私的インフォメーション・アーキテクチャ考:10.ヒトの認知の性向を知らずしてなぜIAが語れるのか?

インフォメーション・アーキテクチャを考える上では、そのアーキテクチャを構造的、機能的に考える必要があるのはもちろんだとしても、同時にインフォメーションについて考えなくてはそれはインフォメーション・アーキテクチャとして成り立ちません。

しかし、どうも巷のIA論的なものは、どうもこのインフォメーションの捉え方があまりに狭義なものになりすぎているのではないか? そういう印象を個人的にはもっています。極端な場合、テキスト情報のみをインフォメーションとして扱ったり、インフォメーション・アーキテクチャといえばWebに関することだと誤解している向きもあったりします。
そうした狭義のIAに対しての疑念が、僕がこの「私的インフォメーション・アーキテクチャー考」を書き続けているきっかけであり、原動力だったりもします。

ヒトの認知の性向を知らずしてなぜIAが語れるのか?

何よりの疑問はインフォメーションを扱うヒトの認知の性向を考慮せずに何故IAを語れるのか?ということに尽きます。

  • ヒトがどのように情報を処理しているか?
  • ヒトは情報からどのような影響を受けているか?
  • 意識下の情報処理と意識上の情報処理にはどのような違いがあり、どのような影響関係があるのか?
  • ヒトが情報処理を行なう際に、環境や記憶、体調などはどのような影響を与えるのか?
  • 個体的に扱われる情報と組織的に扱われる情報にはどのように違いがあるか?
  • 情報を扱う際、ヒトは自身の内部情報と外部情報の区別を行なっているのか?
  • 言語情報とその他の情報はどのように処理され、相互にどのような関係にあるのか?
  • 情報処理時に情報の時間的性質と空間的性質はどのような効力を発揮するのか?
  • 情報とはどのような単位で処理されるのか?

など、ちょっと考えても、様々な疑問が生じてきます。こうしたことが語られないまま、IAに関する議論が繰り返されている印象が僕にはあります。すくなくともここ日本では。

クオリアと個々の環世界の共有化

例えば、次のような情報は同じものとして受け止められるのか? それとも異なる情報として受け止められるのか? あるいは、単に個人差があるといえるのか? 個人でも状況によって受け止め方は違うのか?

  • 街ではだんだんと赤いポストが少なくなってきている
  • 街ではだんだんと赤いポストが少なくなってきている
  • 街ではだんだんと赤いポストが少なくなってきている
  • 街ではだんだんと赤いポストが少なくなってきている!
  • 街ではだんだんと赤いポストが少なくなってきている
  • 街ではだんだんと赤いポストが少なくなってきている

僕の赤は君の赤ではない。

意識の中の全ての表象は、クオリア(質感)を単位として、それを組み合わせることで生み出される。その背後には神経細胞の活動の複雑な相互関係があり、その無限の組み合わせのつくり出す表象空間もまた無限である。
茂木健一郎『クオリア降臨』

会話は、話し手の発話能力と、聞き手の理解能力の両方があってはじめて成立する。しかし、こうした機能を果たすような神経学的構造が進化によって生じるには、その少し前に、その言語環境において忙しく作り上げる個々人での周囲の世界のモデルが互いにある範囲で重なり合っていなければならない。個々の環世界の共有化が達成の鍵となる。
ジェスパー・ホフマイヤー『生命記号論―宇宙の意味と表象』

僕の赤と君の赤が違っているなら「互いにある範囲で重なり合っていなければ」、僕と君の共通理解をはぐくむような機能を果たす情報を生むことはない。

IAを単にテキストを中心にしたWebの情報設計のスキルとして捉えるのは簡単です。しかし、ヒトがそこから利益を得ている情報というものを単にテキスト情報だけだと勘違いしてしまうのは、あまりにさみしい気がしないでしょうか?

IAを本当にスキルにするためには

こうした疑問に対しての踏み込みが足りないために、IAという分野がビジュアルデザインやコンテンツそのものの設計、編集やライティングというものにうまく馴染んでいかないのかな?と思ったりします。

F's Garageさんの「明日から実践できるIA」というエントリーで知った「【WebSig分科会】明日から実践できるIA(ミニセミナー)」でいわれている「情報アーキテクトとはスキルである」ということも、上のような疑問にひとつひとつ答えていくことで、より現実的なものになっていくのではないでしょうか? IAとビジュアルデザイン、IAとコンテンツそのもの、IAとライティング、IAとビジネスプランニングなどのより深い結びつきが明らかになり、それぞれのタスクを担当する人がIAに対するスキルを自然とあげていこうと考えるようになるのではと考えます。

それには、やはりIAを単に実学的なものとしてのみ捉えるのではなく、認知科学や進化心理学、脳科学、情報物理学、記号論、言語学など様々な学術的分野の成果も視野に入れながら、より深い研究分野として捉える必要があるのだろうなと感じています。
ヒトの認知的性向などを知ることでIAの基礎を強化するということでしょうか

さて、そういうことで次回からは、本格的に情報とヒトの認知の関係について考えていきたいと思います。


 

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック