本屋にあるもの

唐突ですが、本屋にあるものってなんでしょう?

本を分類する

もちろん、本があります。
本にも種類がたくさんあって単行本や文庫本、そして、連載マンガのようにシリーズ化されたもの、そして、定期的に発行される雑誌。写真集や地図などもあります。

こうした本を選びやすくするために分類があります。
amazonの和書のカテゴリーを参照すると、

  • 文芸
  • ノンフィクション
  • ビジネス
  • 科学&テクノロジー
  • 実用&暮らし
  • 教育・語学
  • こども
  • カレンダー
  • アート&エンターテイメント
  • 医学
  • 新書・文庫
  • 雑誌
  • バーゲンコーナー
  • 成人向け

といった分類が成されています。
また、この中がさらにサブカテゴリーに分類されていて、たとえば、「ビジネス」というカテゴリーであれば、

  • ビジネス・経済・キャリア
  • 投資・金融・会社経営

と分けられ、さらに「ビジネス・経済・キャリア」のサブカテゴリーが、

  • 経済学・経済事情
  • 産業研究
  • マーケティング・セールス
  • 経理・アカウンティング
  • 金融・ファイナンス
  • オペレーションズ
  • マネジメント・人材

などに分類されています。

しかし、こうしたカテゴリーを見るとわかるように、ある種の本は複数のカテゴリーにまたがることがあります。
たとえば、僕も執筆させてもらった『マーケティング2.0』などは、「ビジネス」-「ビジネス・経済・キャリア」-「マーケティング・セールス」に分類することも可能ですし、Web2.0の絡みで、「科学&テクノロジー」-「コンピュータ・インターネット」のどこかに分類することも可能でしょう。実際、リアルの店舗でもビジネス書のところにあることもあれば、コンピュータ関係の書籍がある場所にも置かれていることもあったり、両方に置かれている場合もあります。

本を陳列する

そう。リアルの本屋には物理的な陳列場所というのがあります。
Amazonのようなネットショップであれば、カテゴリーのような論理階層化された分類そのものが陳列場所になりますが、リアルな店舗では単なるカテゴリーだけでなく物理的な場の違いが関係してきます

たとえば陳列の仕方には、本棚に入った状態と平積みのものがあります。背表紙しか見えない本棚に入った状態より、表紙が見える平積みのほうが目立ちます。同じ平積みでも場所によって目立ち方は違います。新刊コーナーや売れ筋のランキングなどのコーナーに平積みされていると、より目立つかもしれません。

あと最近だと大きな本屋には検索用の端末が置いてあったりしますね。ネットの本屋であるAmazonなどでは検索はむしろ当たり前ですし、検索性はAmazonのほうが上だという気がします。
しかし、逆に本棚と平積みの組み合わせによる一覧性はリアルの本屋のほうが上ではないかと思われます。リアルの本屋には店員がいて、自分で探せなかったら店員に訊けたりもします。

先に『マーケティング2.0』がビジネス書のコーナーにもコンピュータ関係の書籍のコーナーにも置いてあることがあるという話をしましたが、これは本を探す側にとっては便利でも、売り側にとっては管理が煩雑になるというデメリットもあります。
片方のコーナーで売り切れればもう一方の側なり倉庫なりから補充しなくてはいけません。平積みにされた数の限定された本だけなら管理もなんとかできるのでしょうけど、すべての本でそんな管理を行うことはむずかしいでしょう。
しかし、実際には売れている本や新刊だけが複数のカテゴリーをまたぐ可能性があるわけではなく、古い本だろうとあまり売れない本だろうとカテゴリー分類がむずかしい本は存在します。

そうなると、物理的な場所と本のカテゴリーを組み合わせた分類には問題がでてきます
これはコンピュータ上の分類でも、カテゴリーと本が1対1対応になっていれば同じですね。コンピュータ内にドキュメントを保存する際、1つのディレクトリにしか保存できず、前に保存したものがどのディレクトリに置いたかわからなくなる場合も、予想されるディレクトリが複数存在するときに起こりやすいのではないでしょうか。

その点、いわゆるタグ付けによる管理は、複数のタグがつけられるので、お目当てのドキュメントを探すのにも見つかる可能性は高くなるという利点はありますね。

バベルの図書館

さて、本屋から図書館に話題を変えましょう。
図書館といっても普通の図書館ではなく、アルゼンチンの詩人ホルへ・ルイス・ボルヘスの『迷路』の中で空想しているバベルの図書館に関する話です。

