予測ができなきゃ行動もできないし将来は真っ暗?

人間は「予測」に従って動きます。いや、実際には予測が働かないと動けないといっていいはずです。その意味では、予測は人間にとって行動するためのリソースであると言うことができると思います。

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では、その際、人間は予測しようと意識して予測しているかというと、そうではないとも思います。
J・J・ギブソンの生態心理学においては、生物を取り囲む環境を構成する表面の性質やレイアウトの組み合わせに応じて、環境そのものがその生物の行動を促進/抑制するリソース(=アフォーダンス)と考えられていますが、予測はこの行動を促進するリソースとしての環境認識と同時に立ち上がるものと考えてよいと思います。
ようするに、人が予測しようと思って予測しているのではなく、むしろ、ある環境が眼前に立ち上がってくる際、人がそれに対してどう対処するか(強いてはどう対処すればその環境を生き抜くことができるか)と思うところに予測は立ち上がってくるのだと捉えたほうがよいはずです。

予測は行動しなければと思う人間の思いのなかに立ち上がってくる。そこで「予測」を手に入れるからこそ人は行動することができる。「予測」が人間にとって行動するためのリソースであるというのはそういうことです。

行動力と先見性

その意味では、行動力に欠ける人に共通するのは「先見性がない」ことだと思います。

先見性、つまり予測力です。予測できないから次の行動が起こせない。
行動力に欠ける人は、先を見ようとしないから先のイメージが思い浮かばないし、そのイメージが持てないからどう動いたらいいかがわからず動けません。
逆に、積極的に行動する人は、その行動がさらなる先見性をつくるし、先見性があるから行動力がたくましくなっていきます。

すこし前に、会社のほうのブログに「環世界/アフォーダンス/メンタルモデル」という記事を書きましたが、そこで取り上げたノーマンの「行為の7段階モデル」(下図)は、仮説(つまり予測)をもって外界に対して行動を行ない、その行動の結果としてのフィードバックを通じて世界の理解していく人間の認知のモデルですが、このモデルなどは行動と予測の繰り返しによって人が世界を理解し、その結果、世界に対する予測力を自ら鍛え上げていく様を示したモデルだと僕は考えます。

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行動するから先見性が鍛えられ、先見性が人の行動力をさらに高める。この鶏/卵的な予測と行動の関係に自らの存在を放り込むことができるか? 自らの積極的な行動の繰り返しのなかで、様々な予測が立ち上がってくる契機を演出することができるか? 他者からの回答に頼るのではなく、自らの行動にともなう嗅覚で自分自身の行動を促す情報としての予測を手にすることができるか?

こうしたことができるかどうかで、その人の行動力が強くもなるかどうかが決まってくるだろうし、結局はその行動力が本当の意味で役に立つ「知識」を手に入れられるかどうかに関わってくるのだろうと僕は考えます。

予測するためには、パターン認識の蓄積が必要

では、どうすれば「予測」ができるようになるのか? 先見性を身につけられるか?

予測の力、先見性というのは、結局のところ、より多くのパターンの違いを記憶し、パターン認識を基盤とした仮説形成が行なえるようになることだと思います。より多くのパターンを知っており、それゆえに様々なパターンが見分けられ、どのパターンなら次にどんなことが起こる可能性が高いかを知っていること。それが予測や先見性につながる仮説形成を可能にする状態。

では、そんな風に多くのパターンを知り、それらのパターンを見分けられるようにするには、どうしたらよいか?
それには普段からいろんな物事に興味を抱いてそれらを観察し、世界で起こることの様々なパターンを自分で見つけ出していくことではないかと思います。

僕らがデザイン思考のアプローチでエスノグラフィ的な観察調査を行う際も、結局、そこで発見したい事柄はパターンだったりします。人びとが行なう行動を観察して、いろんな人が繰り返し行なっているものはないか?と見たり、人びとが同じような状況で同じような行動する傾向はないかと探したりします。
そうした観察によって、複数の人びとのあいだで類似する行動のパターンを見つけ出すこともあれば、ひとりの方が繰り返し行なう特徴的な行動パターンを発見するケースもあります。もちろん、すべてのパターンがその後のデザインにつながる発見というわけではありませんが、現場での行動観察によって得られたパターンの発見が、その後のデザインを行なう上での考え方や発想を大きく変えてくれることも少なくありません。

そうしたパターン認識力は、自分で普段から隠れたパターンを見出すような観察力を養っておかないといざという時に発揮できません。結局、パターンの認識というのは、何か隠されたものを見つける作業ではなく、自分たち自身が勝手に見落としていたことで隠れているパターンをあらためて認める作業なので、見ている対象の問題ではなく、見る側の見方の問題です。ようはパターンを発見するということは、自分自身の見方が変わったということに他ならないのです。

パターンさえ認識できれば何が起こるかはわかる。でも…

そんな風に現実の世界を観察する力でパターンを見出す力を身につけると、実はそのパターンが次に何につながるかという予測も立てられるようになります。

でも、そもそも、この予測ってそんなに大変なことではないんですよね。ネコだって自分の身体がその隙間を通り抜けられるかどうかを、みずからの経験の蓄積からくる予測(仮説)によって判断しています。人間だって重そうな荷物を持てるかどうかを見た目からくる印象と自分がもっている様々な記憶のパターンと照らし合わせて予測して判断したりします。

