人間はちっぽけだけど、儚くはない

ロジャー・ペンローズ関連の本が最近のお気に入りだということは、「ペンローズの<量子脳>理論―心と意識の科学的基礎をもとめて」や「ペンローズのねじれた四次元―時空をつくるツイスターの不思議」で書きましたが、いまはまたもう1冊『心は量子で語れるか―21世紀物理の進むべき道をさぐる』という本を読んでいます。

宇宙における空間スケールと時間スケール

その中で、宇宙における空間スケールと時間スケールを描いたこんな図がありました。



ペンローズはこの図について、こんな風に書いています。

プランク長と比較して私たちはかなり大きいし、素粒子と比べてみても非常に大きい。しかし観測可能な宇宙の大きさと比べれば、私たちは本当にちっぽけである。実際、宇宙の大きさと人間の大きさとの差は、人間の大きさと素粒子の大きさとの差よりもずっと大きい。
ロジャー・ペンローズ『心は量子で語れるか―21世紀物理の進むべき道をさぐる』

確かに上の図をみると、人間の大きさは宇宙の大きさよりも素粒子の大きさに近い。そして、地球の大きさは素粒子の大きさよりも近いことがわかります。

一方で時間に関して言うと、人間の寿命というのは、ほとんど宇宙の年齢と同じくらいに長いのだ!
ロジャー・ペンローズ『心は量子で語れるか―21世紀物理の進むべき道をさぐる』

確かに図をみるとそうなっています。さらにこの宇宙の年齢と人間の寿命のあいだには、生命の誕生から、ほとんどごく最近ともいえるヒトの誕生も含まれるわけですし、卑弥呼や聖徳太子やガリレオやニュートンだって生きているわけです。以前「対数の世界でのマーケティング」というエントリーで、地球の誕生からGoogle誕生までを同じく対数グラフに置いてみましたが、そのほとんどがこの範囲におさまってしまうわけです(もちろん、Google誕生は除きます)。

わがままで自分勝手な尺度でものを見る

そもそも普通、僕たちが時間を把握するのに使う尺度なんて、宇宙のすみっこにある銀河のちっぽけな太陽系のちっぽけな惑星が太陽のまわりをまわるのにかかる時間なんていう、きわめて自分勝手な尺度を基準にして、年月日、時分秒なんて単位をこしらえてるわけで、そんなの宇宙の別の地点から眺めればまったく恣意的な尺度でしかないわけです。そんな単位をベースにして、時間が長いだの短いだのいうこと自体、かなり人間中心的で、素粒子のことや宇宙の歴史のことなんてこれっぽっちも考えてないわけです w

私たち人間は、存在のはかなさをしばしば口にする。しかし、図に示された人間の寿命を見ればわかるように、決して私たちがはかないということはないのである。そう、私たちはおおよそ宇宙自身と同じくらいに長生きなのだ!
ロジャー・ペンローズ『心は量子で語れるか―21世紀物理の進むべき道をさぐる』

人間中心、自分中心にみれば、つい人の命は短いだとか、あるいは忙しくて時間がないとか言ったりするわけですが、まったくとんでもないですね。わがままにもほどがある。存在はちっぽけでも、こと時間に関してはとんでもないリソースをもてるくらい、人間という存在は安定しているってことです。

自分勝手な尺度で自分の現状を嘆いてみせるのも、それってどんなスケールで言ってるのか、ちゃんと考えてみるべきですよね。



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