「電子書籍」という概念を越えてテクストの新しい形を模索すること

最近、会社のほうで進めているプロジェクト「Think Social」では、デザインシンキングのアプローチを用いて行なうサービスデザインをテーマとして扱っていますが、その一方で、やはり個人的な関心としては、人間の知の在り方や価値観を左右する人工物全般としてのメディアに強い関心があります

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例えば、電子書籍的なものもその一部。
ただし、世間的には、講談社が今後の書籍の刊行を紙と電子版を同時に行なうという方針を発表したニュースが取りざたされたり、『WIRED』創刊時の編集長ケヴィン・ケリーがインタビューで「10年後には「本」そのものは基本的にすべて無料になる」というようなことを言ったりするなど、相変わらず電子書籍の話題には事欠かないのですが、僕自身はどうもこの電子書籍関連の話題に不満をもっています。
というのは、どうも現在の電子書籍に関する議論は、次の引用にあるような蓄音機が出始めたころのトンチンカンな話に似ていると感じるのです。

はじめ蓄音機がどんなに的はずれな受け止め方をされていたかは、ブラスバンドの主宰者であり作曲家であるジョン・フィリップ・スーザの発言によく表れている。彼はこんな意見を述べている。「蓄音機が出てきたことで、声の訓練はすたれてしまうでしょう! そうなったら、国民の喉はどうなります。弱くならないでしょうか。国民の胸はどうなります。縮んで、肺活量が減ってしまわないでしょうか。
マーシャル・マクルーハン『メディア論―人間の拡張の諸相』

先のケヴィン・ケリーのインタビューにも「テキストが登場したときも人は文句を言ったものだ。人びとの記憶力が悪くなると言って。そして次第に詩の朗読は廃れていった」という話が出てきますが、普通の人は、新しいメディアの形態が登場したときにどうしても古いメディアの価値観でそれを判断してしまう傾向があります。
同じようなことは印刷本が登場した時にもやはり起こっています。

活字による印刷がおこなわれるようになって、最初の2世紀は、新しい書物を読んだり書いたりしなければならないという必要よりは、古代および中世の書物を見たいという欲求のほうに、むしろ動機があった。1700年にいたるまで、印刷された書物の50%以上が古代あるいは中世の書物であった。
マーシャル・マクルーハン『メディア論―人間の拡張の諸相』

すでに書かれた手書きの本を印刷するという可能性以外に、最初から印刷本として出版するための新しい書籍を企画し著作するという可能性に気づいたのは、印刷術が使われるようになって200年も経ったあとのことだというのです。
それとおなじことがいま「電子書籍」という語で称される概念に対して起こっているように感じるのです。

検索と発見を目的とするアプリケーションのデザイナーとして、僕らはこれからの学習やリテラシーのあり方を決めることになる

もちろん、一般の人はそれでいいのでしょうけど、知のインターフェイス、メディアを企画設計するデザイナーがそれではあまり視野狭窄すぎます。紙に印刷された状態から自由になり、物理的な購買や所有からも、さらには著者/読者という区別からも、固定された版があり、その版の同一性により複数の本の同一性が生じ得ることからも自由になった新しい知のメディアが本来もつ可能性を、きわめて狭隘な古い書籍イメージのなかに閉じ込めて殺してしまってはいけません。

そうではなく、僕らは以下でピーター・モービルが言うのと同じような意味で、これからの人間の知的生活、世界に対峙し思考するあり方そのものを作り上げていくデザイナーであることを自覚しつつ、電子書籍のみならずインターネットでつながったこの世界そのものをデザインしていかなくてはいけないと思うのです。

検索と発見を目的とするアプリケーションのデザイナーとして、僕らはこれからの学習やリテラシーのあり方を決めることになる。

そう。古い書籍の形態をただ電子版に置き換えたり、インターネットにつながった状態でコピーや共有ができるだけのことを「新しい」と誤解したりするのではなく、それによって人びとにとっての「知」の価値がどう変化するのか、印刷された書籍というメディアにアーカイブされてきた知が諸行無常なスピードで新しいデータフォーマットとそれを読み取るデバイスが生まれては消えていくメディア環境でどう蓄積され、アクセシブルな状態を保つようにするのか、などを意識しつつ。
それが人間の知の在り方を再定義するプロジェクトであるという意識をしっかりともった上で。

