ウェブと進化論

リチャード・ドーキンスの『祖先の物語』を読み始めました。

こういうポピュラーサイエンス系の本を読んでいて、Web屋の僕がよく思うのは、生物学はWebのコンテンツやサイトの話に近くて、物理学なんかはもう1つ下層のTCP/IPだったり、インフラ層の話として読めるなってことです。

ウェブと進化論

たとえば、生物進化は、すこしずつの進化の積み重ねとして累積的な進化の過程をたどり、さらに進化のどの段階も「進化の過程」だったり「未完成段階」だったりするわけではなく、その生物が生きる環境においては最善の実装だといわれます。漸進的に進化するってことですね。
ドーキンスは累積的な進化の過程を「累積淘汰」という独自の用語で呼んだりしていますね。

このことはWebサイトの企画や設計、運用を考える上での非常に参考になるなと思ったりします。
いきなり目的を達成するための完璧なゴールを目指してしまうより、段階的にゴールを目指すプランを立てたり、いわゆるWeb2.0的な「永遠にβ版」的な発想で改善を考えるほうが有益な「進化」を遂げられるんではないかという意味で。
完璧なゴールを目指して、結局、時間ばかり余計に費やし、できたものは中途半端な妥協の産物なんてことはありがちですからね。


進化論からウェブを妄想する

今回も『祖先の物語』を読み始めて、次のような文章でやっぱりWebのことを考えてしまいました。

異なる地層がたまたま地表近くにあって近づける遺跡(サイト)から遺跡へと、世界中を飛び回ることによって古生物学者は断片(ピース)をつなぎ合わせて連続的な記録に近いものにすることが期待できる。
リチャード・ドーキンス『祖先の物語 ~ドーキンスの生命史~ 上』

サイトという言葉が使われているせいもありますが、確かにWebサイトってある意味、Web遺跡ですよね。ブログという日々積み重ねられていく玉石混交の雑多な知識の地層から、それぞれのユーザーというアマチュア古生物学者は自分にとって価値ある断片を見つけていく。様々な遺跡=サイトで見つけた断片をそれぞれが、また、集合知的な知恵やツールを使って、時にはリンクという具体的な形で、また、時にはそれぞれのユーザーの頭の中でつなぎあわせながら、様々な「連続的記録」をつむいでいく。
ブログを毎日書き続けることに意味があるなと僕が思うのは、いつか誰か知らない古生物学者が僕の残した断片を発掘して何かとつなげて意味づけてくれるんじゃないと思ったりもするからです。

上の引用は化石から得られる進化情報に関するものですが、それとは別にDNAから得られる進化の情報に関する記述もあります。
そこでの、DNAの情報は複製され続けることでしか保存ができず、ごく短い時間でDNA情報は失われてしまうので、恐竜やマンモスのDNAを化石や琥珀の中の虫から得ようとしても徒労に終わるだろうといった記述は、Web上でのネットワークにおけるアーカイブを考えてみても似たようなことがあるかなと感じたりします。
Web上の情報の場合、情報そのものの価値が完全に無効になることはなかったとしても、すくなくともそれがWeb上に登場した際のライブ感みたいなものは失われてしまうだろうから。これはいわゆる形式知と暗黙知的な話に近いかもしれませんね。
こうしたライブ感が一時的にでも、形式的なテキストであるはずのものに存在するのは、書籍などと違うWebならではのものかもしれないなと思ったりします。

と、こんな妄想を頭の中で膨らませられるのも、科学系の本を読む1つの魅力だったりします。

 


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