形式知とは、文章などで表現されたりして、他人に伝えることが容易なもの。
一方の暗黙知は、自分ではわかっていて、わかっているからこそ、普段の仕事や生活でもあることが普通にできたりするのだけれど、それを普通にできない人にそれがどうすればできるかを伝えようとした場合、うまく伝えられないような知識を指します。
仕事の現場での暗黙知の共有
仕事の現場では、そういう暗黙知があるからこそ、OJTなどが取り入れられたりするわけです。すべてを話して聞かせたり、何らかのドキュメントベースで伝えなくても、新人は先輩の仕事の進め方からいろいろ学んだりすることを期待しているわけです。いわゆる伝統的な師匠と弟子の関係もそうですね。
弟子が師匠の働く姿をみて、その場ですぐに疑問に思ったことを質問することで、師匠が普段当たり前にやっているがために、あらためて弟子に教えようとは思いもつかなかったことまで、弟子の質問によって答えることができたりするわけです。師匠と弟子という関係はそうした形で暗黙知の伝授を可能にするワークスタイルだったわけですね。
ユーザビリティ・エンジニアリングにおける「師匠と弟子」
この師匠と弟子というスタイル。ユーザビリティ・エンジニアリングでのユーザー調査のシーンでも使われています。ユーザーが普段行なっているツールの利用の仕方などについて理解を深めようとする場合などに用いられるのです。ただし、この場合、インタビュアが弟子で、ユーザーが師匠です。ユーザーの普段のツールの使い方を学ぶために、ユーザーという師匠にインタビュアのほうが弟子入りするわけです。
弟子は師匠がツールを実際に使っているところを見ながら、「いま、何をしたんですか?」「次はどうするんですか?」「何をやってるんですか?」と動作に応じて質問をするわけです。それによりユーザーが普段はほとんど意識することなく行なっている動作について、なぜそういう使い方をしているのか? 使い方に迷ったのはなぜなのか? その人はツールをどう理解していて、どう使おうと思っているのか?などの、ユーザーのツール利用シーンに関する深い理解が得られるわけです。
詳しくは、下で紹介している樽本さんの本などを参照していただけるとよいと思います(ちなみに僕はこの樽本さんからこの調査方法を教えていただきました)。
通常のインタビューやアンケートでは深い理解は得られない
こんな手法をとるのも、ただのインタビューやアンケート調査では、こうした理解が得られないからです。なぜなら、それらはユーザーが普段意識もせずに行なっている暗黙知だからです。伝えるのがむずかしいのが暗黙知なわけですから、見ず知らずの人によるインタビューや人を介さずドキュメントベースで行なわれたりするアンケート調査で、ユーザーがそれを伝えられる確率はかなり低いわけです。
どう学ぶか?
今朝の「イメージわかないなぁ」というエントリーでは、どちらかといえば、形式知の手っ取り早い手に入れ方として、とにかく検索することを推奨しましたが、そうはいっても知に形式知と暗黙知がある限り、検索だけではどうにもならないというのも事実ということですね。これは座学による限界でもあるでしょう。
ちょっと前に「キャパシティを広げる」だとか、「好奇心を活性化するための受容器官の鍛錬」といったエントリーで好奇心とそれをエンジンとした自身のキャパシティの増大、あるいは昨日の「思考のフレームワーク」なんていうエントリーでは思考の効率化だったり、思考スタイルの幅を広げたりという意味で、既存のフレームワーク活用は有効ですねという話をしました。
最近、どういうわけか、この手の学習だったり、勉強だったりの問題をよく考えます。
インターネットによっていくらいろんな情報を入手しやすくなったとはいえ、学ぶ意志がなければネットは役立たずですし、広い好奇心がなければ手身近な知識の収集のみで満足したりもするわけです。ましてや、ネットではどうやったって本当の意味での暗黙知の共有はむずかしいわけです。
Web屋なのでもちろんネットの力はすごいと思っていますが、同時にちゃんとその限界も認識しておいたほうがよいだろうとも思っています。
それこそ、ネットの力により、いくらでも意志さえあれば学べる環境が整ってきたからこそ、どう学ぶか?がひとりひとりにとって非常に重要な問題なんだと思っています。そして、それは誰が教えてくれるものでもないわけです。
自分の人生なんだから自分でデザインするしかないのはいまも昔も変わっていないということかもしれませんね。
関連エントリー
- イメージわかないなぁ
- キャパシティを広げる
- 好奇心を活性化するための受容器官の鍛錬
- 思考のフレームワーク
- 色即是空。諸行無常。便利なハウツーもいつ塵となって消え行くかわからない
- 未来を考えるならいまの気分だけで無用とか無意味とかを判断しないこと(あるいは多和田葉子『ふたくちおとこ』)
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