2012年02月17日

マーケティングからソーシャリングへ

最近、このブログを書くよりも会社のほうのブログ「think social blog」やthink social Facebookページに考えていることを書く機会が増えています。

thinksocial.jpg
Think Social Facebookページ

think socialはその名のとおり、社会を考える場としてのメディアという側面と、新しい社会を実現しようと頑張っている人たちのお手伝いをデザイン思考やサービスデザインという観点からさせていただくデザインエージェントという2つの側面をもっています。
そうした姿勢でいまはヘルスケア(医療、健康)に関するサービスの支援を商用、公共のもの問わずに力をいれています。

参照:ヘルスケアサービスの事例にみるコデザインにおける視覚表現の重要性

課題やテーマを共有できる、人びとが共感でつながった場をつくる

さて、そんな形でthink socialの活動、特にFacebookページでのコミュニケーションをはじめてから、ソーシャルメディアというのが共感のメディアであるということをあらためて実感していたりしています。
同じような関心や問題意識をもった人たちが、Facebookページのオーナーの発信することばに共感するから、そこに話題ができるのであって、何か自分たちの売りたいものの認知を広げたいというブランドのわがままだけで診断アプリをばらまいても共感も話題も生まれません。もちろん、自分たちが売りたいものの宣伝をしてるだけではダメです。
自分たちのことを知ってもらいたいという自己中心的な思いだけでは、この時代、誰かとつながっていくことはできなくなっています。
そうではなく、誰かとともに課題やテーマを共有するために、何かを発信し行動することが大事なんだと思う。

マーケティングからソーシャリングへ

そういう意味で、マーケティングの時代ではなく、ソーシャリングの時代ではないかと思います。
ソーシャリングは僕が勝手に作った造語ですけど、ひとりでは解決できない課題、閉ざされた組織の中だけでは手に負えないテーマを、ほかの人びとや組織と共有することで、おなじ課題を抱えたコミュニティの一員として共同で課題の解決に向けて取り組んでいくことと定義できるのではないかと思います。
そんなソーシャリングがいま従来のマーケティングにとって代わろうとしているのではないだろうか?と思っています。

そんなソーシャリングの時代にはその活動が社会的な意味で共感され尊敬されない企業はもはや生き残れなくなってくるでしょう。しかも、ソーシャルメディアという最もその傾向が色濃くでやすいメディアにおいて、ユーザーとともに場をつくる、話題をつくることができない企業は社会におけるブランド価値をどんどん失っていくことになるかもしれません。

サバイバルの条件が変わった

もちろん、企業だけではなく、個人の側でも同じです。ソーシャぬリング化する社会において、経済モデルはより参加型の経済モデルとなり、自身が利用する商品やサービスに対して積極的な態度がとれない人は社会的な信頼や地位を保ちにくくなるのでしょう。消費者はただ提供される商品を無自覚に消費するのではなく、より積極的に商品やサービスの社会的な価値について判断し、そのデザインにも参加する存在に変わっていくはずです。

そうした環境におかれた際に、社会的に共感してもらえ、信頼され、尊敬もされるような活動や発言をしていけない人は、生きること自体がむずかしくなってきてるのかもしれません。
あきらかに社会におけるサバイバルの条件が変わってきていますね。

個体としての人や組織の持続可能性ではなく、人や組織が生きる土台としてのコミュニティや社会そのものをいかに持続可能なものにしていくか?という視点に立って行動できるかどうかに、サバイバルの条件が変化してきているのだと思います。
そして、そのためにどう他の人びとや組織と関わりあい、その関わりを成り立たせるために、どんなシステム、ツールが必要か?を問う視点がより重要になってきているのだろう、と。

議論ができる社会のために

そんな関心から僕はthink socialという活動をはじめました。
そこでは、これからの社会について考え、実際に新しい社会を生みだすための議論が必要だと感じています。

僕は、ひとつの場の創造性が発揮されるかどうかのひとつの基準に、その場において会話が成立するかどうかがあると思っています。会話というのは単に人が集まるだけでは生まれませんし、そこに共通のテーマや関心がなければなかなか議論は成立しません。

なので、いまthink socialで扱っているサービスデザインの現場でも、本来形の見えないものをデザインするサービスデザインの分野でも、スケッチやプロトタイプなどを作成して、それを使ったシミュレーションを行なうことでサービスの流れを視覚化し、メンバー間でイメージの共有をすることで議論が生まれるような工夫がされたりします。
ただ、もちろん、視覚化だけでは議論は生まれなくて、メンバーそれぞれに自分も意見を言わなくてはいけないし、他人の意見を理解しようという姿勢がないと議論が生まれず、場の創造性が発揮されなくなります。
これは僕がたびたび実施しているデザイン思考のワークショップの場でもよく見られる傾向で、グループワークをしていても会話ができないチームはアイデアがなかなか生まれてこなかったりします。

そういう意味では、ソーシャリングの時代に新しい社会を自分たちが積極的に参加することで生みだすための議論を行うには、もっともっと、ひとりひとりが自分ごと捉えて、自分で意見を言えるようにする日頃の勉強が必要です。
そういう個々人の努力がない限り、グループワーク、コデザインでの創造を基本とするデザイン思考での創造は、この国で発揮されることは非常に少ないままになるかもしれませんと危惧しています。

そんな悲しい事態にならなくするためにも、ひとりひとりが言葉を紡ぐ努力をよりいっそうしていかなくてはならないのだと感じます。もちろん、それには僕自身がもっといろんな人に、これからの社会の課題をいっしょに考えられるような話題を投げかけられるようになっていかないといけないなと考えています。

ラベル:ソーシャル
posted by HIROKI tanahashi at 11:49| デザイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする