2006年12月11日

ブランドとは何か?:3.ブランドの革新性

ブランドとは何か?:2.般若心経の五蘊」では、「ブランドは常に新たな宣言とその実行によって、物事の関係性を生起させていかなくてはならない」と述べました。顧客の評価としてのブランドは、常に新たな革新によって顧客に新たな価値提案を行なっていかなければ、その価値を時とともに目減りさせていくしかありません

「ブランドがわからない」とおっしゃる方は、おそらくそのあたりの感覚がいまひとつ実感として掴めないのではないのではないでしょうか。評判という確固たる実在をもたないものがいかに維持され、逆にどのような場合にその存在を喪失するのか。そのことがつかめないのではないでしょうか。

ワタリバッタ(飛蝗)

ブランド認知という言葉があります。何度も書いているとおり、ブランドは顧客の評判ですから、当然、認知されなくてはブランドたりえません。しかし、ひとりの顧客に認知されたからといって、それがブランドとはいえないのはおわかりでしょう。
では、どれだけの人が認知すればブランドなのか? はたまた、ある一定の数を超えた認知が確立されたとき、ブランドが価値を持つのであるというのなら、それはどのような形でそうなるのか?

このことをイメージしやすくするため、ワタリバッタの例を見てみましょう。

その生活史の中の大型化した形態が、ワタリバッタ、飛蝗として恐れられるバッタは、普通はただの無害なバッタである。それが気候によって、限定された場所に多数のバッタが群れることを強いられたときには、まったく新しい一連の変化が始まる。
ジェスパー・ホフマイヤー『生命記号論―宇宙の意味と表象』

「新しい一連の変化」とは、バッタが群れの密度を高めるに連れ、特定の化合物、フェロモンの濃度を高くし、その濃度が受精卵に働きかけ、卵は完全に異なるバッタ−ワタリバッタ−となるように進み始めるような変化を指します。以前このブログでも扱った『やわらかな遺伝子』でも紹介されていたように、同じDNAがフェロモンの濃度上昇によってスイッチが入ることで、バッタの翅と飛ぶための筋肉が強化され、増殖が加速され、さらに他の物質を呼び寄せる物質を生産するようになるといいます。そして飛蝗はいくつもの強大な群れに分かれながら何千キロも飛行士、行く先々で緑のものを食べつくしてしまうのです。

ここで私たちは、個体発生を別の形に切り替える力が外部からやってくるのを見ることができる。そしてそれこそが、翻訳過程に含まれている記号論的な過程である。(中略)卵細胞が周囲のバッタから外部信号を受け取ると、それがDNAを翻訳する卵にとっての文脈に影響を与える。
ジェスパー・ホフマイヤー『生命記号論―宇宙の意味と表象』

ブランドの認知についても、このワタリバッタと同じような外部信号が自分自身の文脈に影響を与える様子が見て取れます。

※ちなみにここで紹介しているジェスパー・ホフマイヤー『生命記号論―宇宙の意味と表象』は、「ブランドとは何か?:1.A Model of Brandとパースの記号学」で紹介しているパースの記号論に大きな影響を受けていて、それを生化学の分野に活用している非常に興味深い本です。

ケビン・レーン・ケラーのブランド知識体系

ここで『戦略的ブランド・マネジメント』や『ケラーの戦略的ブランディング』でブランド論の第一人者の一人として知られるケビン・レーン・ケラー氏のブランド知識体系を見てみましょう。



ケラー氏のブランド知識体系については、MarkeZineの「「ブランド認知 2.0」を考える」という記事でも、「ブランド認知」「ブランド連想」を中心に紹介していますので、こちらもご参考いただければと思います。
ここでは「ブランド連想の好ましさ」「ブランド連想の強さ」「ブランド連想のユニークさ」について考えてみましょう。

「ブランド連想の好ましさ」については「望ましさ」と「伝達可能性」が重視されます。「望ましさ」はそれが顧客にとって価値のある連想なのかということであり、「伝達可能性」はそれが顧客にとって理解可能であったり、誰かに伝えることが容易であるかということを意味します。また、企業側から顧客への伝達性もこれに含まれます。

