直接的ユーザビリティ、間接的ユーザビリティ

またしてもWebユーザビリティに関する考察です。

特定の利用状況において、特定のユーザによって、ある製品が、指定された目標を達成するために用いられる際の、有効性、効率、ユーザの満足度の度合い。
ISO9241-11によるユーザビリティの定義


ユーザビリティの経済学

ふと思いついたユーザビリティの定義の3つの要素の言い換え。
  • 有効性:これ使える!って感じる度合い
  • 効率:これ使いやすいなって感じる度合い
  • 満足度:これ使えて満足(あるいは使ったけど不満)って感じる度合い

こう言い換えただけでも、なんかユーザビリティがわかった気になったりしません?
少なくとも、ちょっと馴染みやすくなったんじゃないでしょうか?
よくユーザビリティというと「使いやすさ」だと考えられていたりします。
でも、やっぱり使いやすさの前に「使える」ことが大前提だし、使ってみての満足度だって大事ですよね。

効率と満足度に関してはどちらも、有効さによって得られた利益に対してどれだけコストがかかったかを示す指標で、効率のほうは主に時間的コストいわゆる手間の話で、もう一方の満足度に関しては心理的なコストを示すのかなと。でも、コスト云々と同時に、というより、その前にそれって有益なの?って視点が大事なのは当たり前の話です。

そうなんだけど、なぜかユーザビリティの話というと「使いやすさ」みたいな話になっちゃうのはちょっとおかしいわけです。安くたって欲しくないものは買わないわけです。使いやすくたって使い道がなければ使わないでしょう。インセンティブとコストの関係におけるエコノミクスを考えてはじめて、まともなユーザビリティの議論が可能になるのではないか、と。そう思うわけです。

相互作用としてのユーザビリティ

で、ここからが本題。
ユーザビリティって単にユーザーインターフェイスの問題ではないよね」のエントリーですでにそれっぽいことは紹介しているんですが、WebユーザビリティってWebサイトの設計者やサイト管理者側のコントロールだけで、どうにかなる話ばかりではないと思っています。

OPERAの「ユーザースタイル」もそうですし、RSSリーダーでのコンテンツの閲覧もそうですが、ユーザビリティってやっぱり情報(あるいはコンテンツ、機能)提供者側とユーザー側の相互作用の話なわけです。
その意味でずっと前に議論を展開していた「インタラクション・デザイン:行動とフレーム 」だったり、「2つの階層構造、2つの分類法(タクソノミーとオントロジー、あるいは、クラスとセット) 」だったり、「HCIとHIIの階層構造、生命情報/社会情報/機械情報の階層構造」や昨日の「本屋にあるもの」といった、HCIやHII、そして、そもそも情報とは何か?という話に再び関心が向くわけです。
読みやすさとわかりやすさ」という、ちょっとわかりにくいエントリーで僕が考えていたのはそのことで、あのエントリーで「三角関係」と表現した、情報-サイト(あるいはサイト設計者、管理者、情報提供者)-ユーザーという関係における相互作用を考えないと、ユーザビリティってきちんと論じることができないのではないかと思います。

それがどうもサイト設計者あるいは管理者側の視点で、どうユーザーに使ってもらいやすいサイトを設計するかという話になってしまうのが、よくあるユーザビリティの議論です。
でも、これだとユーザーのことを考えているようで実はそうじゃない。
マーケティングの分野で顧客のことを考えるといいつつ、顧客をいかにコントロールするか、管理するかみたいなことばかり考えてしまうのと同じ罠に、Webサイト設計者や管理者も陥っているのではないかと思います。

マーケティングであれば、CGMなどの台頭を例としてユーザーの口コミはコントロールできないという良質の議論が展開され始めているわけですが、ことユーザビリティを含むWebサイト設計に関しては、そのあたりがどうも生温い気がするんです。マーケティングに対してユーザーをコントロールできないとツッコミを入れているWeb開発者などが、実は自分たちがいまだユーザーをコントロールしようとしてしまっていることに気づいていなかったりします。
でも、マーケティングがつっこまれてるのと同様に、そろそろユーザーの利用行動をコントロールすることなんてできないというツッコミがあってもいい時期なんじゃないでしょうか?

で、ここで進化論の分野での共進化といわれる現象が頭に思い浮かぶわけです。

共進化

共進化とは、2種以上の生物が互いに影響し合いながら進化していくのを指す言葉です。チータが狩猟のために足を早くすればチータに追われる側もそれにあわせて足を早くしたり、食べる側が丈夫な牙を進化させれば食べられる側はより丈夫な甲羅を用意するといった進化です。

リチャード・ドーキンスが『祖先の物語』の中で、ヒトが狩猟生活から農耕生活に移っていく際の中間的過程としての牧畜にみるのも同じような共進化です。ヒトが獲物を求めて移動していく狩猟生活から牧畜生活にいたる過程で進化するの同時に、「一方で動物そのものも進化しつつあった-初歩的な形での人為淘汰によって「家畜化」されていった」とドーキンスは綴っています。

