2006年10月22日

完璧なスフレを作るには、適切な材料だけでなく、適切な調理時間と適切な作業時間が必要

マット・リドレーの『やわらかな遺伝子』は、"Nature via Nurture"(生まれは育ちを通して)といい、長い間、人間を対象とする遺伝学や心理学などの学問の分野で論争の種となってきた"Nature vs Nurture"(生まれか育ちか)が、結局、どちらも重要で、どちらが欠けてもうまくいかないことを、最新の研究の成果をていねいに集め、紐解きながら、ていねいに説明してくれる1冊です。
邦題の『やわらかな遺伝子』は遺伝子が環境のうながす変化に柔軟に対応する性質をもっていて、環境に応じて遺伝子が様々な機能のオン/オフのスイッチを入れる様をよく示してくれています。

レシピとしての遺伝子

驚くことにたった3万個の遺伝子が、オキシトシン受容体の遺伝子として配偶の本能に関係していたり、BDNF遺伝子が性格の醸成に影響を与えたり、人の本能や性格にも関与しているというのは驚きです。
たった3万個の遺伝子がそうした離れ業をやってのけられるのは、それが建築の設計図のような青写真ではなく、シェフが使う料理のレシピのようなものだからだというのは、リチャード・ドーキンスによる有名なたとえです。

キッチンを題材にしたたとえは、「生まれか育ちか」の議論のどちら側にもよく引き合いに出される。リチャード・ドーキンスは、1981年、ケーキ作りをメタファーとして使い、遺伝子の役割を強調した。一方、ドーキンスの一番の批判者スティーブン・ローズは、3年後にまった同じメタファーを使って、行動は遺伝子によるものではないと主張した。(中略)人間の行動のなかには、時間をかけ、何らかの順序にしたがって発達するものがある。完璧なスフレを作るには、適切な材料だけでなく、適切な調理時間と適切な作業時間が必要なようなものだ。
マット・リドレー『やわらかな遺伝子』


オキシトシン受容体は脳の内側扁桃体で発現し、ドーパミン系を刺激することで、ヒトが好きな相手に夢中になるようにするそうです。このオキシトシンが本来、何をするものかといえば、体内に存在する塩と水のバランスを調節するもの、つまり排尿に関するホルモンなのだそうだ。
排尿が恋に関係しているなんて驚きですが、「人体 失敗の進化史/遠藤秀紀」でも紹介したように、生物進化の歴史においては、まさに「使えるものなら何でも使ってしまえ」という感じのデザイン変更が数多くなされてきていますので、排尿に関連したホルモンが恋の発現に使われるようになったからといって、特別に驚くことでもないのかもしれません。
遺伝子は僕ら人間のおかたい頭なんかよりはるかに柔軟性に富んでいるのでしょう。

なんで順番に進めるという発想ができないのか?

統合失調症(旧病名:精神分裂病)も最近の研究では、遺伝子と環境の相互が複雑に絡み合うことで発症する病気であることがわかってきているようですが、この病気の発症が思春期から大人になる段階にかけて起こることからも、遺伝子は発育という時間と無縁ではないことがわかっています。「生まれは育ちを通して」です。
ある環境下での発育がある遺伝子をオン/オフすることで、統合失調症が発症する。それはハンチントン舞踏病のように厳密に1つの遺伝子に端を発する時限爆弾とは違い、複数の遺伝子が絡み、複数の環境的な発症条件がかかわることで、いまだに原因が明確になっていないようですが、すくなくとも発症のための爆薬が生まれた時点で仕掛けられていること自体は確かなようです。

もっとわかりやすい例をあげるなら、いもむしがさなぎになり、さなぎが蝶になることを想像すればよいでしょう。いもむしの中にはすでに蝶になる遺伝子のレシピが含まれているわけです。
おたまじゃくしがかえるになるのも同じ仕組みです。この順番を意図的に制御することでかえるをおたまじゃくしにした実験もあるそうです。かといって、かえるが王子様になることはありません。どんなに熱烈なキスをしたところで。環境側だけではダメだということですね。

遺伝子でさえ(遺伝子だからこそ?)、こうした空間的なだけではない時間の軸も加えた計画を実行できるのに、僕たち人間ときたらどうしてそうした時間軸を加えた計画を描くことが苦手なんだろうって感じます。

