ブランドとは何か?:2.般若心経の五蘊

さて、前回の「ブランドとは何か?:1.A Model of Brandとパースの記号論」では、A Model of Brandとパースの記号論を参照することで、ブランドが確固たる対象をもたず、同時にまったくそれを表象する対象がないわけでもない、認知の総体であることについて触れました。

般若心経のなかの五蘊(色・受・想・行・識)と色即是空

このブランドを実体としてではなく、複雑な関係性のなかに生起してくる解釈論、認知論的な存在として捉える見方は、同じく般若心経のなかにも見出すことができます。

 観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄

ここでは、観自在菩薩は五蘊が皆、空だとわかったといっています。
五蘊とは、私たちの身心を構成する5つの集まりとされ、次の5つを意味します。

  • : 物質的現象、形あるもの
  • : 感覚、外界と触れて何らかを感受すること
  • : 表象、知覚、脳内にできあがる具体的なイメージ
  • : 意志、特定の方向に気持ちが志向すること
  • : 認識の蓄積、あらゆる知識や認識の総体

この五蘊がすべて空だということです。
空とは単純な無ではなく、実体ではなく、関係性のなかで仮に現れた現象だということです。

 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識亦復如是

「色は空に異ならず、空は色に異ならず、」、そして「色すなわち空であり、空すなわち色である」と。さらには「受想行識もまたまた是くの如し」というわけです。
 
仏教的なモノの見方をまとめるなら、あらゆる現象は単独で自立した主体(自性)をもたず、無限の可能性のなかで絶えず変化しながら発生する出来事であり、しかも秩序から無秩序に向かう(壊れる)方向に変化しつつある、ということでしょう。
玄侑宗久『現代語訳 般若心経』

この「仏教的なモノの見方」は、先のパースの記号論、さらには、それを背景としたA Model of Brandにおけるブランドの捉え方に非常に通じるものがあるのを感じます。何より仏教的なモノの見方には、西洋科学的な視点で物事を要素に分解して理解しようとする還元主義的なモノの見方とは異なる、物事を全体によって理解する方向性があります。
特にこの般若心経は、ヒトの認知や物事の存在というきわめて認知科学的なことを扱っているという意味において、ブランドという存在を考える上でとても参考になります。

ペンローズ三角形

仏教的なモノの見方は、西洋科学的な視点とは異なると書きましたが、ロジャー・ペンローズの以下のようなモノの見方はそれほど大きな相違はないのかもしれないなと感じます。

物質的世界は、プラトン的世界の一部から生じます。だから、数学のうち、一部だけが現実の物質世界と関係しているわけです。次に、物質的世界のうち、一部だけが意識を持つように思われます。さらに、意識的な活動のうち、ごく一部だけが、プラトン的世界の絶対的真実にかかわっているわけです。このようにして、全体はぐるぐる回っていて、それぞれの世界の小さな領域だけが1つにつながっているようなのです。
ロジャー・ペンローズ『ペンローズの<量子脳>理論―心と意識の科学的基礎をもとめて』

こうした考えを示すのにペンローズが描いたのがこの図です。



ペンローズは「これら3つの世界を1度に考えるべきなのではないか」と提案し、「心の世界と物質的な世界だけに注目して、どうして心が物質から生じるのかと思い悩むだけでは駄目」だと述べます。そして、「ところで、今では、物質そのものが、ある意味では精神的な存在であるとさえ言えるのです」とまで言っています。

情報とは何か

独自の情報学を展開する西垣通さんは著書『情報学的転回―IT社会のゆくえ』で次のように書いています。

情報とは知識の断片のような実体ではなく、関係概念であり、人間のみならず生物にとっての意味作用なのです。
西垣通『情報学的転回―IT社会のゆくえ』

これは前回紹介したパースの記号論に近いものがあります。また、西垣さんは情報というものを以下のような広い意味で捉えています。

生命情報というと、DNAの遺伝情報ばかりを思い浮かべる人がいますが、もっと広いのです。生物にとっての餌とか敵、異性、そういうものはすべて生命情報です。生物にとって意味があるもの、価値があるもの、生物に刺激をあたえ行動を促すもの、であるわけです。
西垣通『情報学的転回―IT社会のゆくえ』

その意味で西垣さんは情報の起源を生命誕生の起源と同じであると考えています。ここにペンローズとの関係性が生まれてくるのではないかと思います。生命の誕生によってペンローズ三角形が可能になると考えてはどうでしょうか? そして、それは般若心経やパースの記号学で描かれるのと同様に、固定的な関係性として記述されるのではなく、移ろいゆく関係性のなかで生起してくるものだと。

それはブランドというきわめて認知学的な対象においても同様で、ブランドは常にその意味作用を変化させ、内包する価値もまったく固定的でなく、常に変化する諸行無常な存在であると。

解釈とは何か

僕自身、「私的インフォメーション・アーキテクチャ考:8.構造と要素間の関係性:文脈の生成」でこんな風に書きました。

本がまさに読まれるとき、それはまっさらな状態から読まれるのではなく、あらかじめ編み上げられた情報のネットワークと認知のフレームワークの上で読まれるのです。情報は単独に存在するのではなく、他の情報との関係性を規定された構造の中に存在し、IAとはそうした構造・関係性を利用者に対して可視化することで、利用者が情報を扱いやすくするためのものなのでしょう。

ここで書かれた構造そのものが時とともに移ろいゆく諸行無常な存在で、あらゆるもの同士の関係のうちで、意味や価値を生起させると同時に破壊するわけです。
このことを通じてブランドをみれば、ブランドには一貫性と同時に、常に革新性が求められることも非常に理解しやすくなります。ブランドは常に新たな宣言とその実行によって、物事の関係性を生起させていかなくてはならない。でなければ、顧客の評価としてのブランドは、その意味、その価値を時とともに目減りさせていくしかないわけです。

では、いかなる革新性の表現をブランドは実際に行なっていけばよいのか?
これに関しては次回「ブランドとは何か?:3.ブランドの革新性」で考えることにします。

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