私たちの祖先は何気なく動物への淘汰圧を変化させてきた。群れの遺伝子プールの内部では、逃げ足の速さや、その他の野生で生き延びる能力は、もはや重視されなくなっただろう。家畜化された動物は世代を重ねるごとにしだいに人に馴れていき、自分だけで生きていける能力を弱め、安閑とした家畜の条件のもとで繁栄し、太りがちになっていったことだろう。
リチャード・ドーキンス『祖先の物語 ドーキンスの生命史 上』

共進化と同じような現象はWebの世界でも起こります。
何かが標準化されることで利用の有効さが急激に高まることがあります。

たとえば、いわゆるWeb標準と呼ばれているものも、CSSレイアウトに標準的に利用されるブラウザが対応するようになって普及してきたという歴史があります。Web標準がブラウザの進化によって実装が可能になると、今度はWebアクセシビリティが普及してきて、その中心的な技術としてWeb標準が重宝されるようにもなっています。

ブログ、RSSとRSSリーダーの関係も似たようなものです。ブログが普及して、そこに標準的に装備されたRSSが同時に普及し始めると、Bloglinesなどの老舗だけでなく、livedoorやGoogleなども独自のリーダーをリリースするようになりましたし、FIREFOXのようなブラウザからいまやIE7でもRSSリーダー的機能が標準装備されるようになってきています。そうなると、ブログ以外のWebサイトでもRSSを配信する機能を実装するニーズが増えてくるといった具合に、共進化的な現象が起こっているように見えます。

直接的ユーザビリティ、間接的ユーザビリティ

このブログではこれまで、こうした共進化的な現象が起こることを自己組織化だとか創発だとか科学の用語を用いて考えてきました。でも、よりビジネス的に一般化された用語を用いるなら、これはいわゆるネットワーク効果と呼ばれるものです。ネットオークションなどのように利用者が増えれば増えるほど便利になるというアレです。

ユーザビリティにおける「有効性=これ使える!って感じる度合い」もこのネットワーク効果に影響を受ける場合が数多くあるのと思います。
多くの人があるものをよく利用するようになり、それが事実上のスタンダードとなれば、さらにそれに合わせた便利なツールが登場し、結果として標準に準拠したもののユーザビリティが高まるといった現象は、先に見たようなWeb標準やRSSリーダーの例でも見て取れます。
もっと単純な例では、ナビゲーションのラベリングやアイコンなどがどれだけデファクト・スタンダードなものになるかということも似たようなものだと思います。RSSを示すオレンジ色のアイコンや、株主、投資家向けのコンテンツを示すラベリングが「IR情報」に標準化されていることなどがその例でしょう。

こうした現象をみると、ユーザビリティとは単に1つのサイトで閉じた形で考えられるのものではないことがわかります。
このエントリーのタイトルを、「直接的ユーザビリティ、間接的ユーザビリティ」としたのは、1つのサイトで閉じず、ネットの環境の中で何かが標準化されることで一気に高まる形の間接的なユーザビリティというものがあると考えたからで、それはサイト内のトーン&マナーを統一するだとか、お問い合わせのボタンを目立つようなデザインにするだとかいった、サイト設計者や管理者が直接的にコントロール可能なユーザビリティとは違うものだと思ったからです。

多様性が閾値を超えると相転移が起こり、触媒作用を受けた反応の巨大な織物が「結晶化」する。触媒作用を受けた反応がなす部分グラフは、つながっていないクラスターを数多くもっている状態から、巨大なクラスターと孤立したいくつかの小さなクラスターをもつ状態へと変化する。
スチュアート・カウフマン『自己組織化と進化の論理―宇宙を貫く複雑系の法測』

これだけWebの利用者が増えてくると、それこそネットワーク効果で、標準化による間接的ユーザビリティが向上される機会が今後ますます増えてくるのではないかと感じています。
今後、Webユーザビリティを考える上では、こうした間接的ユーザビリティについても考察する視点が、Webサイト設計者、管理者には求められるのではないかと思っています

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この記事へのコメント

  • hal*

    >なぜかユーザビリティの話というと「使いやすさ」みたいな話になっちゃうのはちょっとおかしいわけです。

    ここが、一般人としては今ひとつ実感を持てません。少し前の記事からのユーザビリティに関する主旨は「そうだよなぁ」と思い拝読しているのですが、逆にそうじゃない現状というのがどのようなものなのか。。
    2006年10月01日 16:49
  • tanahashi

    ようは情報なり機能なりの提供側は、まず自分たちが提供しようとしてるものが何の根拠もなく使えると判断したあとから、ユーザビリティについて思いを巡らしはじめるので、そうなるわけです。違う言い方をすると使えるかどうかは不問にする傾向があるわけです。
    で、ありがちなのは情報そのものに価値がないことを棚に上げて、それを認めてもらえないのをツールのせいにするわけです。サイトが使いづらいから読んでもらえない、と。
    売れないのをマーケティングのせいにして商品自体の良し悪しを省みないのと同じことですね。
    2006年10月01日 17:08
  • hal*

    ご返信ありがとうございます。
    なるほど…、つまり提供側とユーザー側において、提供される情報等の価値観の共有が成立していないということですね。
    このとき、webにはこの価値観の共有を図る事が出来るという価値がありながら、情報とサイト間でwebに対する価値観の共有も図れていないとすると…、これは不幸な三角関係だと。
    勉強になります。
    2006年10月08日 18:04

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