昨日書いたユーザビリティの話もその1つですし、他にも僕自身が関わっていないものも含めて、社内の業務プロセスだったり、お客さんに提出するアウトプットだったりを、ある程度、標準化してバラつきをなくそうというものです。
また、標準化は自由をなくすものではなく、標準化された層と自由にカスタマイズ可能な層を分けることで、標準化された部分の効率化を図り、自由に考えられる部分にあてられる時間を増やすことで自由の余地を広げるものだったりします。
ブログがテンプレートに沿ってコンテンツを入力することで、その他の手間を省けて、コンテンツの内容のみに専念できるのと同じことです。
「「私にしかできない仕事というのは組織では幻想」というのは幻想」で書いた「私にしかできない仕事」を可能にするのも、社内にそうした標準化された層があってはじめて成り立つのかなと思ったりもします。
最初から完璧を目指さない
プロジェクトを進める中で時々、標準化はむずかしいといった声も聞かれますが、僕自身は簡単ではないが、そんなにむずかしいものでもないと感じています。というのも、先にも書いたとおり、標準化はすべてを標準化するものではないと思っているからです。また、最初から完璧を目指さないという割り切りも重要だと思っています。むずかしいと感じてしまうのは、どうやってもむずかしいようなところまで標準化しようと考えてしまうからではないのかなって感じます。それに無理していろんなものを標準化してしまい、できあがったもの(例えばガイドライン)が複雑なものになってしまっては、使い物にならない可能性もあります。標準化する目的は、標準化することで手間を省くことも目的だったりしますので、誰でも利用可能なシンプルさも必要です。それに使う人のインセンティブと使うためのコストを比較して明確に前者が上回ってないとできあがったものはユーザビリティに欠けて、もしかしたら利用されないかもしれない。そうなると標準化することでバラつきをなくすという当初の目的も失われてしまうので、余計に問題です。
階層化、段階化
たぶん、そうならないためには、結構大胆にスコープを狭めることが必要で、標準化施策の階層化、段階的が必要なのかなと思います。いわゆるWeb標準などを考えてみてもそうでしょう。狭義のWeb標準といえる文書構造、見栄え、振る舞いを別々に実装するという標準化も前提として、ブラウザの側がきちんと標準対応していなかった時期はなかなか普及しませんでした。それがブラウザの側である程度、W3Cの定めたWeb標準に準拠する形で標準化されてきたことで、Web標準による実装も徐々に浸透しはじめています。つまり、Web標準の前提には下層のインフラとしてのブラウザの標準化が必要だったわけで、ここには階層構造がみられます。また、ブラウザが標準化するためには、それこそ、Webという仕組みの標準化としてのTCP/IP層の標準化ということが前提にあったといえるでしょう。
おそらく、いま進めている社内の様々な標準化プロジェクトもこうした階層化、段階化を意識すると、よいのかなと思っています。その際にはプロジェクトの目的、ゴールを明確化した上で、段階的な到達ポイントをスコープとしてきちんと定義してあげることは不可欠なのかなと思います。
これって他のところでも言える話だろうなって思ったので、このブログに書いてみました。
ダニエル・C・デネットの『自由は進化する』で扱われている自由もそうした段階的な進化とともにその幅を広げていくものとして描かれていましたね。
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