「ブランド連想のユニークさ」については言うまでもないでしょう。どんなに価値があったとしても、それがユニークでない=その価値が他にもあるのであれば、その価値は認められてもそれはブランドとはなりえないでしょう。

最後に「ブランド連想の強さ」。これは連想の「量」と「質」に関係しているのですが、これが先のワタリバッタの例と関連してくるのです。

ワタリバッタが無害なバッタに戻るとき

先に無害なバッタがワタリバッタに変化する仕組みを見ましたが、今度はその逆にワタリバッタが無害なバッタに戻る仕組みを紹介しましょう。これは先の例の逆で、ようするにスイッチが切れるわけです。

飛蝗の群れは、もう十分な食物を見出すことができなくなると散り散りになり、その密度が低下すると個体発生の過程は元に戻り、発生するのは無害なバッタだけになる。
ジェスパー・ホフマイヤー『生命記号論―宇宙の意味と表象』

密度によるスイッチが個体発生の段階で、生まれてくる卵を無害のバッタかワタリバッタにするかを決めるわけです。同じDNAが別のバッタを生み出すのですからこの場合、伝達される情報の「質」は同じと考えてよいでしょう。変化を起こさせるのは密度=「量」です

これはブランド連想においても同様です。「ブランド連想の強さ」の「質」は「ブランド連想の好ましさ」や「ブランド連想のユニークさ」、そして「ブランド連想のタイプ」で決まります。それらの条件が同じでも「量」が違えば、その連想がブランドを形作るかいなかの答えは変わってきます。

かつて広告量が重視されたように、そして、現在、CGMなどによる口コミ量が重視されるように、「ブランド連想の強さ」はその「量」に大きな影響を受けます。それは同じバッタを無害のバッタとワタリバッタに分けるように、ある製品、ある企業をただの無害な製品(あるいは企業)と価値あるブランドに二分します

もちろん、その場合、「ブランド連想の強さ」における「量」とは、市場全体でみた「量」ではなく、特定のコミュニティにおける「量」なのでしょう。ある地域のバッタが高い密度を達成することでワタリバッタとなるのと同じで、ブランドにおいても密度が大切なわけです。

ブランドの革新性

現在、ブランドは人々の口コミに多くを負っています。ブランドは顧客の評価であるわけですが、その評価はいまではネット上をCGMなどによって口コミとして伝わります。しかし、間違えてはいけないのは、火のないところに煙は立たないということです。革新性のないブランド、常に新しいメッセージを発し続けないブランドに、人々の評価としての口コミを発生させ続ける力はありません。

マーケティングにおいて口コミが注目されていますが、ブランドの側が何のメッセージも発することなく、人々の口コミを期待するなんて馬鹿げているのです。そう。それは都合がよすぎです。なんで自分たちが何にも価値あることを言わないのに、他の人が自分たちのうわさをしてくれるなんてことを期待できるのでしょうか? まったく意味がわかりません。

口コミを発生させるきっかけは、あくまでブランドの側のメッセージ発信、新しい価値提案をはじめるための宣言、そして、その価値提案の持続性とそれにともなうコミュニケーションの継続です。ブランドの側が口コミのネタになるようなものを提供してこそ、口コミは生まれるのです。それはDNAがなければ遺伝もないのと同じことです。DNAがなければいったい何が複製可能、増殖可能だというのでしょうか?

十分な食物がなくなったとき、ワタリバッタはただの無害なバッタに戻ります。
十分な価値提案がなくなったとき、ブランドもただのコモディティに戻るのです。

こうした関係性の中で生まれるブランド価値というものに関して、もし、あなたがまだピンと来ないなら、きっと、あなたは人々のコミュニティに対してあまりに無関心だったりするのではないでしょうか?

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posted by HIROKI tanahashi at 00:18| Comment(0) | TrackBack(0) | ブランディング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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