ゲームやテレビに対する「わかったつもり」を破壊する試み
ゲームやテレビ、映画やインターネットなど、通常、世間的にはあまり人間の知的鍛錬のためのツールとは認められていないこれらのものが実はちゃんと「タメになっている」ことを示そうとしている本。らしい。「らしい」というのはまだ、最初の1章のゲームのところと、次の「テレビ」の途中まで読んだだけの段階だから、判断を保留しようと思ってのこと。
でも、途中まで読んだ限り、この試みで著者は、本などを知的教養のツールとして認める際の文脈を、別の文脈に変えてゲームなどを眺めることで、その試みを行おうとしているのはよくわかった。
まさに、ゲームなどを既存の本からの知識享受と比較して、「わかったつもり」になっている既存の批判に対して、別の文脈を導入することで「よりわかった」状態にもっていこうとしているのでしょう。
(参照:「わかったつもり 読解力がつかない本当の原因/西林克彦」)
複雑なものを知る
その文脈とは何か?というと、現時点まででなんとなく感じ取っているのは、それがいかにゲームやテレビに対する認知が、これまでの読書体験などでの線形的な認知とは異なり、より「複雑なものを知る」ための非線形的な認知を強いるものだという文脈なのかなということです。ゲームの世界では、あなたは作業を定義して実行することを強いられる。もしその定義が揺らいだり、うまくまとまっていなかったりするとプレイに支障をきたす。本の場合は、物語が次の2章でどう進むかきちんと考えておかなくても楽しめる。スティーブン・ジョンソン『ダメなものは、タメになる テレビやゲームは頭を良くしている』
本はとにかく読み進めることによって知識を得ることが保障されるが、ゲームでは先に進むこと自体では知識は得られず、むしろ、先に進む方法を知識として得るためのプレイヤーの努力を強いるものだというのが、著者の指摘です。
そのためゲームの内容を、本の内容を批評するように扱うのは的外れで、それは著者が例をあげて紹介してくれているように、数学や科学のテスト問題の文章の文学的価値を問うようなものです。むろん、数学や物理の価値はそんなところにないのはいうまでもありませんし、そこに価値がなくても数学や科学に価値があることは誰もが認めることでしょう。
文学的な知、科学的な知
調査とテレスコーピングという技には、どこかとても人生に似たものがある。(中略)ぼくたちの人生は、少なくとも現時点では物語ではない-人は受け身的に物語の筋書きをこなうすだけじゃない(決断を下して出来事が展開した後で、事実を追う形で人生は物語となる)。でも、人は隠されたルールとパターンを求めて新たな環境を調査する。スティーブン・ジョンソン『ダメなものは、タメになる テレビやゲームは頭を良くしている』
最近、繰り返し似たようなことを書いていますが、物語あるいは歴史は、ある目的や主観に対応した特定の視点=文脈による記述=認知にすぎません。それは事実の多様性をある特定の視点によって、いくつかの要素を選択し、その組み合わせによって、特別な文脈を仕立て上げた織物です。実際に存在したはずの事実はそれよりはるかに複雑で、非線形的であったはずであるにもかかわらず、物語が起動した段階では、それはすでに常に簡潔で、線形的なものに変換されているわけです。
しかし、上記の引用で著者が言っているように、実際の人生を生きている真っ只中では、物語も歴史もまだ起動していません。それはその人あるいは他人が振り返ってみてはじめて起動するものです。
では、物語というアプリケーションが起動する前に、僕たちは何をしているかというと、その答えの1つが「調査とテレスコーピング」なのでしょう。数多くの調査を行い、その調査データから隠されたルール=法則を見出そうとし、それにより未来を予測できるようなテレスコーピング(望遠)の目をもとうとする。それは文学的な知というより、科学的な知に近いのかもしれません。
といった風に、まだ読み始めたばかりですが、なかなかこれは僕のいまの関心事に近いところを扱っただなと思い、読みながらワクワクしているわけです。
関連エントリー
この記事へのコメント
tom-kuri
http://it.nikkei.co.jp/digital/news/index.aspx?n=MMITew000006102006
>「もっとガンダムの『正史』をちゃんと勉強してください」。
いやー、この気分はよく分かりますね☆
それらは僕らガンダマーにとって「すでに起こった未来」なんですよ。ひとがたくさん死んじゃうのは困りますが。
http://www.review-japan.com/factory/p.html?AID=1046&MODE=3&ID=44456&GENRE=
この本、面白そうですね。買ってみようかなあ。ありがとうございました。
tanahashi
この本を読んでて、もう1つ思うこと。
やっぱり日本って、アメリカなんかに比べると、テレビやゲームが受け入れられてる国だなってこと。
でも、受け入れられてる分、この本みたいな洞察が生まれにくいのかもしれませんけど。