そのクマちゃん、僕の」と言うと、父親は「そうだね、おまえのクマちゃんだね」と答える。これはもちろん子供からすればおかしいことになる。もしクマちゃんが僕ので、お父さんもそうだというのなら、"おまえ"のであるはずがない。この謎を子供が解く唯一の方法は、話し手の位置を切り替えること、言い換えれば、父親の視点から「おまえのクマちゃん」という言葉を見ることである。従って、子供はしゃべることができるようになる前であっても。「他者」に共感することができなくてはならない。
ジェスパー・ホフマイヤー『生命記号論―宇宙の意味と表象』

子供は、自分のことを"おまえ"として見る父親に対する共感ができるように鏡像段階を経ることで、他者の目に映った"おまえ"を自己として認識できるようになります。それにより「僕のクマちゃん」を「"おまえ"のクマちゃん」と同一視することが可能となり、上記の引用のような言葉によるやりとりができるようになる。しかし、同時に子供はこの時点で自分から見た"僕"と他者から見た"おまえ"に引き裂かれた2つの自己を引き受けなくてはいけないのです。

言葉の前に・・・

鏡像段階を経て、ヒトの子供は、自分から見た"僕"と他者から見た"おまえ"に引き裂かれた2つの自己を克服できるようになる。それ以前に自己として認識できる自分は存在せず、また、空想と現実の区別もなく、子供にとってはすべてが現実です。
それは言葉を習得するはるか以前の段階で、フランスの精神分析学者ジャック・ラカンによれば、子供はこの空想と現実の区別もなく、自己の確立もできていない状態から抜け出すために、生後6ヶ月から18ヶ月のあいだに鏡像段階にはいるそうです。

ラカンによれば、そのために、全ての他者から区別できる、完全な実体としての自分を捉えるためには、主体と主体の像の間の分裂を克服しなければならない。存在の根源的な分裂は人間固有の性質であるという考えは、「自己」の研究に一身を捧げている哲学者、心理学者、心理分析学者の仕事の中に繰り返し立ち返ってくる主題である。
ジェスパー・ホフマイヤー『生命記号論―宇宙の意味と表象』

ヒトは自分自身を自己として認識するために、自己を分裂させなくてはいけない。ヒトは、自分の目に映らない自分を自己として認識するため、何より自分を見えるようにするために、そして、自分を自分で想像できるようにするために、他者の目を借りなくてはいけないわけです。

その段階を経ればそれほどむずかしくはない「存在しないものを空想する」ことも、鏡像段階での自己の分裂の克服がなくては非常に困難なことなのです。
そして、存在しないものでも言語という表象で想像することができるようになるためには、これが言語の取得の前段階として必要なのです。ヒトが言語で考えられるようになるためには、まずは自己の分裂を受け入れなくてはいけないということです。

言葉の後に・・・

分裂した自己を自分のなかで受け入れることで、自己の認識が可能になり、言葉を習得する準備が整います。

そして、意味の生成が可能になる。いや、可能になるというよりも意味を求めること自体がヒトの本能になるのです。

意味はそこにあるもの自体によって生じるのではなく、外面的には既にあるものの間に発生する分裂、内面的には他の何かと関係によって生じるのである。私たちのもとの一体に戻ろうとする本能的な欲求は、この自分自身と自分の像の分裂から生じる。
ジェスパー・ホフマイヤー『生命記号論―宇宙の意味と表象』

自分の内面にある自己と自分の外側にある他者の眼に映る像としての自己に引き裂かれたヒトは、意味の生成においても、内面と外側に引き裂かれた状態での意味づけを行ないます。それがパースの記号過程における三項関係、すなわち表象によって結びとめられた対象-解釈項という外側と内側の関係にあるのだといえます。

言葉を話す生き物となることで、私たちは生物個体としての無垢な記号双対性を失い、その代わりに言語によって併合された共同体での記号双対性に吸収合併されてしまった。こうして、私たちの個人の生命の物語は、その遺伝子のものだけではなくなって来る。別の言い方をすれば、1つではなく2つの物語が、人間の身体と意識の中で演じられるようになったのだ。
ジェスパー・ホフマイヤー『生命記号論―宇宙の意味と表象』

言葉を話し始めることで、ヒトは種としても、個体レベルにおいても、対象としての身体と解釈項としての意識に分裂するわけです。それをつなぎとめるのが三項関係のもう1つの項である表象であり、表象により対象と解釈項という三項関係を形作る、パースが記号過程と呼ぶものこそ、意味の生成の現場にほかなりません

模倣記憶

ヒトは鏡像段階で、他者の目から自分を見ることで自己を確立します。それには当然、自己に共感する力、自分を他者にミラーリングする力がヒトに備わっていなくてはなりません。

1996年にイタリアの研究グループによって発見された、サルの前頭葉の運動前野で、自分がある行為をするときにも他人が同じ行為をするのを見ているときにも活動するミラーニューロンというものがあります。俗に物真似ニューロンとも呼ばれているそうで、その後、ヒトの前頭葉にも見つかっています。
物真似ニューロンと呼ばれているとおり、このニューロンは他者への共感のための機能を生み出すものと考えられています、ヒトのミラーニューロンはサルのそれよりはるかに発達しているとも言われています。

それは模倣記憶に関するものであって、これは、集団行動を基礎とし、以前の事件を再現できる能力にその基礎を置く社会的な形での記憶である。この模倣文化は、それがアフリカからアジアやヨーロッパに広まったのはほんの数十万年前だが、150万年前のホモ=エレクトスの時代に発生し、後のホモ=サピエンスにおける真の会話の発達に必要な認知の前提条件を用意した。
ジェスパー・ホフマイヤー『生命記号論―宇宙の意味と表象』

模倣が言語に関係すると考えられるのは、ここまで見てきたような鏡像段階を経た自己の確立やそれによってはじめて可能になる言語の習得という、個体レベルでの発育の過程に見られる証拠のほかに、このミラーニューロンがヒトの言語活動をつかさどるとされる前頭葉の運動性言語野とされるブローカー野で見つかったという物的な証拠からでもあります。

ちなみに同じようにミラーニューロンをもっているサルは、残念ながらヒトと同じような鏡像段階を経た自己の確立期がないためか、「彼らの知性では実際の情景から離れ、全体の場面とは別に、独立した意味をもつ要素を抽出することができない」といいます。彼らにはミラーニューロンにより他のサルの行為を真似ることはできても、「主体と主体の像の間の分裂を克服」が行なわれていないために、実際の場面を離れて、そこにないものを想像するという力を習得することができないということなのでしょう。

最後に模倣記憶について考えましたが、次回はヒト以外の動物ももつ手続き記憶やエピソード記憶についても考えてみたいと思います。


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