誰が世界を変えるのか ソーシャルイノベーションはここから始まる/フランシス・ウェスリーほか

昔から複雑系の科学の考え方が好きです。

たがいに関連しあう複数の要素がそれぞれ個々に局所的(ローカル)にインタラクションしあうなかで、大局的(グローバル)にもなんらかの振る舞いを創発させる複雑系は、その全体としての振る舞いが、個別の要因、部分からは明らかでないという不確実性、予想不可能性に、僕はとても惹かれます。



写真は、すこし前に3331 Arts Chiyodaでみた藤浩志さんの展覧会で撮った1枚ですが、藤さんが主催する、子供たちがおたがいにいらなくなったおもちゃを交換するソーシャルなシステム「かえっこ」で起こっていることも、ある意味、複雑系のシステムのなかの創発的な出来事のように感じます。

その意味では、もともとウェブの仕事に関わっていた経歴もあるし、長年、こうしてブログやソーシャルメディアを使ったコミュニケーションもしてきているので、そもそも現在のソーシャル的なものがグローバルにつながりあった複雑な社会と深く関係していることだとは感じていましたが、最近、デュポン社とマギル大学が共同で設立したソーシャルイノベーション・シンクタンクで、ソーシャルイノベーションについての研究を行ってきたフランシス・ウェスリー、ブレンダ・ツィンマーマン、マイケル クイン・パットンの3人がまとめた『誰が世界を変えるのか ソーシャルイノベーションはここから始まる』という本を読んで、さらにその考えが強くなりました。

不確実性に富んだ変化の時代をワクワク過ごせるか?

この本については、先に会社のブログの「複雑系の関係性のなかで社会のイノベーションを考える」という記事でも紹介していますが、ソーシャルイノベーションの実現を、複雑系の科学の視点から考察した、とても興味深く、納得のいく1冊でした。

「不確実さとともに生きていける人にとっては、悪くない時代だ。複雑性に満ちた時代は、変化の可能性に満ちた時代でもある」という冒頭近くに書かれている言葉も、不確実なものや変化に憧れる僕のような人にとっては、とてもワクワクするもので、その点では、1つ前のエントリーで紹介した『ワーク・シフト』が描く変化に富んだ未来像のワクワク感とも似ています。

ソーシャルイノベーションに限らず、何か新しいものを生み出そうとしたら、普段、自分を閉じ込めている常識という監獄から自分を解放してあげる必要があります。それにはリスクをとって、慣れ親しんだ道を踏み外す必要がある。まず先に自分を変えてみないと、何も変えられません。
だから、あえて自分の知らない場所に足を踏み出すことが大事。そして、一歩、普段のルールの外にでれば、そこには信じられないほど、無数の選択肢があったことに気づくものです。

障害と不確実性。たくさんの選択肢。たくさんのドア。どれもソーシャルイノベーションにはいくらでもあるものだ。その結果、ソーシャルイノベーションというものは、チチェスターの探検のように、前もってイメージできる具体的な目的地に到着することよりも、ひたすら前へ先へ進むことのほうがはるかに多くなる。

デザイン思考の頭の使いかたでも同じですが、先に何かがあることを想定してたら動けません。何も変えられません。
この引用で書かれている通り、目的地を設定して進むよりも、まずはしっかりとした価値観だけをもって前に進んでみることが大切なんだと思います。

そして、未知なる一歩を踏み出す不安をかき消してくれるものがあるとすれば、それは冒険家のワクワクなんじゃないでしょうか。

複雑さを受け入れるからできること

でも、不確実で、計画通りにことが進まない状況を必ずしもワクワクできる人ばかりでもないこともわかります。僕自身にしても、何もかもが不確実で、予想がつかなかったら困ります。

ただ、さっきも書いたように、グローバル規模でつながりあった世界が複雑系の科学でいわれるように相互に関連する複数の要因が絡み合いながら、経済面でも環境面でも世界レベルでの様々な変化を生じさせる1つの複雑なシステム=系としての傾向を強くしているなかで、遠く離れた国で起きる経済危機も、流行病も、テロも、すぐに世界中に飛び火してしまう状況にあるのが現在の社会環境です。
これまでのような、ある変化の兆候をみて、そこから更に線形的な変化が起こることを前提としたプランを組み立てた上で、トップダウンによる中央集権的なコントロールによって計画を実行していくといったような悠長な問題解決法は、そうした社会環境においてはまったく有効性を欠いたものになりつつあります。

複雑な環境においては、問題解決の方法もまた複雑な環境にあったものに変わる必要があると感じます。
この本はまさに、複雑で不確実な世界だからこそ、これまで硬直状態に陥っていた様々なことが変わる可能性があるのだと教えてくれます。

複雑性を受け入れる人は、多くの人々が悩んでいる閉塞感や、世の中のシステムは変えられない、飢餓や病気や戦争は避けられないものとしてあきらめるしかない、という感情から逃れることができそうだ。

僕はこうした状況にワクワクします。みなさんはどうでしょうか?

変容を生み出すエネルギーが社会起業家の外に存在し、利用されるのを待っている

著者らがこの本で明らかにしてくれるのは、この複雑な世界でソーシャルイノベーションが実現するためには、強い意志をもった社会起業家の力だけでは足りないということです。
「変化が起きるためには、社会起業家だけでは不十分だということだ。目標や問題意識も必要だが、それだけでは不十分だ。目標はエネルギーを何かに向けさせる役には立つが、エネルギーを生み出しはしない」と著者らはいいます。

そして、ソーシャルイノベーションを実現した、社会起業家自身がそのことに自覚的なのだそうです。

ほとんど例外なく、筆者たちが話を聞いた社会起業家は、「自分が誘発したのかもしれないが、けっして自分がコントロールしているとは思えない力」に巻き込まれ、流れに沿って流されているとみずから感じた瞬間があったと語る。そうなればいいのに、と夢見ていた当の本人を驚かせるほど、勢いづくことがあるのだ。これは、変容を生み出すエネルギーが社会起業家の外に存在し、利用されるのを待っていることを意味している。

もちろん、先頭に立って行動を起こす社会起業家の力がなければ、ソーシャルイノベーションの実現への動きははじまらないのですが、それが本当の力となって社会を変えていくためには、やはり複雑な社会で創発的な変化が起こることが必要なのです。
人それぞれが社会と関わるローカルな相互作用が重なっていくなかで、あるタイミングで閾値をこえてソーシャルイノベーションという創発が起こるような。

ひとりひとりがチェンジメーカーである

デービッド・ボーンステインらの書いた『社会起業家になりたいと思ったら読む本 未来に何ができるのか、いまなぜ必要なのか』にも、いま必要とされる社会の革新のためには「社会起業家だけではなく、他のすべてのプレーヤーの参画や協力がキーになっている」と書かれていますが、遠く離れた国で起こる問題が瞬く間に自分たちのもとにも飛び火する可能性をもった社会においては、僕たちひとりひとりがそうした災いから身を守るために、社会課題の解決に協力するチェンジメーカーであることを自覚することが必要なのだとあらためて思いました。

著者らは言います。
「私たちは、変えようとしている世界の外に立っているのではない。世界が変われば私たちも変わり、私たちが変われば世界も変わる」のだ、と。

誰もがアントンプレナーになる必要はないと思います。
けれど、誰もがアントンプレナー・シップをもつことが、これからの不確実な世界ではより大事なことになってくるのだと思います。
すこしずつでもいいので、自分自身を変えていくことからはじめてみましょう。あきらめという牢獄に自分を閉じ込めていない…。



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