ダニエル・C. デネットは『ダーウィンの危険な思想―生命の意味と進化』の中で、「ズラっと本棚の立ち並ぶバルコニーでまわりを囲まれた、何千(何百万、何十億)という六角形のダクトから成る、ミツバチの巣のような構造をした、広大な本の倉庫」であるボルヘスのバベルの図書館について、こんな紹介をしています。

それぞれの本は500頁の長さで、それぞれの頁は1行50字で40行の組み方をしてあるから、頁あたり2000字分の字数がある。それぞれのスペース、つまり1字分の空間は、何も書いてないか、100の集合(大文字と小文字の英語と、他のヨーロッパ語の文字と、ダッシュとパンクチュエーション・マーク)から選ばれた文字が印刷されてあるかの、どちらかである。
ダニエル・C. デネット『ダーウィンの危険な思想―生命の意味と進化』

1頁あたり2000字で500頁だと1冊あたり100万字分になるから、バベルの図書館には100の100万乗の本があることになる。私たちが観察できる宇宙の領域には、100の40乗(若干の違いはある)個の〈素粒子〉(陽子、中性子、電子)しかないと思われるので、バベル図書館は物理的に可能な対象などではない(後略)
ダニエル・C. デネット『ダーウィンの危険な思想―生命の意味と進化』

つまり、この図書館には気が狂いそうなほど、膨大な本が存在するわけです。

そして、その宇宙論的規模さえも超えた膨大な蔵書の中には、

『白鯨』は、もちろんバベル図書館にあるが、正典と認められる『白鯨』と〈1字だけ〉印刷が違うまがい物の変異体も1億冊入っている。
ダニエル・C. デネット『ダーウィンの危険な思想―生命の意味と進化』

というほどです。つまり、ここには「本屋にあるもの」以外の本が超天文学的規模で存在するわけです。逆の言い方をすれば、バベルの図書館にあるうちのごくごく、ごくごく限られたものだけが「本屋にあるもの」というわけです。

先日まで読んでいた ピーター・アトキンスの『ガリレオの指―現代科学を動かす10大理論』にもこれと似たような話が紹介されていました。
人が数を数えられるのは奇跡だ、と。
自然数、整数、分数などを含む有理数は有限だが、自然対数の底 e や円周率 πなどの無理数は無限に存在するがゆえに、有理数が夜の空に輝く星だとすれば、無理数はそのあいだの暗闇であり、その宇宙の暗闇にまばらに散らばった存在でしかない有理数を用いて、数を数えられるのはほとんど奇跡に近いというわけです。

有理数 - Wikipedia
無理数 - Wikipedia

IAとは? 情報とは?

この理屈に従えば、超天文学的の無意味な文字の組み合わせの中から、意味を成す言葉を話す/書くことが可能な能力は奇跡だといえるでしょう。
リチャード・ドーキンスの『盲目の時計職人』にもサルがシェークスピアの「ハムレット」をタイプする確率についてのこれまた超天文学的の数字が示されていますが、こうした無限ともいえる数学的可能性から、人間が理解できる有意味な文字列を生み出すほとんど奇跡的な可能性が生まれるのは驚くべきです。

もちろん、創発的科学の分野ですこしずつ示されはじめているように、自己組織化の仕組みと自然淘汰の組み合わせを用いれば、この超天文学的な確率は消えうせ、約40億年の生物進化の時間があればなんとか可能な常識的な確率まで可能性を高められることがわかっています。

しかし、それでもなお「本屋にあるもの」はごくわずかな情報だということは確実にいえるでしょう。
それが物理的制約の限界を拡張可能なWeb上の本屋もしくはWebのネットワーク全体という情報の図書館全体でみてもおなじではないでしょうか?

こんなことを考えたのは、昨日行われた「創発の時代の会(謎)」で、「IAとは何か?」「情報とは何か?」という問いを投げかけられたからでもあります。

明らかに僕たち人間を含む生物は、Webという図書館にある以上の情報を処理することが可能です。
バベルの図書館にある無意味なものを除外したとしても、僕たち生物は、DNAの遺伝子情報を処理して意味のある子孫を残せますし、食べ物を口にすれば旨い/不味いを有意に判断できます。
そして、これらの情報はいまだWebのネットワーク上には存在しませんし、IAの対象ともなっていません。
その意味で僕らはまったくといっていいほど、アンビエントなファインダビリティを手に入れていない段階だといえるでしょう。

情報や、そのアーキテクチャについて学ぶことはまだまだ超天文学的に存在しそうです。
それを見つけられる確率をすこしでも現実の範囲内におさめるためにも、有益な創発がこれからも起こることを期待します。

と、こんな感想ですが、いかがですか? 「創発の時代の会」メンバー様(笑)

  

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