仕事をしてると特にそう思え、Webサイトをつくるときにも構築時の1時点での設計しかできないのは、いつも不思議に思います。
競合他社サイトのコンテンツや機能をベンチマーキングして、その中からベストプラクティスを選ぶことはいいんだけど、なぜかそれを3次元的にしか理解できない。実際には競合他社サイトもサイトを運用する中でコンテンツの増強を図ってきたはずなのに、そして、自分たち自身が運用のなかでコンテンツの増強を行ったがゆえに増築による導線の乱れのような問題を引き起こしてしまったことに意識的であるにもかかわらず、サイトの情報構造を設計する際には、そうした時間軸的な拡張をうまく想像できないのは、ちょっとどうかな?と感じることがあります。

それは単純に、普通、僕たちが図面をかくときは2次元の平面上(それが紙であれ、PCのモニターであれ)に擬似的な3次元空間を空想するのがやっとで、2次元空間の上で4次元時空間を図示するのは、そもそも困難だということに由来しているのでしょうか?
たぶん、それは無関係ではないにせよ、根本的な原因ではないように思います。
きっと原因はもっと他にあって、これまでのビジネス的思考法があまりに短期の成果を追い求めすぎていて、特にマスマーケティングに慣れた思考法では、一時のキャンペーンでどれだけ成果をあげるかということばかりに焦点をあてすぎてしまっていたからなのではないかと思ったりします。

もちろん、それも根本的な原因のすべてではなく、一部でしかないでしょう。
生まれか育ちかでどちらか片方を選べないのと同様に、原因はたった1つではない。しかし、原因がいくつあるにせよ、「完璧なスフレを作るには、適切な材料だけでなく」て、「適切な調理時間」「適切な作業時間」に関してもきちんと計画的に行うことが必要だということがどうして頭の片隅にせよ、入っていないのか?

プロセスは非線形的。結果はどうなるかわからない?

そして、もう1つむずかしい点を加えておくと、実際にはこのプロセスって、Webサイト構築する際のような線的に推移するプロセスとは異なり、先の統合失調症の例のように、あるいはゲームのように、複雑な要素が絡み合い、そのオン/オフの順序によって結果がまったく変わってくるような非線形的なプロセスです。
なので「完璧なスフレ」の例はちょっと間違っていて、実際には何を調理しているのかは、作る過程ではよくわからなかったりします。

まぁ、ビジネス的には成果をあげることが目的ですので、いちお、最終的に成果をあげられるようにプロセスをコントロールしていくんでしょうけど、それでも実際にはコントロールしきることはできないというのが本当のところではないでしょうか?

とはいえ、コントロールしきれないというのは、コントロールしなくていいというのとはまったく別物。結果がどうなるかわからないからといって、ゲームを始めない人はいないはず。
なのに、ビジネスシーンではどういうわけか、結果がわからないからといって、行動を起こすことを必要以上にためらう人が多いのはいったい、なんなんでしょう?

何かして時間を無駄にするのも、何もしないで時間を無駄にするのも同じだと思うんですけど。だったら、絶対に成果が出ない後者を選ぶよりは、成果が出る可能性がある前者を選ぶというのが賢明だと思うんですが。

やっぱり、小さなŒil de bœufから眺めすぎですよね。

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posted by HIROKI tanahashi at 18:07| Comment(3) | TrackBack(0) | 進化論、生物学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
スフレは「準備」もとても重要です。
完全に管理された温度のオーブンで焼かないと膨らみません。

環境はコントロールしづらいけど、マネージはできたりします。そのあたりうまくビジネスでも考えないといけませんね。
Posted by ちさ at 2006年10月22日 21:42
そうそう。コントロールとマネージは別物。大事なのはマネージのほうだって、つくづく思います。
Posted by tanahashi at 2006年10月23日 07:35
「体内に存在する塩と水のバランスを調節する」ホルモンはバソプレッシンですね。同じく下垂体後葉から出るホルモンです。オキシトシンは子宮筋の収縮や乳汁射出のホルモンです。オキシトシンがラブ・ホルモンと呼ばれているのは事実です。
Posted by 医学生 at 2006年12月20日 12:08
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