わかってしまうとわからないことも

先ほど西林克彦さんの『わかったつもり 読解力がつかない本当の原因』という本を紹介し、「わかったつもり」になることが「よりわかる」ことの障害になるということを考えました。

西林さんは「わかったつもり」の克服法として、文脈を変えてみてみることを教えてくださってますが、違う文脈でみれば異なる意味が引き出せるという点は、単に文章の読解だけに限らず、認知一般、たとえば、以下のようなリチャード・ドーキンスが『祖先の物語』で紹介している正常な三色系の色覚と、色覚に障害をもつ二色系の色覚(赤または緑が見えない)で、後者がある種のカムフラージュを見破ることがあるという例にも現れているのではないかと思いました。

第二次世界大戦の爆撃機の乗員に、関して、色覚障害者のほうが、その他の点ではめぐまれた三色系の戦闘員より、ある種のタイプのカムフラージュを容易に見つけることができるという理由で、わざわざ乗員一名が召集されたという逸話が存在している。
リチャード・ドーキンス『祖先の物語 ドーキンスの生命史 上』
ドーキンスはこのことが実験的にもわかっていると述べています。

僕たち、ヒトを含む類人猿は、青、赤、緑の三色系の視覚をもっているわけですが、それ以外のサル類は実は二色系の色覚しかもたないものが多いようです。
そして、そのことを紹介した上で、ドーキンスは次のような想像をしていたりもします。

三色系と二種類の二色系からなるサルの群れが、純粋に三色系だけからなる群れよりも、集団としてはるかに多様な果実を見つけるということはありえるのだろうか。
リチャード・ドーキンス『祖先の物語 ドーキンスの生命史 上』

三色系の視覚には見えないものが、二色系の視覚には見えるということは、違う文脈が異なる意味を引き出せるということと同じものでしょう。

視覚という意味では、あるアフリカの蝶の羽根の模様は、私たちの目ではたんにきれいな模様にしか見えないのだけど、私たちには見えない紫外線も
視覚的に認識するある種の鳥(そして、それらは蝶にとっての天敵でもある)には、大きな動物の目がこちらを向いているように見えるのだそうですが、これも文脈=視覚が異なれば違う意味をもつという例でしょう。

そんなことを考えながら、またしても、ISO9241-11によるユーザビリティの定義「特定の利用状況において、特定のユーザによって、ある製品が、指定された目標を達成するために用いられる際の、有効性、効率、ユーザの満足度の度合い」を振り返ってみると、この「特定の利用状況」という文脈の特定はとても大事なことだなと思います。
特定の文脈にとってユーザブルな状態をつくることは、ある意味では別の文脈ではユーザブルではないこともあるからです。ある文脈をもったユーザーにとって理解しやすく、使いやすい機能は、かならずしも別のユーザーにとって理解でき、使いやすいものではないからです。

よくユーザビリティの議論をする際に、まったくターゲットユーザーでもない人の評価をまじめにうけとったりしますが、これは上記の文脈ではまるで無意味です。
このあたりもWebユーザビリティを考える上では理解しておかなくてはだめですね。



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