というわけで、今回はそうした印刷本が実はどれだけ歴史のごく一部の特殊なメディアであり、その特殊なメディアがいかに僕らのような印刷本の時代を生きてきた人間の生活や思考の在り方に影響を与えてきたのかということを、あえて様々な書籍からの引用を中心に、明示的にも編集的な手法をつかって綴っていこうと思います。

印刷本は史上初の大量生産物であったが、それと同時にやはり最初の均質にして反復可能なものでもあった

まずは僕らが当たり前だと思っていることが印刷本以前には決して当たり前ではないどころか、思いつきもしない事柄であったという点をいくつか見ていきたいと思います。

最初に指摘するのは、印刷本以前は、まったくおなじ本が複数存在するということはなかったという点です。

マーガレット・ミードが報告しているところによると、同じ書物を太平洋のある島に持っていったら、大変な興奮を生じたという。現地人たちは本を見てはいたのだが、それぞれ一冊しか見ていなくて、その一冊一冊がみな違うものだと考えていたのである。
マーシャル・マクルーハン『メディア論―人間の拡張の諸相』

これは20世紀を代表するアメリカの文化人類学者マーガレット・ミードの報告ですので、とうぜん、20世紀の話です。ただ、印刷本以前の中世においては、ヨーロッパにおいても状況は変わらなかったはずで、同じ本を元にした写本でも、とうぜん筆記者が違えば書かれた文字は異なりますし、同じ文章を1枚のページにどう配置するかも違えば、そもそも1冊の写本にどの文章を含めて1冊の本を成すのかも違います。
「印刷が出現する以前の読者、つまり本の消費者は、文字どおり本の製作者として製作過程に加担していたといえる」とマクルーハンが『グーテンベルクの銀河系―活字人間の形成』のなかで指摘しているように、写本の時代においては、本の読者は同時に写本を作るという意味で本の作者でもあったわけで、自分が必要とする本にどの文章を含めて1冊にするかは作り手次第でした。ですから、同じ文章が1冊に含まれた本は必ずしも複数存在したわけではなく、現在のように1人の作者によって書かれた、1つの話が1冊に収まっているということは必ずしも当たり前ではなかったのです。

複数の均質な本が反復可能になり、大量生産された複製品である本を個々人がそれぞれ所有するようになったのは印刷術が発明されて以降だということを忘れてはいけません。

印刷本は史上初の大量生産物であったが、それと同時にやはり最初の均質にして反復可能なものでもあった。

それまで本のみならず、同じものを異なる人びとがそれぞれ所有するということがなかったということを。「所有」という消費の在り方自体が印刷とともに生まれたという意味では、それは単に書籍の歴史の問題ではなく、新しい消費主義的で、資本主義的な経済モデルのはじまりであり、マーケティングを介して同じ商品をそれぞれが所有する社会のはじまりだという意味で、書籍の問題は扱う必要があると思うのです。

書物は、必ずしもテクストと同じものではない。「テクスト」とは、人間が文字による作品を作る材料である

さて、話をすこし戻して、写本の時代においては本の消費者は本の製作者と同じだったという件ですが、では実際には誰が写本の製作者兼消費者だったのでしょうか。
中世において書籍という知の利用者は大きく分けて2つでした。1つが古代の終わりから生まれてきた修道院。もう1つが中世においては新しい知の組織である大学でした。この2つの組織に集う人びとが写本の製作者兼消費者でした。

特に修道院以上に大学では、印刷以前の段階でテクストがとにかく不足していました。そこで学生たちは書き取りの作業を通じて写本の製作にあたっていたのです。
ただ、学生たちの書き取りが単なる僕らの時代のような意味での本の製作であり消費であったかというとそうではありません。モノとしての本を所有するという発想がなかった時代です。学生たちは本を所有するために書き取りを行なったのではないのです。
書き取りを通じて朗読法を学び、朗読を通じて書かれたものを記憶することが学生たちの目的だったのです。学生たちが所有したとすれば、それは本という物質ではなく、書かれた中身としてのテキストを記憶という形で所有したのでしょう。

書物は、必ずしもテクストと同じものではない。「テクスト」とは、人間が文字による作品を作る材料である。私たちにしてみれば、テクストは必ず書物の形をとっているので、書物とテクストの区別があやふやになり、失われてさえいる。しかし、記憶文化の中では、「書物」は「テクスト」を覚える手段のひとつにすぎず、忘れがたい言行を記憶に供給し、また記憶に合図を送るものだった。したがって、書物は、それ自体が記憶を助ける手段だった。