人間に限らず多くの動物が、そもそも自分たちの行動の可能性や方向性を、目の前のパターンの認識と蓄積された記憶のパターンの照らし合わせによって決めているのです。普通に生きていれば生きていく中でより多くのパターンを獲得でき、パターンさえ認識できれば何が起こるかはわかるようになるはずです。
でも、自分自身の行動で世界に存在する様々な物事のパターンを経験せずに、誰かが編集した情報だけにたよって生きているとパターン認識力も予測力も低下してしまうはずです。行動リソースとしての予測は、パターン認識、蓄積されたパターンとの照合とセットとなって機能するはずですが、そもそもパターン認識をするにも、その認識から目の前にあるものとそれが引き起こす結果の関係性を自身の経験のアーカイブとしてもっていなければ、適切な行動を行なうことができません。

普段から他人がインターネットなどを通じて発信する情報を受信するばかりで、自分の目で見たり自分で道の事柄を積極的に体験したるすることをしない人は、こうしたパターン認識〜予測力が鍛えられていないために、道を歩いていても他人の動きが予測できずに人にぶつかってしまったりするし、共同作業の場でも他人の動きの予測ができないからなかなかスムーズにグループワークができなかったりします。パターン認識や予測力に問題がある人は、他人の動きの意図を汲み取れないし、それに併せて自身の行動を制御することができません。
だから、そういう人のまわりでは物事が動かず停滞を招きます。その人のまわりの世界だけがどんどんのろまになって、世界そのものからパターンの数が減っていくかもしれません。

認識→探求→信頼

行動につながる「知る」とつながらない「知る」があるのです。

行動リソースとしての予測につながるのは前者の知識。後者の行動につながらない知識というのは、そもそも自分で原因と結果という関係性を体験できていない、原因だけだったり、結果だけが切り離されてしまっている知識。わからないことがあると事例を教えてくれという人がいますが、そういう人って結局、普段から原因と結果がセットになった自分の行動によって体験的に得た知識の取得をしていない人なんだと思います。いつでも、原因と結果が切り離された情報にばかり接しているから、方法を教えられても、それによる結果が予測できない。予測できないから自分で試しにやってみようという行動が起こらない。

以前に書評を書いたクラウス・クリッペンドルフの『意味論的転回―デザインの新しい基礎理論』という本に、ユーザビリティにも関連した人間が対象となる物事に注意を向ける3つのタイプ(認識、探求、信頼)の推移に関する次のような図が載っています。

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簡単に言ってしまえば、人は対象となるモノや世界と付き合う際、最初は「これって何?」という認識、見定めの姿勢で接しますが、いろいろ試してみてだんだん対象とどう向き合えばよいかの予測がついてくると、「こうすればこうなるんじゃないか?」と予測にしたがって様々な試行を繰り返す探求の段階に移ります。そうした試行錯誤の結果、それが「使える」と思えたり「便利で使いやすい」といった信頼が芽生えれば、もはや新たな認識や探求を行なうことなく安心して対象を使うようになります。ようはユーザビリティに優れたものをデザインしたければ、ユーザーがこうした学習プロセスに沿って使い方を学習できるようになることも含めてデザインをすればよいというわけです。
一方、信頼して使っていたものがあるとき予期せぬ動きをはじめたりすれば、人は混乱したり、それが長く続けば使うのをやめたりしてしまう。もちろんユーザビリティ的には離脱は避けたいところで、それにはユーザーが信頼を失うような予測と実際のデザインパターンのギャップがどんな場面で生じうるかをある程度デザイン時に理解しておく必要がある。
そんなことを含めて、人間の行動と予測の関係を示しているのが、この図です。

ようするに、この認識から探求を経て、信頼に至る遷移こそがパターン認識を行ない、予測のための理解を行なう過程というわけです。そして、この図が示しているように、時には落胆や混乱の危険性(リスク)を孕んでいるからこそ、このプロセスは信頼に通じる道だったりします。このリスクをとれるかどうかで、自分の力で信頼を勝ち取れる予測=行動が行なえるようになるわけで、リスクを恐れる人は逆に何の苦労(認識、探求、落胆、混乱)もなく結果としての信頼を得ようとするのです。

整理されたわかりやすい情報は、こうしたリスクを含まないからこそ、逆に未来への道筋をわかりにくくしてしまっているのです。いろんな人がすこしずつ間違った仮説形成や解釈を行なうことで生まれる多様性を排除してしまっているがゆえに、未来の可能性まで損なう結果につながっている。

それにもかかわらず、わかりやすさを過度に求める姿勢って何なのでしょうね?

「将来が見えない〜動けない〜予測できなくなる」という負のスパイラル

というわけで、リスクをとらず、自らの予測の能力を鍛えられていない人は、常に先行きが見えなくて不安だし、その不安をかき消すための行動を行なうこともできません。まさに負のスパイラルに陥ってしまう。

最近、ようやく一時の最悪の状態を脱してきた雰囲気がありますが、ライフハック的なものが流行っていた時期というのはまさに、結果と原因がつながらない情報ばかりがあふれていて、人びとが行動力〜予測力を鍛える機会を奪ってしまっているような感がありました。とはいえ、まだ、その状態を脱しきれていない人が大勢いると思うので、なんとも言えない気味悪さは残ったままです。
将来への不安を感じながら自分からは動けずじっとうずくまってしまっているがために、どんどん行動力を失っていくという負のスパイラルにはまらないためにも、人間も含めて動物って自分で行動するなかで様々な勝ちパターンを見つけていくパターン認識が基本行動原理であるってことを、それぞれの人がちゃんと理解してみることが必要なんじゃないかな。そんなことを思ったりするわけです。

  

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