僕らはあまりにも自分の手元に所有できる本に慣れすぎています。検索すればいつでも見つけることができるWebページという情報があるのを当たり前に感じすぎています。
なので記憶するということが、自由に扱える記録がない状況ではどれだけ重要なことかがいまひとつピンときません。忘れそうなことは手帳やノートに書いたり、ホワイトボードに書いて写真に撮ったり、録画や録音したりすることが自由な状況では、あとで思考などの作業に使う素材としての「テクスト」の破片を記憶しておく必要はありません。

でも、自由に扱える記録のための道具がなかったらどうでしょう。カメラやWebや書籍はおろか、紙や鉛筆もなかったら。

声の文化のなかで生きる人が、ある1つの複雑な問題を考えぬこうと決心し、とうとう1つの解答をなんとか表現できたとしよう。そして、その解答自身もわりに複雑で、たとえば、2、300語でできているとしよう。この人はこんなに骨身をけずって練り上げた言語表現を、あとで思い出せるように、どうやって記憶にたくわえておくのだろうか。
ウォルター・J・オング『声の文化と文字の文化』

自分で自由に扱える「所有」物としての紙や鉛筆などの記録ツールがなく、それでも人がなにかを考え、日々を工夫して生きるために効率的に記憶をたくわえ、扱えるようにしなければいけないのだとしたら…。いったい、何がそのために使われるでしょうか?

思想が書物になるのには、わずかの紙とわずかのインクとペンが一本あれば充分だということを思えば、人間の知性が建築を捨てて印刷術を選んだからといって、どうして驚くことがあるだろう

個々人がそれぞれ所有でき自由に記録に使える道具がないのなら、社会的環境で共有されているものを使って記憶をたくわえ扱えるようにするしかありませんでした。

「テキスト」がまだ書籍にならない時代、あるいは書籍に触れる機会がほとんどなかった時代、人間が「テキスト」の記憶のために用いたメディアは建築でした。

この術は、記憶の場としてその時代の建築を使い、そこにおくイメージとしてその時代のイメジャリーを用いる都合上、他の技芸同様、古典時代、ゴシック時代、ルネサンス時代といった時代区分をもっている。
フランセス・A・イエイツ『記憶術』

残念ながら僕らは建築が読み物であることをすっかり忘れてしまっています。
だから、発想の道具として建築空間がとても大事であることを忘れて、創造的な発想が求められるオフィス空間を記憶の蓄積にはまったく適さない、無機質な空間としてデザインしてしまっています。まるでそこで過ごす人びとに何も考えなくてよいと言っているように。

建築のレイアウトのなかに記憶の手掛かりをおいていく。その記憶の方法は後の写本のレイアウトにも活かされます。

12世紀の初めに、サン・ヴィクトルのフーゴーは、若い学生たちに記憶の仕方を教えるときに、写本のページのレイアウトや装飾が記憶に役立つことを明快に説明している。

まあ、レイアウトと記憶という点では、ユーザーインターフェイスをデザインする際でも、それに一貫性をもたせることで無意識的に記憶が働き、使い勝手がよくなるようにすることにもつながっているので、この点は単純に過去の話ではないという点も理解しておいたほうがよいでしょう。

でも、ポータブルで私有が可能な書物の登場によって、土地に固定され個々人が自由に使うのもむずかしい建築というテクストメディアが滅ぼされてしまったのは致し方ないのかもしれません。

「これがあれを滅ぼすだろう。書物が建物を」
ヴィクトル・ユゴーのこの名言は、『ノートルダム・ド・パリ』に出てくるパリのノートルダム大聖堂の司教補佐クロード・フロロの言葉です。おそらく建築物は死にませんが、変貌するある文化の象徴という役割を失うでしょう。「それに比べて、思想が書物になるのには、わずかの紙とわずかのインクとペンが一本あれば充分だということを思えば、人間の知性が建築を捨てて印刷術を選んだからといって、どうして驚くことがあるだろう」。
ウンベルト・エーコ、ジャン=クロード・カリエール『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』

ただし、テクストメディアの建築が滅びることで、あるテクストの読み方、鑑賞の仕方が失われてしまったというのも確かでしょう。
それは演劇的、詩の朗読的な場においてテクストを参加的に鑑賞するという方法だったはずです。

当時の人々の心の中では、実際の舞台と実際の劇場は、夢想の中で次のような広く流布していた類比と結びついていた。それは、世界と劇場との類比であり、また世界と舞台の上で演じられる役としての人間生活との類比である。「全世界はひとつの舞台だ」という台詞も、別にシェークスピアの編み出した標語ではなく、一般の心の中にごくふつうに存在していた認識だった。

この参加型のテクスト鑑賞法に関しては、再び書物的な世界からおしゃべり化する社会に移行するなかで、勉強会やコワーキングのような形で復活しはじめているのかなとも感じるのですが、それはまた別の機会に。

活字というばらばらなものを組み上げるこの組み立て工程こそが均質で、かつ科学実験が再現可能なように再現可能な製品を可能にした

とはいえ、印刷された本を誰もが所有可能になり、その自分で自由にできる本をもって、テクストを編集的に読むという作業が可能になったことで、人の思考方法そのものに変化が生じます。
最初に敏感にそれを感じとったのは芸術家たちで、「主観と客観の裂け目の発見(デザインの誕生3)」で取り上げたような遠近法という見るものと見られるものの関係を、中世神学の時代までとは逆転させ、人間を見る者の地位に立たせ、それにより主観と客観の裂け目が生じたのも、見る対象としての文字が印刷された本の登場とは無縁ではありません。
ディゼーニョ・インテルノという「内側にあるもののデザイン化」というデザイン的思考法を、マニエリストのフェデリコ・ツッカーリが1607年の「絵画、彫刻、建築のイデア」に記述できたのも、印刷術によって主体として客体としての物体を見るのと同じように、文字としてのテクストを読むことが一般的になりはじめていたからです。
それまではテクストは誰かに見られるのと同じように、外から浴びせられるという形で、人は主体の側には立っていなかったのですから、これは大きな逆転です。

こうした見るものと見られるものの反転以外にも、目に見えて、かつアーカイブされた状態におけるテクストを繰り返し利用できるようになったことは、人間の思考を大きく変えました。
デザイン的思考ができるようになっただけでなく、それは近代科学的思考も可能にしたのです。

正確に反復できる視覚情報があらたに生まれ、そのことによって生じた帰結の1つが近代科学である。正確な観察は、近代科学とともに始まったわけではない。はるか昔から、たとえば、猟師や多種の職人が生き残るためには、正確な観察がつねに欠かせなかった。近代科学をそれ以前のものと区別するのは、正確な観察をことばによる正確な表現と結びつけたということ、つまり、注意深く観察された複合的な事物や過程を、正確なことばで記述したということである。
ウォルター・J・オング『声の文化と文字の文化』

再現性のある、ことばによる正確な表現が、その人自身のなかや、他の人たちとのあいだで、正確に観察した結果を繰り返し吟味し、ほかの正確な観察の結果と比較したりということを可能にしました。
これによって複雑な論理的思考をひとりがじっくりと組み立てることも、その組み立てられた論理を他の人が再度バラバラに分解して吟味し、批評という形で同じ素材を用いて別の構造を提示することも可能になりました。そうした科学的方法も、正確にことばで表現された同じ情報を自由に個々人が利用できるようにした印刷術の賜物なのです。
そして、それが科学的方法と同時に、大量生産的商業モデルを可能にします。

活字というばらばらなものを組み上げるこの組み立て工程こそが均質で、かつ科学実験が〔他者の手によっても〕再現可能なように再現可能な〔活字を崩しても再びそっくりそのままに組みこむことができる〕製品を可能にしたのである。

複製再現可能な部品を用いて、これまた再現可能な製品を作成し、個々人がそれぞれを所有できるようにするモデル。それはかつて教会に集まってみんなで声を出して読まれていた書物が、個室に閉じこもって各自が黙読するようになった読書習慣の変化とともに起きたのです。

迷誤をうむ危険な源であるから、教会の指導なく読むことまかりならぬとするカトリックの書物観を嘲るかのように、ルター派もカルヴァン派も個人的読書の習慣を奨励した。

そう。ひとりの読書を可能にする量産された本は、ひとりでこもるための個室の誕生や、さらに個室それぞれに置くことが可能な商品としての個室用テーブルとともに、人間の知に対する態度や方法を変えたのです。
人はそのときはじめて個室のなかで孤独になり、はじめて主体的な個人として、個人所有可能な商品を購入する消費者になったのです。

ピューリタニズムは、データを集積すればリアリティに近づくという思い込みになってあらわれる。つまり、日々のデータを累積することを考え始めた

個室とそこに置かれた個室用テーブルの登場によって、ピューリタンたちは日記をかきはじめ、テーブルの上にさまざまな蒐集品を並べて分類するということをはじめました。
活字を並べて、新しい思想やアイデアを表現できるようになったように、日記帳の上に日々の出来事を書きとめたり、テーブルのうえに様々なものを並べて分類することで、新しい何かが生まれるという考えを当たり前にもてるようになったのがこの時からなのです。

ピューリタンはデータが好きだ。「つくられたもの」という意味しかない「ファクト(fact)」という言葉が「事実」という意味になった1630年代から、ピューリタニズムは、データを集積すればリアリティに近づくという思い込みになってあらわれる。つまり、日々のデータを累積することを考え始めた。

この事物やデータを収集して分類すれば新しい何かが生まれるという意味で知をアーカイブして、それにアクセスできるようにすることが価値があるとされるようになったことで、書籍にテキストをレイアウトしていくように、物理的な空間に様々なものを並べてテキスト=織物とすることが盛んに行なわれるようになります。
それが博物学であり、そのための空間である博物館でした。
それは当初、博物館というひとかたまりの中に絵画もあやしげな剥製も異文化の呪術器もごちゃまぜになっていたところに、徐々に分類の意識が芽生えて博物館、美術館といった具合に用途が細分化されていきます。

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これが書籍同様のテクストの1形態であり、かつ文字のみのテクスト以上に生きた世界を表現できると考えたのがライプニッツで、彼は生涯をかけて次のような複合的な博物館のアンサンブルをもって世界をテクスト化する「自然と人工の劇場」というプロジェクトを追いかけたのです。

ライプニッツはクンストカマー、珍奇コレクション、絵画キャビネット、解剖学劇場、薬剤局、薬草園、動物園を数え上げ、1つのアンサンブルを考えている。これを総じて自然と人工の劇場として定義するのである。硬直した、それゆえひそかに死んだ書庫世界と対照的に、この劇場をもって「万物の生きた印象と知識」を可能ならしめようというのだ。
ホルスト・ブレーデカンプ『モナドの窓』

「万物の生きた印象と知識」をもって思考することで、遊びのある思考が可能になると考えたライプニッツの考え方は今後ますます重要になってきているように感じています。
ホルスト・ブレーデカンプの『モナドの窓』に関しては、次回以降あらためて書評という形で扱ってみようと思います。

知の生産や保存や伝達が、経済や文化や技術の広範な変化を受けて、根本から問い直されるのははじめてではない。わたしたちは今、どうすれば文化の再生産を確かなものにできるのだろう

ただ、いまの僕らの視点からすれば残念ながら、このライプニッツの同時代であったデカルトたちは、ライプニッツがこうした文字情報以外の情報も駆使して知を編集しようとしたのに対して、文字中心の知的空間の構築を目指します。

大雑把にいうと、びっくりさせてくれるものをとにかくたくさん集めて、その物量で「どうだ、オレの方が偉い」などといっていた「驚異」の文化が、1753年に消滅したということである。そして、国家管理になったときに、王立協会の生物学者たちがそれを管理することになった。そう、「人が話す言葉はシンプル・イズ・ベスト」などといっている連中が、一角や二角のサイを扱うようになる「差異の世界」である。フーコーが「類似」の世界と呼んだ魔術的世界がここで終わる。

ここでの言葉優先社会への改革が最近まで続いた僕らの社会の思考の土台を作ったのだといってよいのだと思いますし、その意味では僕らの当たり前はこの時歴史的に作られた選択肢の1つに過ぎないということを今だからこそ思い出すべきではないかと思うのです。

知の生産や保存や伝達が、経済や文化や技術の広範な変化を受けて、根本から問い直されるのははじめてではない。わたしたちは今、どうすれば文化の再生産を確かなものにできるのだろう。
(中略)
知の総体を組織化して伝達するには、どのような制度を作らなくてはならないのか。

僕らはいま単純にビジネス的視点や紙の書籍と比べた際のユーザビリティの視点などの狭い視野で電子書籍的なものを吟味するのではなく、ここで言われているような「知の総体を組織化して伝達するには、どのような制度を作らなくてはならないのか」という視点でそのデザインを吟味することが必要なのです。
その意味では「新しいテクストの形」を考えることと、「新しい社会の形」を考えることは同じだろうと思っていて、それが実は冒頭で書いた「Think Social」と同時に、このようなテクストに関する論考をしている理由だったりします。社会こそ人が織り紡いでいるテクストなのですから。

と、まあ、編集という印刷術以降に可能になった方法によって思考され記述されたテクストに関するテクストでした。

   
   
   

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